ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

庄司紗矢香&カシオーリの演奏会

今、昨日購入してサインもいただいたジャンルカ・カシオーリ氏のピアノを聴いています(参照:http://twitter.com/itunalily65)。バッハのトッカータとフーガ、そしてコラールなど、確かに解釈が斬新(というより、私が知らなかっただけなのかも?)で、芸風は異なるものの、何となくミケランジェリを彷彿とさせるような、ヨーロッパの音楽家とはこうなんですよ、と教えていただいているかのような個性的で本格的な印象です。
イタリア出身としてスカルラッティを入れているのは当然としても、ベートーヴェン、リスト、ドビュッシーブゾーニ、ファリャ、プロコフィエフと、一枚のCDに多彩な技巧と芸の幅の広さを示すような組み合わせ方。それもこれも、知らない曲が含まれているのに惹かれて、誕生日プレゼントとも兼ねて、と勝手に結び付けて買ってしまったのです。例えば、ドビュッシーに「ハイドンを讃えて」という曲があったなんて、これまで知りませんでした。ブゾーニの「インディアン日誌」、プロコフィエフの「束の間の幻影」「悪魔的暗示」も、初耳です。毎度思うことですが、よい演奏会をきっかけに、演奏家を通して自分なりの音楽の世界が広がることが、一番の醍醐味といえます。
近所の図書館で、『音楽の友2010年11月号の103ページに掲載されていた庄司紗矢香さんの、カシオーリ氏との出会いの喜び、そして彼の家で一週間ほど過ごした音楽三昧の至福の日々を読んでいたので、チケット購入は8月でしたが、とても楽しみにしていました。
舞台でのカシオーリ氏は、いかにもインテリ風で、どこか繊細で神経質そうな風貌。まだ31歳と若いのにやや猫背で、10月23日に八ヶ岳で始まった今回の日本ツアーの後半にさしかかった疲れが出ているようにも見えたのです。確かに、今回は地方にも出ているので、休みをおいてはいるものの、移動だけでも大変だと思います。
ただ、話が前後しますが、サイン会の時には、(紗矢香さん目当てだけじゃないんですよ)ということが伝わったのか、終わってほっとされているのか、近くで拝見すると、目が大きく笑っていて、意外に気さくそうな愛嬌のあるタイプ。とても丁寧にお名前を書いてくださいました。譜めくりの女性は、カシオーリ氏のお姉さんかな、と思っていたら、未確認情報によれば、どうやら奥様らしい、です。お二人のサインを求めて長々とした列の間も、ずっとそばに立って見守っていらっしゃいました。(ギル・シャハム氏の時も、少し離れたところに立って、奥様がじっと見守っていました。やはり、気になるんでしょうね、何かと。)

リサイタルや室内楽や歌唱にぴったりのサイズのいずみホールは、ちょうど二十周年記念とのことで、今回は終了後のカメラ・インタビューも含む招待チケットがあったようですが、二階席バルコニーに少々空席が見えた以外は、満席。平日の夕方ということもあり、開演時間の7時を過ぎても、コート片手に駆け込んでくるお客さんもいました。また、中高年中心の客層であることはもちろんとしても、制服姿の高校生もちらほら、そして、小学生の女の子達も見かけました。
もう数回来ているこのホールは、ちょうどバブル全盛期に造られたことを反映してか、幾つもある天井のシャンデリアが豪華、というより、やや派手派手しいのですが、一階席の右端近くで聴くにも悪くはありません。

さて、客席の物音もようやく静まった7時9分頃。アオザイのようなドレス、とか、ブルーに白地のお花のついた、とか、前評判をいろいろ読んではいましたが、今回の紗矢香さん、自家製のようにも見えるショッキング・ピンクで裾がやや短めのシンプル・ドレス。ヒールが低いパンプス風の靴。少し髪を切って後ろにポニーテール、右脇にピン留め。歩きにくそうな、ぎこちない足取りで、しかも、笑顔ではなく、緊張しているのか、むつっとした不機嫌そうな表情で、ゆっくりと登場。
とても27歳とは思えないほど、以前と変わらず、幼くかわいらしく見えるのですが、全体として、演奏は細かなひだにも神経を集中させて、高音部も丁寧、ささやくような音色もよく通る、といった、一音一音揺るがせにしない情感たっぷりなもの。しかも、技巧を見せびらかしたりせず、奇をねらったりしないで、オイストラフのように顔を左右に振るわせながらも、直立不動のままで幅のある音域と音色を聴かせてくださいました。
以前、リサイタルならソリストは暗譜が当然だと聞いていましたが、リゲティの頃から今回にかけては、紗矢香さんも譜面立てを置き、時々めくりながらの演奏。舞台の上で楽譜を見るには少しまぶしいのか、あるいは楽想を空中に描いているのか、紗矢香さんは、何度もむっつりした表情で見上げていました。

