ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

写真のお話その他...

たった今、先日の国際聖書フォーラムも含めて、ここ数ヶ月に撮った写真が届きました。

二日目に撮った、アジア各国の聖書協会総主事の貴重なシーンは、どういうわけか、ぶれが大きく不鮮明で、とてもじゃないけれどお送りすることができません。あぁ、残念!!どうしてこうなるんでしょう?一日目のレセプションの場面のみ、焼き増しを郵送することでお許しいただくしかありませんね。先生方はご自分のカメラでも撮っていらしたので、何も私ごときが出しゃばる必要もないかと思うのですが、これまでに何度も論文や本を送ってくださり、愚問拙問にもいろいろとお答えいただき、せっかくの記念ですから…。

できた写真をテーブルに並べてみると、この上もなく至福感に満たされます。

(1) 2007年3月24日 兵庫県立芸術文化ホール(西宮)
小菅優庄司紗矢香 デュオ・リサイタル
サイン会の時のツーショット!お二人とも、若々しく爽やかな笑顔が、本当にすてきですね…。
紗矢香さんについては、コリン・デーヴィス卿指揮のロンドン交響楽団とのシベリウスケント・ナガノ指揮のメンデルスゾーン、アラン・ギルバート指揮のブラームスの各ヴァイオリン協奏曲を、京都や大阪で堪能しました。小菅さんは、事前にCDで予習してありましたが、生演奏では、この時初めて聴きました。スケールの大きな堂々たる演奏で、特に「熱情」はすばらしかったです。早速、図書館で彼女の本を借りて読みました。当日の率直な印象では、合わせのペアとしては、今ひとつ、だったかな、と思いましたが、とにかく、お二人とも優れた才能をお持ちで、今後がますます楽しみです。(それぞれのコンサート評については、後日、改めて書きます。)

(2) 2007年6月1日 ザ・シンフォニーホール(大阪) 
五嶋みどり & ロバート・マクドナルド  デュオ・リサイタル
チケットは常に即日完売だと、小澤真智子さんのお母様が先日もおっしゃっていましたが、幸運なことに、私にとって、お二人の演奏会はこれで2回目です。しかも同じホールで…。Meet& Greetというサイン会を、演奏終了後に開いてくださるのですが、ものすごい人で待ち時間も大変です。今回は、お母様の節先生が、私達へのサービスなのか、待っている人混みの中を足取りさわやかに何度か往来してくださったので、これまた感激しました。

さすがにみどりさんには、サインと握手をいただけるだけでもう充分ありがたい、という気分ですが、この日は、マクドナルドさんに写真をご一緒していただきました。もう、信じられない! 本当に私でもいいんですか?というところですけれど、実に気さくに並んでくださいました。想像以上にきれいなショットになっていて、ただただもう深謝です。お二人の場合、お付き人がまだうら若き女性なのに、これまたきめ細やかで非常に有能な方達なのです。みどりさんもマクドナルドさんも、演奏直後でお疲れのはず。でも、始終笑みを絶やさず、端正かつ親しみのこもった振る舞いを示されるところに、やっぱり世界水準は違うなあ、と深い感慨を覚えました。

ここまで書くと、返す返すも惜しまれるのが、5月22日のギル・シャハム バイオリンリサイタル ピアノ: 江口玲(於:大阪・イシハラホール)」の写真がないことです。カメラをすっかり忘れていました。この際なので書き添えますと、これもすばらしい演奏会でした。翌日も、ぼぅっとして夢心地でした。音が体中に染み込み踊っているような感覚、と言えば伝わるでしょうか?
男性二人のデュオというのは、どういう合わせになるのかと思っていましたが、端的に言えば、すぐれて大人の演奏会です。
サインをいただいた時、知的な面立ちのギル・シャハムさんからじっと見つめられ、びっくりしました。もう若くもない私なのに??江口玲さんも、繊細な心配りをされる何ともあったかい感じのする方でした。有名な演奏家は気むずかしいものかと思っていましたが、実際には、優れた方であればあるほど、腰が低くて優雅で洗練されているということが、よくわかりました。

江口玲さんの個性的なホームページはこちらにあります。
http://www.akiraeguchi.com/cgi/kboard.cgi
私も「ユーリ」の名前で書き込みしています。江口さんからは、しっかりフォローまでいただいています!!

話を文頭に戻しますが、改めて国際聖書フォーラムの写真を見ると、「キリスト教界の重鎮」ばかりの会合に、なんで私が場違いにも居座って、と再び思わせられるのですが、実際はどうなんでしょう?一般に広報された以上は、関心があるということを条件に、お金を払えば本当に出向いてもいいんでしょうか、と念押ししたくなるような雰囲気が、どこかに漂っている感じなのです。

こういう風に感じさせるところが、実は日本のキリスト教の低迷の一原因かとも思うのですが..。以前、国立大学の研究職に就いている専任教官や外務省勤務の外交官から「宗教の話を持ち出すだけで普通の日本人は引いてしまうから、研究発表の時は気をつけるように」などと、私でも忠言されたぐらいですもん。クラシックの場合は、最近では、演奏家の方が下に降りて来てくださっていることもありますが、若い人達も気軽に詰めかけて感動している演奏会が少なくありません。そこが大事な相違点だろうと思うのです。

話は突然変わりますが、ここ数日、大学の9月入学の話題について新聞投稿しようかと考え、材料をテーブルに載せたままになっています。なかなかアイデアがまとまりません。私事で恐縮ですが、父方の大叔父(私の祖母の弟)が信州大学学長だった頃、すでにこの案を何度も提示し、本にも何度か書いています。新自由クラブの時代、といえばおわかりでしょうか。今の大学関係者には、こういう過去の事実を知らないままに、議論し発言することも皆無ではない現状があるので、たとえ主婦であっても黙っていられない気分になります....。