ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

京都と大阪と...

河合隼雄先生がご逝去されました。

日文研の公開講演会で1998年から2001年までの間に、近くの席から間近に拝見したことがあります。ある日は、センター所長としてのご挨拶の時「今日は風邪を引いているので、これで帰ります」などとスパスパおっしゃったことを、今でもよく覚えています。

以前から、京都大学教育学部の心理教育相談室の部屋(地下室)の近くを通る度に、「この場所から、河合隼雄先生の膨大な著作の源泉が生まれたのだなあ」としみじみ感慨を覚えていました。誠に勝手な憶測ながら、京大教授として、一般向けにも日本の古典や民話や神話などの分析を語り、次々と文章にまとめていらっしゃった頃が、私的には最も輝き、一番お幸せでいらしたようにお見受けします。文化庁長官に就任されてからは、テレビニュースの画面では、顔つきが険しくなられたように見えたので、さすがの心理学者もご心労ご過労が絶えないのでは、と感じておりました。晩年の「これからは一神教ではなく、多神教の時代だ」などという発言が、日本のキリスト教関係者の間でかなり顰蹙を買っていたのも、今では懐かしく思われます。

日文研からはよく葉書が届くので、時々催しもので行きますが、講演会などは、広く立派な会場がいつもほぼ満席です。中高年の男女がほとんどで、若い層はあまりいませんが、それでも大学院生らしい人が、都合をつけて出席している姿をチラホラみかけることはあります。昨年秋の公開行事の時には、参加者の中年男性が「河合先生のご加減は、いかがですか」とセンター付の先生に尋ねておられ、地元の人々の関心の高さがうかがえました。京都は、こういう一見普通のおじさまおばさまが、「ご近所の昔話」として日本文化史を熟知されていることも多いので、日文研の先生方にとって、刺激的である一方、気の抜けない緊張感があるのでは、と思います。私としては、関西に来てから、急に文化程度が上昇したような経験ができ、とても感謝しています。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。どうぞごゆっくりお休みください。

ところで、昨日の大阪は暑かったですね。新潟で断水と聞き、被災者の方々のことを思えばこの暑さくらい、と思いますが、日傘をさして市中を歩くのも、結構疲れるものです。

特定疾患医療受給証書の更新手続きの待ち時間は一時間ほどと、予想以上にかかりましたが、それでも、保健師さんとの面談はたっぷり25分とってもらい、細々とした日常生活のことをお話したり、助言をいただいたりしました。「若年性ですから、ご主人にとっても奥様の存在が大事なんじゃないでしょうか。ご主人一人だったら、こういう状態は、何かといろいろ難しいんじゃないかと思います」などと、まだ20代半ばぐらいの若い保健師さんに言われて、何だかくすぐったいような気分になりました。「健康ノート」と称して、医療関連のあらゆる記録を貼ったり書いたりした帳面を持ち歩いているのですが、目敏く見つけられて、それも感心されて褒めていただき、ちょっと誇らしく思いました。

学会や研究会では、学位をどこで取得したか、論文をどこに何本出したか、どれだけ科研費をとれたか、本を何冊出版したかが評価基準になっているので、私など何も褒められることはなく、ここ十年ほどはずっとしょぼくれた気持ちでいました。「まだ非常勤やってるんですか」「所属がないのぉ?」などと、クリスチャンを名乗る人からもしばしば言われて、くさっていたのですが、別の観点からは、こうして見ていただけて、とてもうれしいです。私にも存在意義があるんだ、私なりに頑張っているじゃない…。ちょっと元気が出てきました。

本来は、何事も主治医に尋ねるようにということですが、同じ相談事でも、大学病院の教授医師に伝えるよりも、女性の保健師さんに対して話す方が、気持ちをわかってもらいやすく感じます。私の住んでいる町は、主人のような人達に対して、半年ずつお見舞い金を支給してくださるのです。どの議員さんの提案なのか、大変感謝しております。本当にありがとうございます。額そのものよりも、制度的に支えていただいているという実感が、何よりうれしいのです。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

パスポート更新の書類申請の方は、パスポートセンターに辿り着くまでは時間がかかりましたが、手続きそのものは簡単に済みました。外務省の渡航注意を国毎に読み、締め付けられるような思いがしました。特に、フィリピン南部では、キリスト教徒や富裕層(日本人も含む)がねらわれているそうです。この地域は、マレーシアのサバ州と近いので、何かと心配です。