曲目は、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの第2番(イ長調 op.12-2)に始まって、第8番(ト長調 op.30-3)、そして二十分の休憩をはさんで第9番(イ長調 op.47)。
18分ほどの第2番は、私にとって初めて聴く曲。高音ののびやかさと曲全体の若々しく素朴な感じが、どことなく紗矢香さんに合っていて、適切な選曲ではないか、と思いました。終わって初めて、二人は顔を見合わせてにっこり。舞台袖に入る時、カシオーリ氏が何か話しかけていました。お辞儀をしに一度戻ってきた時には、「楽器にも拍手を」というかのように、ヴァイオリンを客席に見せるように持って。再び舞台袖に戻ると、中からヴァイオリンの調弦する音。
第8番は、まだ小学校三、四年ぐらいだった五嶋みどりさんがジュリアードで故ドロシー・ディレイ氏から弓遣いを指導されていたシーンで有名なフレーズを含む曲。この二曲は、まったく違った雰囲気で、ピアノとの掛け合いが見事に変化しつつ進んでいきました。細かな音も明確に奏き分けるところは、さすがだと思います。
そして7時50分からは20分の休憩。その間にCDを見に行きました。昔は、演奏会の休憩時間が長く感じられたのに、歳のせいか、あっという間に過ぎてしまいます。今回のベートーヴェンの2番と9番が入ったCDで、本当は8番もあるといいのにな、と思った次第。
そして8時12分から50分までの「クロイツェル」。今回のプログラムの中では、最も新鮮な響きと解釈で、非常に印象的。テンポは遅めで、細かなアーティキュレーションなど、初めて聴くかのような感覚。連続ピッチカートのところは、一音一音が異なるニュアンスがはっきりと出ており、あたかもお花畑に蝶がひらひらと舞っているかのような風景。ピアノも、霞空のようなくぐもったよい感じ。
唯一残念だったのは、聞きどころで大くしゃみをしたおじさん、静かなフレーズで、長く平気そうな咳き込みを続けた子ども、弓がまだ上がっているのに、そそくさと拍手を始めてしまった聴衆、の存在でしょうか。
終了後の三回のカーテンコールでは、ブラボーが出ました。8時53分頃からアンコール。紗矢香さんが、あの、顔に似合わない独特の低いだみ声で、おもむろに「春」と日本語で。第5番の二楽章でした。
いい気分で聴いていたら、終わった途端、大声で叫ぶ男の人。と同時に、さっさと立ち上がって帰って行く人が続出。(終電に間に合うように、でしょうか。)
カーテンコールの時、舞台上で手を取り合ってのお辞儀。そして、お互いに拍手し合っていました。
ちょうど9時に終了し、サイン会は9時15分ぐらいから開始。私がホールを出たのは9時半。並んでいたのは本を読みながらの背広姿の人も多く、ひたむきに自分の音楽を追求しようと着々と努力する姿に引き寄せられている人々がどういう層なのか、うかがえるように思いました。黒のスラックスに黒のセーターに黒のジャケット、と黒づくめで、やや髪が乱れたままの小柄な紗矢香さん、手をとって握手を求めるおじさんもいる中で、「ありがとうございました」とのみ言った私には、ただまっすぐに意志力のこもった瞳でこちらを見つめていました。
今回のCDジャケットや一連の写真(http://www.julienmignot.com/edito/sayakashoji/)などで、(紗矢香さんらしくないな、ヘンな商業主義に煽られないで)と密かに心配していましたが、2010年10月12日か13日の『読売新聞』やいずみホール音楽情報誌"Jupitar"(Vol.124, p.6)や昨日出かけた後に電子版記事になった『朝日新聞』(参照:2010年11月5日付「ユーリの部屋」)を読む限りにおいては、いかにもご本人らしさが貫徹されていて、一安心。このまま経験を積み重ねていって、新たな境地を開拓していってほしいと思います。そのためにも、「演奏会を年50回ぐらいに減らして、もっと勉強したい」というご本人の希望を尊重していただけたなら、と...。

PS: ただ今入ったばかりのヒラリー・ハーンのドイツでのインタビュー、とてもおもしろいですよ(http://www.ndr.de/fernsehen/sendungen/das/media/dasx939.html)。彼女はドイツ系アメリカ人ですが、家ではご両親とドイツ語を話さなかったようです。なぜか、大変わかりやすいドイツ語です。Viel Spaß!