ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

びわ湖でピアソラを聴く

今日は、びわ湖ホール川久保賜紀さん「プレイズ・ピアソラ」の演奏会に行ってきました。これは、主人の発案によるもので、なんと1週間前にチケットを予約したという...。S席で3000円という格安さは、文化庁芸術拠点形成事業の一環だということと、県立ホールだからでもあるでしょうか。このホールは、他の演奏会も大抵このようなお値段でチケットが販売されているようです。
そもそも、ゴールデンウィークだから何か気軽に楽しめそうな演奏会に行こう、ということと、びわ湖ホールは初めてだから行ってみたい、という理由からだったのですが、ピアニストが江口玲氏だったことも大きいです。びわ湖ホールは、広い敷地をたっぷりと使ったホールで、近くにはいいホテルもあるので、海外からの演奏家にとってもくつろげる場所かもしれませんね。外国人もちらほら見かけました。

江口氏は、ギル・シャハム氏とのリサイタルで2年前の5月22日にお目にかかって以来ですが(参照:2007年7月4日付「ユーリの部屋」)、ご自身の卓越したピアノ技量もさることながら、本当に弦楽奏者を引き立てるのがお上手で、細やかな心配りが自然にできる本物のプロフェッショナルなピアニストだというところに、とても惹かれました。それからは、ラジオでもご自身のホームページでも、すっかりおなじみになっています。が、どういうわけか、生演奏は、今回が久しぶりという運びになりました。期待をまったく裏切らず、あのままの方でした。体型は、ますます親しみの持てる風貌になられたような...つまり、もしその辺で見かけたとしたら、この方が著名なピアニストだってちょっとわからないかもしれない、それほど気さくに振る舞ってくださる方だということです。一つには、正装ではなく、比較的ラフな服装で出てこられたからということもあります。本当に、ピアノが素晴らしかった!
川久保賜紀さんは、初めて生演奏に触れましたが、もちろん、テレビでも音楽雑誌でもずっと前から拝見していました。アメリカ育ちということもあってか、日本語で話す時がちょっと普通っぽい感じだという点と、チャイコフスキー・コンクールで一位なしの二位だったということが印象に残っていました。この「最高位だけど優勝じゃない」という点がくせ者で、その時点で参加したコンテスタントの中では最も優秀なのだけれど、「当該コンクールが理想として要求する水準」には至っていないという、極めて水物というのか、運次第というのか、難しい側面がつきまとうのですね。すごい快挙だとは思うものの、やはりその点で素人には印象が違って聞こえてしまうからです。とはいえ、コンクールは通過点なのであって、その後が大事。たとえコンクール三位だとしても、その後、めざましく躍進している方もたくさんいらっしゃいます。当日の体調や天候その他の条件にも左右されるでしょうし、参加することで目を留めていただける機会も増えることでしょう。
ただ、今回演奏を聴かせていただいて感じたのは、とても安定した演奏ぶりで、難しい箇所もさりげなくさらっと弾きこなせてしまう点、さすがだなあ、とは思ったものの、そこで感動が止まるような気がしたことでした。ザッハール・ブロン氏に師事していたので、もっと個性を押し出した強い演奏ぶりなのかと思ったところ、いかにも末長く演奏活動のエネルギーが持続しそうな様子でした。
第一曲目のベートーベンのソナタ「春」も、柔らかく軽やかな音色で始まり、濃淡さまざまな表情がとても美しく、しかもピアノにぴたりと寄り添うような感じで、ミスもなく安心して聴けるという点で、何も文句のつけようがない立派な演奏なのですが、私にとっては、なぜかそこで終わり。二曲目のサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」も、さすがに2001年サラサーテ国際ヴァイオリンコンクール優勝者だけあって、第一音から妙な力こぶもない、難度を難度とも思わせない素晴らしい演奏ですが、あまりにさらっと上手過ぎて、私にとっては、またもやそこで終わり。
