ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

英語教育の話

今年の新渡戸シンポでも話題になっていた、小学校からの英語導入の問題について、ここで少し考えてみましょう。

もし私達に子どもがいたら、その子の性格や能力を考慮したり、周囲の状況に合わせなければならないことも出てきたりして、実践にやや違いが出てくるのかもしれませんが、主人と私の考えは、基本路線で今までのところ一致しています。

「小学校から英語なんか(中途半端に)やらなくてもいい!」

とはいえ、おととい、近所の町立図書館に置いてあった町の教育委員会作成パンフレットを見ていて、ぎょっとしました。我がX町では、なんと幼稚園から外国人教師を招聘して英語に触れさせている、と書いてあったのです!いやぁ、知らなかった!!

引用を丁寧にしてしまうと、それこそ「個人情報」が明らかになってしまうので避けますが、我がX町では「英語特区」としての取り組みを展開し、幼小中の11年間を見通して英語教育をしているのだそうです。具体的には、小学校に英語科設置、中学校の全学年で週当たりの英語授業を1時間増やして4時間とする、などとあります。目標の一つには「中学校を卒業する頃には、気後れせずに簡単な英語を使いこなせる子ども達の育成」があるそうです。へぇ…。幼稚園では、週に2日、外国人英語指導助手と、ゲームをしたり英語の歌を歌ったりお弁当を食べたりすることで「人間理解や偏見の排除」を目指すのだそうです。ひゃあ!

よくわかりません、この発想。別に、小さい時からお弁当を一緒に食べなくたって、外国人に偏見を持たないと思うんですが。よい児童書をたくさん読み聞かせしたり、楽しく元気いっぱい遊んだりすることの方が、よほど大切なことじゃないかと…。

さらにびっくりしたのは、昨日の朝日新聞朝刊(大阪本社版)の教育欄です。「英語教育への力の入れ方 らんきんぐ」というコラムがあって、そこには「英語教育の充実度」という、河合塾が高校の進路指導教員を対象に2007年4月から5月に実施したアンケート調査が載っていました。「英語教育がしっかりしている印象がある大学」への回答数のべ546からの分布で、なんと上智大学が一位を占めているのでした。記事には「トップの上智大は、全学部で英語を重視する。入学後のテストの結果によってレベル別の授業を受けるほか、(中略)早い段階で専門英語も習い始める。」とあります。では、今年、新渡戸シンポが開催された会場の上智大学で、なぜ「英語一辺倒の問題性」と「多言語性政策」が取り上げられたのだろうか、という疑問が部外者には沸々とわいてくるのです???

ところで私達夫婦は、公立中学校の1年生で英語を学び始め、塾にも一切行っていませんし、親からも勉強を強制されたことはありません。私の母は四年制大学の英文科卒業ですが、一度も英語を強いることはありませんでした。むしろ、父の方が「セサミストリートを見ろ」と勧めたり、自分の勉強教材として英語のテープを休日にかけていたぐらいです。
中学、高校、大学の間は、二人とも共通してNHKのラジオ英語講座を中心に勉強してきただけです。入社後、主人は英会話学校に通い始め、社内の英語試験がおもしろくなって受け続けたそうですが、私の方はクアラルンプールのブリティッシュ・カウンシルで上級コースに通った程度で、それ以外、特に何もしませんでした。

ちょうど同じ時期に相当する1990年から、主人はMIT留学と東海岸での研究所設立および人事担当を計4年間、私はマレーシアの大学で日本語を教える仕事を3年間してきました。主人は理系、私は国文科という出身で、特に英語を専攻しませんでしたが、だからと言って、海外で全く仕事ができなかったわけではありませんでした。現在はなくなってしまったワールド・トレード・センターの前で同僚と一緒に立っている主人の写真を見て、まるで夢のような気がしてしまうのですが、ニューヨークの街はほとんど把握しているのだそうです。(私と一緒に暮らしているこの人が?)と時々信じられない気分になりますけれども、まぁ、そういうことです。むしろ、海外勤務の経験から言えば、英語力そのもの以上に必要とされるのは、1. 専門知識と業務遂行能力 2. 体力と健康管理 3. 良好な対人関係作り、などではないかと思います。

また、海外滞在中、私が反省させられたのは、英語よりも日本社会についての基礎知識が案外疎かになっていたということです。日本史が好きで、国文学の専攻なら、何とかなるだろうと思ったら大間違い。マレーシアの人々と親しくなり、家にも招かれてご家族とおしゃべりしていると、さまざまな方向から質問が飛んできます。日本に対する理解やイメージも、必ずしもこちらの期待しているものと同一とは限らないので、なまじっか中途半端な知識しか持っていないと、本当に恥ずかしい思いをすることになりますし、一度は招かれても、それ以上は音沙汰無し、などということにもなりかねません。

