ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

音楽の力

今回のアンネ=ゾフィー・ムターのリサイタルについて、他の人達の書き込みを読むと、だいたい私の印象と一致していることがわかり、うれしくなります。
それにしても便利な世の中になったものです。一昨日の夜は、ふと思いついてCD棚を整理してみました。結婚後に集めたものは計63枚(含プレゼント)。少ないようですが、演奏会場で思い出として購入するのが原則。そして、どうしても手元に置いて好きな時に何度も聴きたい演奏家や曲目のみに限定しているので、こうなってしまったというわけです。その他には、ituneで購入した曲目も少しあります。
普段は図書館でCDを借り、音楽雑誌に毎月目を通して、新聞と併せて必要な記事をコピーしたりスクラップしたりもします。夕方にはFM-NHKのベスト・オブ・クラシックを聴き、日曜夜にはN響アワーを見るのが習慣です。テレビから録画したものも、かなりたまりました。
今は、過去の演奏会のプログラムを取り出して、整理にかかろうとしています。ここ10数年でかなり、交響曲や協奏曲や弦楽器の曲を新しく覚え、視野が広がり、一流の演奏家のコンサートやリサイタルにも行けるようになりました。
インターネットのおかげで、それまで専門雑誌や音楽関係者の口コミなどを通しての断片的な情報だった演奏家のエピソードや曲目などに関して、層が新たに広がり、聴衆全体の耳が肥えたのは確かだろうとも思います。2000年前には、まだ個人ブログがほとんどなく、ファンクラブのようにして、掲示板にいろいろ書き込みをしていました。その当時は、今よりもお互いに応答し合っていたようにも思いますが、最近では、ブログ上で感想を書くなど、個人発信の一方通行のような気もします。ただ、読み、読まれていることは確かなので、これも新しいコミュニケーションの一形態なのでしょう。
私自身、1999年頃の書き込みのプリントアウトや、友人に書き送った演奏会の感想メールなども、今読むとまだ途上中で、素人そのものなのが、我ながらおかしいです。
ただ、あの時、テレビでの露出度が高く、マスコミでも騒がれていた人気ヴァイオリニストなどは、その後の若手日本人演奏家達のめざましい国際的な活躍により、いつの間にか影を潜めるようになったことにも気づきました。もっとも、日本人演奏家としては、恵まれた家庭環境と小さな頃からの顕著な活躍ぶりで、当時としては、国産品としての日本向け一モデルであったことは事実です。ただ、あまりにも楽器自慢が過ぎたり、何歳から楽器を始めたとか、「難しいからこの曲を弾くのではなく、感動を伝えたいから弾くのです」「伝えたい何か大切なもの」「技術より心が大切」などの理屈が言葉の上で先行し過ぎていて、肝心の演奏では、何やら難しそうに弾いているなあ、というギャップが目立ちました。
もっとも、聴衆にはいろいろな段階の求めがあるので、今でもその人は各地で演奏活動を続けてはいますが、今となっては、私にとってのヴァイオリン曲の導入役だった、とも思います。換言すれば、私なりに成長できたということです。今ではもう、その人の演奏は聴けなくなってしまい、演奏会にも行っていません。
経験から一言いえるのは、遠慮して安いチケットで無理に我慢するとか、敷居の高さを感じさせないという理由で、不満の残る演奏会に行ってはいけないということです。多少背伸びをしてでも、よい演奏家のいい演奏を聴きに行けば、確実に得られる納得と感動というものがあり、人生を少しずつ変えていく力さえ与えられます。
2007年6月に始めたブログですが、これまでに書いた演奏家達は、合唱の一部を除き、国際的な一流どころがほとんどで、期待を裏切られることが、まずありませんでした。それによって、自分自身にも選択上の満足感が得られ、一歩一歩前向きな姿勢ができてきました。ここに、音楽の力がこめられていると思います。