ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

家庭料理 私の一工夫

主婦らしく、今日は少し料理の話を書いてみましょう。
たいした腕前でもありませんし、それほど料理好きなわけでもありませんが、必要になれば、持ち寄りパーティーや人を招いて手料理でもてなすことぐらいは、独身時代にしていました。結婚前には、1年半ほど、毎週一回、料理教室にも通っていた時期があります。いえ、精進料理とかフランス料理などのしゃれたものではありません。単なる家庭料理です。
そんなもの、テレビの料理番組や新聞のクッキング記事を見ればできる、と思われるかもしれません。ただ、今から振り返っても、その時期に、男性の先生から、時事的な話題や世間話も交えつつ料理を教わったという経験は、必要でもあり大切なものだったといえます。見事な包丁さばきに見とれているうちに一品、二品、三品、と出来上がる料理がテーブルに次々と並ぶさまは、圧巻でした。盛りつけ方や材料などにセンスが光るのも、男性ならではの職人気質だったと思います。そこがポイントなのです。
親から教わる家の料理は、どうしても無意識のうちに、マンネリになりワンパターンになりがちです。「おふくろの味」とか「受け継がれる家庭の味」などと美しく表現されることもありますが、一面、自己流の欠点まで学んでしまう恐ろしさを含んでいると思います。
感覚の鮮度は、違った角度から常に揺さぶりをかけなければ、すぐに落ちてしまうものなのでしょう。
さてここで、私の料理一工夫を手短かにご紹介しましょう。基本ルールは次の通りです。
(1) どんな一品でも、何種類もの野菜をたっぷりと多目に使うこと。
(2) 味付けは極力薄めにすること。
(3) 場合によりレトルトやインスタント食品を利用することがあっても、必ず自分で食材を追加して栄養のバランスを考え、オリジナルな味を出すこと。
(4) 塩、醤油、砂糖、味噌などの基本的な調味料は、梅干しと同様、なるべく自然食品の店で良質なものを揃えること。特に、粗塩や黒砂糖を用いること。
(5) 主食は玄米(できれば有機が望ましいが、少なくとも減農薬のもの)を毎日の中心に据えること。炊き上がったごはんに空気をしゃもじで混ぜる時、場合によっては、紫蘇の粉末と白胡麻と鰹節を混ぜ込み、そのまま翌朝のおにぎりやお弁当にすること。(これにヨーグルトと野菜ジュースを添えることで、最低限の栄養が取れ、簡単でも立派な食事になる。)
(6) ほぼ毎日の夕食に出す味噌汁は、だしに昆布と鰹節(とミキサーで砕いた煮干し粉)の二種類を使い、必ずワカメを入れること。その他に、具を5.6種類はたっぷりと含めること。(例:玉葱、馬鈴薯か薩摩芋、椎茸、しめじ、榎茸、葱、豆腐などは定番。季節によっては、茄子やオクラも入れることがあり)
(7) 圧力鍋を極力活用すること。ガス代と時間の節約になる。また、料理を作りながら、同時に洗い物を兼ねると素早く片づく。
(8) コーヒーや紅茶には砂糖は一切入れないこと。冬場の朝の紅茶には、生姜粉末を入れると体が温まり、目も覚める。
(9) 炒め物や煮込み料理には、ニンニクを常にたっぷりと使うこと。ただし、いただくのは昼食以降で、外出しない時に限る。
(10) 体を温める食べ物と冷やす食べ物(注:料理の温度ではない!)のバランスを季節毎に調節する。
だいたいこんな感じでしょうか。とにかく、手の込んだものや高価な食材は、我が家に不要です。香辛料やお酒なども、外国製の珍しいものは一切ありません。身近にあるものを工夫して活用するのが好きなのです。おいしいものを食べたかったら、普段からクーポン券や招待券をためておき、何かの記念やお祝いを兼ねて、たまに外食すればいいのです。やはり、プロの作るものは違いますから。また、雰囲気が変わることで気分転換にもなり、精神衛生上も有効ですから。
というわけで、簡単で安くて栄養があっておいしいものを、健康第一に考えて作っています。以前は、新聞や雑誌や主人の会社の機関誌から、料理欄を切り抜いてスクラップノートを15冊以上、作っていましたが、時間がなくなったことと、見なくても応用が利くことがわかり、止めてしまいました。ただし、今でもそのような情報には目を通し、最新の知恵を仕入れるように心掛けています。