茶道の話をプロフィールに書きましたが、何も「嫁入り修行」ではなく、本心から(自分は日本文化について何一つ身につけていないんだなぁ)と深く反省を迫られたことがきっかけです。以前の「ユーリの部屋」(2007年8月6日の「ヨハネ受難曲」など)で、「オペラか箏曲か」について言及しました。外国でお琴が弾けたら、どんなに人生が違ってきたかと思うのです。本当に惜しいことをしました。英語よりも、こういうものの方が、どれほど‘趣味と実益を兼ねる’よい学びかと思います。特に女性にとっては、です。

日本で「異文化交流」「異文化理解」などの本を片端から読んで備えていたつもりでも、マレーシアで記述通りに振る舞って、かえって失礼だったり失敗したりしたこともたびたびあります。つまり、その種の本を書いている先生方自身、それほど経験豊富というわけでもなさそうなのです。または、非常に偏った情報に基づいている場合もありました。

クアラルンプールのブリティッシュ・カウンシル(以下「ブリカン」)で、ある英国人の先生から言われたのは、「マレーシア人は、確かに小さい頃から英語に触れているので、語彙量や話す能力は日本人よりも一見高いように見える。でも、作文やレポートを書かせてみると、日本人の方がきちんとした文法で、内容もしっかりしたものが多い。これは私達の判断なのだから、そんなに英語力を気にしなくてもいいんですよ」ということでした。主人にこの話をすると「そりゃそうだろう」とあっさり。「マレーシアに派遣や駐在で日本から出て行く人達は、観光旅行者じゃないんだから、ある選抜をくぐり抜けているわけだ。一方、マレーシアで英語を学ぼうとする人達は、多少裕福でなければブリカンには通えないかもしれないけれど、まあ、都市在住の普通の人だよね。そこが違うんじゃないか」。

そうは言っても、ブリカンの最上級クラスでは、私も本当に苦労しました。クラスメートは、英語を話す家庭出身のインド系や華人の子女、英語で仕事をしている中年男女、英語学校の出身者であって、私が置かれた職場とは、語彙量も発想も全く違うのです。では、なぜブリカンに通ったのかと言えば、仕事ばかりでは息が詰まりそうで、気分転換が欲しかったのと、さまざまな人達と知り合いになりたかったからです。フルタイムの仕事を持ちながら、週に2回、二時間ずつ授業を受けるのは、予習や復習、宿題も含めて結構大変でした。それでも、今ではなつかしい思い出です。

「ほうら、やっぱり英語では苦労しているじゃないか。だから子どもの時からやっておいた方が楽なんだよ」と言い出す方がいらっしゃるかもしれません。しかし断じて言いますが、やはり小学校では必要はないと思います。最高クラスで苦労したのは、慣れと接触量の問題だとわかっているからです。

一面、確かに、時代が変わってきたのだろうと思います。私事で恐縮ですが、父が、旧帝国大学系の法学部に合格した自分の経験から、「高校時代は、そんなに受験技術ばかり詰め込むものではない。勉強なんて学校でしっかり聞くだけで充分で、むしろ若いうちは、体力作りや友人の間で揉まれる経験の方が、将来にとってずっと役に立つものだ。大学受験なんて、高校三年の秋に修学旅行が終わった頃から、ちょこちょこやれば通過できるものだ」と私の担任に言ったところ「お父さん、今は時代が違いますよ。そんなのんびりしたことを言っていたら、人生棒に振りますよ」と真剣に注意されてしまったことを、今思い出しました。確かに…。この歳になると、都市銀行の管理職だった父の言ったことは、基本的に正しく、本当にありがたかったと思いますが、同時に、受験状況が全く違いましたから、担任の心配もわかります。よって、ここに書いていることは、子ども達の世代に対して、父と同じような無理難題を言っているようなものかもしれません。

新渡戸シンポで発表されていた講師の先生方は、おそらく、英語は言うまでもなく、エスペラントでもドイツ語でも、その他のヨーロッパ諸語やアジア諸語でも、論文が書け、学術的討論ができる程度の語学力をお持ちなのだろうと思います。だからこそ、英語支配の問題点を議論し、多文化多言語の共生について啓蒙的であられるのだろうと思われます。一方、そこで私が疑問に思うのは、そういう高度な語学力は、一部のエリートと専門通訳者がしっかりしていれば済む話で、何も一億二千万人の人口すべてが、子どものうちから鍛えられなければならないはずがないのではないか、ということなのです。世の中には役割分担というものがあります。それぞれの得意技でしっかりと生きていけるのが一番です。わざわざ英語その他の諸言語を小学校から‘押しつけ’て、「異文化に対する理解と寛容」の名の下に、他愛もない優越感と歪んだコンプレックスを植え付けなくてもいいじゃないか、と思います。