なぜなのだろう、と考えてみました。もしかしたら、ここが「一位なしの最高位」の理由なのかもしれない、と思ったのですが。例えるならば、2006年6月20日京都コンサートホール五嶋龍さんの生演奏を聴いた時の印象に近いかな?(参照:2007年11月20日付「ユーリの部屋」)彼はいかにもサラブレット育ちそのもので、文句なしにすばらしいことは言うまでもなく。でも、印象がそこで終わりだったんです、少なくとも当時は。
もちろん、これは好みの問題に過ぎず、演奏会としては上等そのものです。あ、ただこの二曲の選曲が妥当だったかどうかは、なぜベートーベンとサラサーテの組み合わせなのか理由がわからず、やや疑問に思いました。
ところが、20分間の休憩(外でびわ湖を眺めているとあっという間だった!)をはさんで、メインのピアソラになると、さすがにご自身が好きだとおっしゃっているだけあって、途端にムードが変わり、楽しい雰囲気になりました。前半の薄いブルーのドレスから、後半は黄金色の上部に焦げ茶色の長いフレアースカートというドレスにお色直しされた川久保さん、気合い入っていましたね。それに、チェロの遠藤真理さん、この方も初めてお目にかかりましたが、愛らしい感じの顔立ちに真っ赤なドレス、今後が非常に期待できそうな真摯な演奏ぶりでした。
「オプリビオンー忘却ー」「リベル・タンゴ」は、ヴァイオリンとピアノ、「ル・グラン・タンゴ」はチェロとピアノ、そして最後の「ブエノスアイレスの四季」は三重奏、アンコールは二曲で、ピアソラの「天使の組曲」より「イントロダクション」そしてモンティの「チャルダッシュ」でした。最後の曲は有名ですが、チェロが入ると音色と音域に深みが増し、楽しく聴かせていただきました。
客層は、「25歳未満の青少年には1000円」という破格の安さで広くクラシック音楽に親しんでもらおうという主催者/ホール側の意図とは裏腹に、小さい子どもは少なく、若い世代もそれほど多くはなく、中高年中心だったように思います。また、3階席4階席および2階席の中央後ろはガラガラで、全体として7割ぐらいの入りだったかもしれません。なんだかもったいないなあ、演奏家に失礼ではないか、とさえ思われます。
サイン会もありましたが、今回は失礼させていただきました。他のホールと違って、アンコール曲の掲示板を携帯で写真にとる人もいなかったような...。
帰宅してから、川久保賜紀さんと遠藤真理さんの公式サイトを拝見しました。演奏会が成立するための人脈コネクションや演奏家の組み合わせパターンが何となくわかってきたのと、お二人とも、若くてみずみずしい人柄で、人間関係を大切にされながら、活躍の場を確保ないしは着実に広げていかれるタイプなんだろうなあと思いました。
つまりはこういうことです。演奏は文句なしに素晴らしいのだけれど、何か一つインパクトとして強烈なものが感じられなかったのは、この人柄のよさや上手な人間関係によるのではないか、と。あるいは、私が好む演奏家は、五嶋みどりさんや庄司紗矢香さんにしろ、エレーヌ・グリモーギドン・クレーメルギル・シャハムにせよ、何か突出した個性や生い立ちにおける特徴ある物語を持つタイプだということです。演奏姿勢でも、直立不動ではなく、曲そのものにのめり込んでいるような、顔から汗が噴き出ているような、そんな熱演に惹かれているのだろうと思うのです。裏返せば、それだけ演奏家に負荷がかかっていることも考え合わせなければならないでしょう。
音楽雑誌のインタビューを読んでいて、いくら有名で優秀な演奏家でも、おもしろい記事と平板な記事とがありますが、一番の違いは、記憶に残る言葉や思想がにじみ出ているかどうか、です。
その意味で、上記お二人は、大変に恵まれた環境で、本当にそつのないタイプの演奏家だと思います。そして、いつまでも安定して長く続けられるような演奏活動をされることでしょう。