ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

無駄の効用

今日は、先週、毎晩十時近くまで仕事を頑張った主人へのご褒美と気分転換を兼ねて、割引クーポンを持って、ステーキ屋さんへ外食に行きました。外食だとたくさん食べてくれるので、こちらもほっとします。よほど料理の腕が低いのだと思いますが、家庭料理は、気づかないうちにワンパターンになってしまいますから...。

それにしても、こうして好きな時に好きなものを食べられる平和な国と時代に生まれたことを、心から感謝すると同時に、本来は充分食べられるはずの人々が食べられない現実があることにも思いを馳せ、何らかの形で貢献できればと願うものです。

こういった環境問題とか食糧問題などについて考える度に、この歳になってもまだ、もし理系だったらもっと直接的な仕事ができたのに、と思うこともしばしばあります。数学も生物学も化学も嫌いじゃなかったのに、成績が不十分だったので今更いたしかたありませんが。国境なき医師団などのパンフレットを読むと、内側からとても強い使命感が湧いてくるような気になります。「右の手のなすことを左の手に知らすな」(日本聖書協会新約聖書』1951年「マタイ伝6章3節)と聖書にありますので、これ以上は申せませんが、今までしてきたことより、もっと何かスペシャリストとしての貢献ができればという気持ちが、最近とみに増してきました。

主人も弟も理系で、専門分野がはっきりしているので、文系でいうところのリクルートスーツを着ての就職活動とは無縁で、人生が非常にすっきりしているのです。まじめに普通に授業を受けて、やることをやっていれば、成績に沿って教授が職を推薦してくださり、ストレートに正規職へ。私など、青春真っ盛りの時期でも、いつも将来の不安ばかり抱えていたので、その点、時間の過ごし方や何をどのように勉強するかなどの姿勢が全く違います。

とはいえ、こうしてマレーシアのリサーチと勉強が続けられるのも、マレーシアで働いていた時代の貯金がまだ残っているからです。「お気楽ですね。結婚してもまだマレーシアですか。ご主人を働かせて、自分は好きなように遊んでいて...」などと言われたことはありませんが、(十年間はこのテーマでやってみよう、それでも全く光が見えないようなら、そこから方向転換してもいいじゃない)という覚悟で、ふらつきながらここまで来ました。いくら何でも、貯金もほとんどなしに、または親から借金してまで、こんなこと試みませんよ。ただ、これは国際交流基金からの研究奨学金だったのだと自分では解釈しています。だって、学校出たての若造に、あそこまでの待遇をしてくださるなんて、それは将来への予備だったとしか考えられません。

ところで、帰り道、主人が言いました。「いつもこの道を一人で歩く時には、ここに鯉が泳いでいるなんて気づくことはなかったけど、ユーリと一緒だと、鯉がいるってわかったんだよね」。そうなんです。私も知らなかったんですが、今日は鯉が何匹も泳いでいました。中には、ちょっと芸を披露、なんて感じで、トビウオごとく水から飛び跳ねてくれた愛嬌ある鯉もいました。
そういえば、中学・高校と一緒だった同窓生が、大学入学後かの集まりの時、皆の前で言いました。「先日、家の二階からたまたま見てたら、ユーリちゃんが一人で、右見たり左見たり、人の家の窓を眺めたり、道端の草花を見つめたりして、楽しそうに歩いていたんだよね。子どもみたいで、こっちが恥ずかしかった」と。実は、今でもそれは変わりません。一緒に歩く人を恥ずかしがらせているかもしれませんが、これは、私なりのささやかな人生の楽しみなんです。同じ道を歩いたとしても、一度たりとも同じ光景は、絶対にありえないんですから。

今日は、おかげさまで本の受注もあったし、小さなアルバイトの依頼も入ったし、ギル・シャハム氏と江口玲氏のCD「フォーレ・アルバム」も届いたし、まずまず善き日です。日日是好日。感謝。