時間のある時や冷蔵庫や棚の整理をしたい時には、多少保存の利くデザートや常備菜を作り置きします。ヒジキ煮やキンピラや寒天デザートなどです。独身時代から、私の冷蔵庫は、食材を詰め込む習慣を知りません。大抵、何とか食べ切るか、そもそも買い込み過ぎるということがないのです。よそのお宅の冷蔵庫で、食品やタッパなどが溢れ返り、新しく料理を入れる場所がないのを見かけることがたまにあります。そういう時、余程豊かな家で育ったのか、それとも貧しかった子ども時代の反動なのか、と余計なことを考えてしまいます。そうは言っても、私も人のことは批判できず、外の仕事や自分の研究の焦りなどでストレス満杯だった時期には、しばしば野菜を腐らせたり萎びさせたり、賞味期限の切れた食品を冷蔵庫に入れたままにしていたこともありました。「ごめんなさい」を言いながらゴミ箱に捨てる度に、本当に自己嫌悪に陥ったものです。
料理とは直接関係がありませんが、台所の整理として、空箱や缶箱や空き瓶を再利用しています。今ではとても便利な小道具が増えてきましたが、滅多に買うことはありません。箱の蓋は、仕切りに用いたり、油やお酒類の置き台に使います。箱の方は背丈があるため、瓶に詰め替えた数種類のお茶を並べたりします。大中小さまざまな空き瓶は、洗ってよく乾かし、白胡麻や鷹の爪や小さく切った昆布やゼラチンなどを入れています。蓋には、日付を書いたシールかテープを貼っておきます。瓶は何度でも使えますが、何年か経つとキズが入ったり曇ったりしてくるので、空き瓶のたまり方に応じて交換していきます。

家事がうまく回っている時は、精神的に安定し、夫婦仲もよく、落ち着いて健康な証左です。掃除や料理や洗濯や片づけなどは、効率良く継続する精神力が必要で、毎日のことですから、決して惰性では成り立たない仕事だと思います。あの桐島洋子さんが書かれた『聡明な女は料理がうまい』という本は、実家にいた頃、私もしばらく手元に置いて愛用させていただきました。父がそれを見てニヤニヤ笑っていましたが、こちらとしては必死でした。ともかくも、仮に学校のお勉強が多少できたとしても、家事を疎かにしているようでは、本当の意味での聡明さ、というよりも、むしろ賢明さに欠けるような気がしていたのです。

え、上記の一工夫の成果ですって?
そうですね、まずは体調に現われていると申しておきましょう。一応は健康体のつもりでしたが、二十代までは、2,3ヶ月に一度、鼻風邪をひく毎に、涙目とくしゃみと咳が常連さんでした。それに年に一度は、たいてい外耳炎を繰り返していました。花粉症は18歳の沈丁花の時期から始まり、毎春は、気分的にも体調的にもぐしゃぐしゃの日々を送っていました。それが、三十代に入り気がついてみたら、肌がつやつやになり、吹き出物もほとんど消え失せ、風邪もめったに引かなくなりました。外耳炎や花粉症とは、ここ何年も無縁の生活です。薬を服用するという習慣が全くなくなり、おかげさまで、というところです!!

パンをつくる道具「ぱんくらぶ」が家にあります。何年か前に主人が、病気で心身共に落ち込み、残業も任せられず、定時帰宅で6時過ぎ頃に家へ戻ってきていた時期に、何か体と心にいいことをしようと思い立ち、自分で買ってきたものです。しばらくは、粉まであれこれ買ってきて、レーズンやアーモンドなどを混ぜ込んで、パンを焼いていました。朝食用に食べていましたが、気がつくと、仕事も遅くまで取り組めるまでに精神的に立ち直ってきて、「ぱんくらぶ」は無期休暇中となっています。また、しばらくしたら、今度は私が始めようかと思っています。思っているだけで、なかなか始まらないのですが…。

家での勉強は、研究室での勉強よりレベルが低いという印象をお持ちかもしれません。でも、勉強の合間に家事を少しずつ片づけていくのは、とても効率的です。料理は手を動かし、五感を使うためか、自然といろいろなアイデアや発想や文章が浮かんできます。冷蔵庫にあるホワイトボードに、赤と黒と青のペンが用意してあるので、何でも思いつく度に、こまめにメモを書き留めておきます。買い物リストもそのようにして出来上がりますし、研究発表の草稿やレジュメ資料も、言葉遣いやデータの修正や付け加えなどは、ここから生まれてくるのです。投稿文のネタが浮かび上がってくるのも、料理中が多いと思います。

家庭料理は、大袈裟に言えば、広い意味での農学、経済学、化学、医学、衛生保健学、計量学、国際関係、気象学と深く連繋していると考えています。そうすると、家での勉強は、実地に諸学問の底地を作っているとも言えるわけです。
自分の経験から、込み入った堅苦しく難しい本を1時間半以上読み続けた後に、パッと立ち上がって掃除をしたり、洗濯物を干したり、買い物に出かけたりすることで、自然に頭を切り替えていくパターンが、とても心地よく思われます。この「ユーリの部屋」も、そのような過程で次々に発想が湧き、パソコンに向かえば途切れることなく文章が生まれてくるのですよ。