ここで一つ、今でも気になっていることを、書かせていただきます。平高史也先生には、ラジオドイツ語講座の聴者としてずい分前にお世話になりましたが、新渡戸シンポで次のようなことをおっしゃっていました。

藤沢市の北部地域は外国人が多く、ある小学校では児童の5%が外国籍なのだそうです。当然のことながら、その子ども達には、母語継承教育とホスト国の日本語教育の双方が重要なのですが、それが日本側の意識を変えることになるのではないか、むしろそうでなければならない、という主張のようでした。

私が気になったのは、議論の際に平高先生が披露されたエピソードです。慶応大学の学生さん達が、ある時、小学校で英語以外の幾つかの言語で教育実習したところ、子ども達が休み時間に「わーい、今日は慶応大学のお兄さん達に、英語教えてもらった!」と喜んでいた、というのです。「これほど英語が根強いとは…」「保護者が英語に必死なんですよね」と嘆きのような言葉が聞かれたように記憶しているのですが、正直なところ、私が問題にしたかったのは、子どもや親の英語に対する‘執着’ではなく、むしろ学生さんの実習態度の方なのです。もしも学生達がそのような報告を持ち帰ってきたとしたら、私なら教案の再提出をさせ、どのように導入したかを再現させます。そして、厳しく注意するでしょう。「あなた達は一体、よそ様の学校に出て行って、何を教えてきたんですか」と。ですから、平高先生と私とでは、ベクトルがまるで逆なのです。

日本語教師になるための実習をしていた頃、「学習者がちっとも覚えてくれない」「こんなに説明したのに、理解してくれない」という科白は禁句であると訓練されました。相手に通じないような教え方をしている方が悪い、というわけです。これには今でも同意できます。日本語教育の現場から離れてもうかなりの年数が経ちますが、日本語以外の科目を担当するようになっても、その教えは生きていました。そして、記述試験をしてみると、伝わる人には見事に伝わっているということが発見できたのです。

平高先生はお忙しくて、より適切なエピソードが見つからなかったのかもしれませんが、私が疑問に思ったのは、そういうことです。もう一点、私なりの意見としては、小学校レベルで、単なる好奇心をくすぐるに過ぎないような英語以外の諸言語を、学生がお遊びのように「楽しく」中途半端に教えることには、英語導入以上に反対です。必要に迫られない限り、子ども達のエネルギーはもっと他のことに注がれるべきです。例えば、読書習慣をつけること、集中力や思考力を伸ばすこと、創造性豊かな感性を育むこと、何よりも丈夫でたくましい体に鍛えること、です。そういう基本ができていてこそ、異なる文化への理解や開かれた心がつくられていくのではないでしょうか。どうも頭でっかちの議論に聞こえてなりません。

以前、イスラエル人の先生が、私の英語版はてな日記を見つけて連絡をくださったという話を書きました(2007年7月25日)。その先生ご夫妻には、お嬢さんが一人いらっしゃるのですが、特別外国人枠で、ある大学付属の学校に通っているそうです。もちろん、日本語で教育を受けているのですが、ヘブライ語を忘れて欲しくないというアイデンティティ保持の意味から、ご自宅ではヘブライ語で話しかけ、日本語は使わないようにしているそうです。それと同時に、将来に備えて英語の読み物を取り寄せ、小さい頃から読み聞かせしているとのことでした。つまり三言語話者ということになりますが、多分、イスラエルの状況ならそれぐらい当然のこととして、大抵のユダヤ人が長年やって来られたのだろうと想像します。そこで平高先生にうかがいますが、こういう子どものいるクラスで、誰がヘブライ語を担当されますか?単なる異文化への寛容どころじゃない、何千年も使われてきた聖書の原語ですよ。別の事例では、日本でムスリムの子ども達も増えてきていますが、アラビア語学習は、モスクやムスリムの学習会でなされているそうです。アラビア語、誰が小学校で教えられるのでしょうか?言葉だけじゃなく、クルアーンの知識そのものが必要なんですよ。

繰り返しになりますが、新渡戸シンポの全体的な感想として、言語だけを焦点に当てているために議論がやや平板で新鮮味に欠けたのではないか、という私見は、以上のことからも裏付けられます。