やぶからぼうに、突然の話題で申し訳ありません。今日は、チャイコフスキー記念国際コンクールについて雑感めいたものを短く書かせてください。
1958年から4年おきにモスクワで開催される、世界でも権威ある国際音楽コンクールの一つに数えられるものだそうです。インターネットのなかった時代なら、音楽の先生に話を聞くか音楽雑誌を読むぐらいしか情報が入ってこなかったのですが、今や世界情報は何でも入ってしまう状況です。かつて、このコンクールに出場するソ連以外の人達は、ホテルの設備の不備やら食べ物の不足など、音楽以外の要因でさまざまな経験をすることになったようです。
中村紘子氏の『チャイコフスキー・コンクール:ピアニストが聴く現代』中央公論社(1988年)を読んでいた頃(1989年10月13日名古屋駅の松坂屋地下にあった三省堂で購入)には、私などには無縁の高次の世界だと思っていましたが、先日、入賞者リストをざっと眺めていたら、あることに気づきました。それは、結構大勢の入賞者が並んでいる割には、現在も名が知られて演奏家として活躍中という人が案外少ないということです。私が無知なだけかもしれませんけれど、FMラジオやNHK教育テレビやBSテレビで、一応は普段からなじんでいるつもりですから、それほど外れてはいないのでは、とも思いますが....。
第一回から最新までの入賞者の中から、知っている名を挙げます。(順不同)
・上原彩子 ・加藤知子 ・神尾真由子 ・川久保賜紀
・佐藤美枝子 ・佐藤陽子 ・諏訪内晶子 ・小山実稚恵
・アシュケナージ ・ミッシャ・マイスキー ・ギドン・クレーメル
・チョン・ミュンフン ・ムローヴァ ・フレデリック・ケンプ <<
以上です。意外と少ないと思われませんか?ということは、コンテスタント達の競演は、コンクール後の進路栄達を確保するとは限らないという意味かもしれません。あるいは、日本のクラシック市場に偏りがあるか、ということではないでしょうか。
コンクール後の方が大変だとはよく聞きます。それをわきまえている人ならまだ大丈夫なのですが、日本では、「私は2歳からバイオリンを始めました」とか「何歳の時に○○コンクールで入賞しました」という‘過去の栄光’を、40歳近くになってもまだテレビなどで語り続けている人がまかり通るケースがあるので、要注意です。なぜ、チャイコフスキー・コンクールの話になったかって?それは、ショスタコーヴィチが、当初コンクール組織委員会委員長だったからです。(参考:上記の中村紘子著作 p.20)