ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

不思議な虹・つまらない出版物....

昨日の夕方6時20分には、今まで見たこともないような大きな虹が、頭上で半円を描いていました。まるで、無事に生き残ったノアの箱船が祝福されているかのような虹でした。(参考:創世記9章12節-16節)あ、と思い、メモ用紙を取り出して鉛筆で感じたまま言葉を綴っていたら、5分後には、跡形もなく消えてしまいました。茜色と紅色に輝く夕焼け雲が広がる中の、幻のような不可思議な光景でした。

おとといには、『選択』という雑誌のバックナンバー(2007年8月号)が届きました。この雑誌の名前は随分前から知っていましたが、書店では一切販売せず、三万人限定購読のみという特色を出しているので、中身をチェックすることができませんでした。今回は、新聞広告の題目を見て、亀裂の深まるマレーシアとかいう興味深いページがあることを知り、早速電話で注文した次第です。誰が本当の読者で、どういう傾向を持つ雑誌なのかは、この一冊だけではよくわかりませんでした。例えば、岩波の『世界』よりはあっさりした単純な書き方で、論文も掲載されておらず、かといって明らかにヤジを飛ばすような思想系でもなく右派でもなく、といった感じです。いわゆる一般の週刊誌のようなゴシップやスキャンダルとは一線を画して、というスタイルはわかりましたが、肝心のマレーシアの記事も、たった2ページのみで、それも分かり切ったことしか書かれておらず、いささかがっかりしました。

その他、昨日はアメリカのイスラーム書店から『ムスリムのための宗教間対話手引き』という英文の本が一冊届きました。これは、メーリングリストで知った最新刊で、クリスチャンのためのガイドブックは従来何冊か読んできましたが、ムスリムのためにはどんな指南書があるのか知りたいと思って、注文したものです。ムスリムによるキリスト教の観察は、事実は正しいのですが、解釈がクリスチャンと若干異なるので、新鮮であることは確かです。ただ、学問的にはおもしろくても、実際の対話の現場となると、平板で単調な繰り返しが多く、問題の実質的解決に結びつくこともあまりなく、はっきり言ってつまらないものです。

お口直しとして、昨夜主人が持ち帰ってきたCDについて少し書きます。会社経由で注文すると、一割引になるとのことで、主人が申し込んでくれたのです。
またもやギル・シャハム氏なのですが、ちょうど『ショスタコーヴィチの証言』を読み終わったところであり、ロシア・ソ連物に関心が深まってきたので、機を逃さず、次のCDを手元に置いて聴こうと思ったわけです。
"Gil Shaham/Mikhail Pletnev
Glazunov・Kabalevsky Violin Concertos by Russian National Orchestra, Deutsche Grammophon, December 1996
" 
 もっと具体的に言えば、次のような曲がおさめられています。

グラズノフのヴァイオリン協奏曲イ短調 作品82
カバレフスキーのヴァイオリン協奏曲ハ長調 作品48
チャイコフスキーの「なつかしい土地の想い出」 作品42
 チャイコフスキーのワルツ・スケルツォ 作品34

カバレフスキーは、小学生の頃、「子どものためのピアノ小曲」だったか何か、確か薄いオレンジ色の表紙の楽譜を与えられて、練習した時以来です。ライナーノートによれば、ばりばりの共産党員だったとか。ショスタコーヴィチがいやいや強いられて党員になったのとは大違いだそうです。それは初耳でした。だいたい、当時の音楽学校の先生達は、いかにたくさんの曲を弾かせるかということばかりに集中していて、作曲家の背景や文化的な説明は、ほとんどしてくれませんでした。私はどちらかと言えば、後者の方にも興味津々だったのですが、「そういう質問は、まず弾けるようになってからね」と押さえつけられていたように思います。それほど下手だったという意味なのでしょうか。でも、子どもの興味は何がどこで結びついて発展していくかわからないのだから、そんな抑圧をかけないで、時間の許す限り、読み物の紹介程度でも、教えてくれればよかったのに、と今でも悔しい思いです。
聴いてみると、いかにもソビエト音楽の典型、という曲ですね。だんだん判断がつくようになってきました。時代の変遷のためか、それとも歳をとったためなのか、ともかく、わかるようになってきたというのが、自分の成長を見るようでうれしく思います。

グラズノフは、ハイフェッツ演奏のCDを持っていたのに、ついうっかり忘れていましたが、ギル・シャハムの演奏は、どの曲も常に落ち着き払った印象を与えるので、両方手元に置けてうれしい限りです。それよりも、『ショスタコーヴィチの証言』では、かなりページを費やして、師に関して、何度も具体的なエピソードが記されていたことを思い出しました。このような美しい音楽を作曲していたグラズノフが、革命により人生を否定されたような感覚に陥り、お酒なしでは音楽院の仕事もできなくなってしまったこと、結局は亡命してロシアの地を去ってしまったことなど、胸がしめつけられるような気がします。

ショスタコーヴィチは、晩年に次のような感慨を抱いたと記されています。

わたしの人生は不幸にみちあふれているので、それよりももっと不幸な人間を見つけるのは容易ではないだろうと予想していた。しかし、わたしの知人や友人たちのたどった人生の道をつぎからつぎと思い出していくうちに、わたしは恐ろしくなった。彼らのうち誰ひとりとして、気楽で、幸福な人生をもった者はいなかった。ある者は悲惨な最期を遂げ、ある者は恐ろしい苦しみのうちに死に、彼らの多くの者の人生も、わたしのよりもっと不幸なものであったと言うことができる。」(p.395)

これからしばらくは、学会発表の準備に没頭し、学会終了後、疲れもとれたところで、また、ショスタコーヴィチ関連のCDや本を借りて学ぶつもりです。