ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

クラシック音楽とキリスト教と....

国際聖書フォーラムの話から少し脇道に逸れて、昨日見た二つのテレビ番組について考えてみます。

普段は、クラシック音楽以外ほとんどテレビを見ません。見る時間がないからです。昨日は、例外的に三つの番組を見て、あっという間に一日が終わってしまいました。

ABCテレビ愛と魂のピアニスト フジコ・ヘミング物語」14:00-15:30
NHK教育テレビN響アワーブルックナー特集」21:00-22:00
・同上「ETV特集:言葉で奏でる音楽:吉田秀和の軌跡」22:00-23:30

フジ子・ヘミングさん(上記のテレビ番組表では表記が「フジコ」)は、私もCDを二枚持っていますが、独特の風変わりな衣装とミスタッチが多いのになぜか惹きつけられる不思議な演奏で、1999年頃から急にマスコミでも騒がれたピアニストです。プロの間では、眉をひそめる方もいるとか...。ただし日本に限れば、キリスト教界と同様、経済不況に悩むクラシック音楽界にあって、あれだけの集客力を持つ方というのは、専門性やビジネス面とは別に、それなりに評価されるべきだろうと思います。

「敷居が高い」

さすがにこれぐらいの歳になると、その奥深さと高遠さがわかるようになるだけに、クラシック音楽キリスト教も、何となく敷居が高いと敬遠したくなる感情は私も経験しています。わからない時の方が、ノコノコどこにでも出かけて行けたのですが。その点、フジ子さんが自然な形で裾野を広げてくださったことには、感謝すべきではないでしょうか。「クラシックってよくわからなかったけど、なんか涙が出た」なんていう感想をテレビで何人かがおっしゃっていましたが、妙に知ったかぶりするよりも、原初的で大事なことだろうと思います。多分、フジ子さんの苦難多き波乱万丈の人生が、後半になって急に花開いた、というところに、多くの人々を勇気づけ、共感せしめるものがあるんでしょうね。また、単なるテクニックと音楽性ではなく、生き方そのものが音を通して訴えかけてくる、そこに人が惹かれているのだろうと思います。

2000年9月4日のテレビ出演でおっしゃっていましたが、フジ子さんは、人生急展開の前に、ハバクク書からの示しをいただいていたのだそうです。

たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。」(日本聖書協会新共同訳』1998年「ハバクク2章3節

この言葉を、ある日の教会ミサ(フジ子さんは熱心なカトリック信者)の典礼で見て、(なんだろう?)と思っていたら、NHKからの取材申し込みの話が来て、それ以降、とんとんと道が開けていったとのことでした。

昨日の番組でも、「神様は、私が正直にやってきたことを見ていてくださった」とおっしゃっていました。その一方で、「幸せですか?」との問いに対し、少し考えて、個人としては、2,3年先までコンサートスケジュールがあって、こうしていられる今は幸せだが、世界を見渡せば、あちらこちらで紛争もあり、食べるものすらない人々がいっぱいいて、それを思うと幸せとは言えない、という意味のことを語られていました。

恐らく、こういうバランス感覚と感性こそが、クラシックにそれほど関心のなかった人々をも魅了しているのではないでしょうか。

ところで、クラシック演奏家でクリスチャンといえば、さっと思い浮かぶのが五嶋みどりさん。米国聖公会の聖ヨハネ大聖堂(ニューヨーク)で堅信礼を受け、日曜毎に教会に通っていることでも有名ですね。(レセプションでヴァイオリンを演奏してくださった小澤真智子さんも「尊敬している。みどりはすごい!」と私におっしゃいました。)ヴァイオリンの専門性は言うまでもなく、子ども達への教育プログラムだとか、演奏活動の傍らの大学院での心理学研究とか、華やかな活躍ぶりが目立つ方ですが、実は私的人生そのものが苛酷なだけにかえって訴えかけるものがあり、しかしそれが普遍性のあるメッセージだというところに、魅力を放つ要素が秘められているのだろうと思います。

さて、もう一つのとても興味深かった番組は、吉田秀和氏に関するETV特集でした。奥様を亡くされて一時断筆されていたものの、93歳の今もお元気でお仕事を続けていらっしゃるお姿は、実に素晴らしい、の一言に尽きます。パソコンを使わず、万年筆で原稿用紙に書かれるのだそうですが、テレビで拝見していても気持ちが落ち着きました。(本当は私もそうしたい!!)

懐かしかったのは、小林秀雄阿部六郎中原中也などのお名前が出てきた時です。高校の頃から、中原中也の詩に夢中になって読み漁りましたが、国文学科の卒論では、結局取り上げることはしませんでした。なぜなら、中原中也の周囲には、小林秀雄のみならず、河上徹太郎大岡昇平など、手の届かない綺羅星のような巨人の名が、ご畏友として、ご逝去後の当時も轟いていたからです。どうして22歳の小娘に文学が論じられようか!!

小林秀雄氏のご令妹様の高見澤潤子氏が日本基督教団の信徒であり、阿部六郎氏が奥様ともどもカトリックだったことなどは、広く知られています。夭折した中原中也も、キリスト教に惹かれていた時期があったらしい形跡を、作品からうかがうことができます。

私にとっては、ここに記させていただいた方々すべて、遙か遠いご存在でありながら、畏れ多くも見上げる方向が共通していたところに、どこかご縁を感じないわけにいきませんでした。