ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

重陽の節句 その他

今日は「重陽節句」です。お茶を習っていた頃、おじいさん先生が「私にはもう、重陽の日はこれが最後かもしれないのだ。一期一会、この精神で生きていかなければならない」とお稽古の前に話されていたことを思い出します。茶道ノートに、その日に学んだことを帰宅後メモするのが習慣でしたが、なつかしいですねぇ。

今週末には、東京で学会発表があります。また、先程読んだメールには、12月のマレーシア研究会の研究大会でも「ぜひ発表をお願いします」と委員会から連絡が来ていました。ありがたいことです。もうこれで、9年連続の発表ですから。「業績作り」とか何とか、計算高く作為的にしなかったのが、かえって長続きのコツかもしれません。とはいえ、毎回毎回、お茶の先生のおっしゃったごとく、「これが最後かも」と思いながら取り組んでいるのですよ。

ショスタコーヴィチの証言』は、借りた期間中、二度繰り返して読みました。最初は重苦しい調子の暗く冗長な文章だと思いましたが、二度目には、だいたい内容がつかめたこともあり、ところどころユーモラスなエピソードや馬鹿げた話が挿入されていて、つい笑ってしまいました。だいたいにおいて、制約のある社会で、付き合っていた人々が限られていたのか、言及することでその人の身に危害が及ぶのを避けたかったのか、登場人物が著しく少ない感じはします。そのため、研究者はこの著作に今でもあまり信頼性を置いていないなどと、あるサイトで読みました。一番笑ってしまったのは、「家族への言及がないのはおかしい」「夫人が1994年に来日した時、日本側がこの本のことばかり質問するので、夫人は不愉快そうにしていた」「亡命を企てるようないかがわしいジャーナリストになら、何でも言えたのだろう」などという‘理由’です。

ちょうど、この文章の下書きを作っている最中、全く偶然なのですが、ショスタコーヴィチのヴァイオリン・ソナタ134番がラジオから流れてきました。ギドン・クレーメルの演奏です。聴いていると、いかにもショスタコーヴィチらしいなあと思わせる、緻密な構成かつ壮大なスケールで、音の流れに身をゆだねているうちにトッと終わってしまう曲です。

早速、インターネットで調べてみると、偶然にしては何とももったいないような、すばらしい演奏会だったことが判明しました。(http://www.japanarts.co.jp/html/2007/chamber/kremerata/index.htm

2007年6月20日(水) 午後7時開演 於:東京オペラシティコンサートホール
ギドン・クレーメル&クレメラータ・バルティカ室内管弦楽団

[ 曲目一部変更のお知らせとお詫び ]
演奏者の都合により、ショスタコーヴィチの室内交響曲が同じショスタコーヴィチのヴァイオリン・ソナタ作品134 に変更になります。既にチケットをお求めのお客様には申し訳ございませんが、どうかご了承下さいますようお願い致します。尚、カンチェリの作品は下記の通りです。

ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン・ソナタ Op.134
D. Shostakovich/ Arr. M.Zinman and A.Pushkarev: Violin Sonata Op.134
(M.ジンマン & A.プシカレフ編曲によるヴァイオリン、パーカッションと弦楽オーケストラ版−日本初演

第1楽章:アンダンテ  1st Mov.: Andante
第2楽章:アレグレット   2nd Mov.: Allegretto
第3楽章:ラルゴ   3rd Mov.: Largo
ソリストギドン・クレーメル Soloist: Gidon Kremer)

(以上)