ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

流行の教育方法論とは

古いメーリングリストを整理していたら、以下のようなものが出てきた。

JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル
No.2748    H30.01.24   7,975部


方法論に終始する「問題解決型学習」
今井信吾


・従来の授業形態を知識詰め込みの「知識注入型教育」であるとして批判する中で導入されたのが「ゆとり教育」であった。昭和55年度から小学校、中学校、高校と徐々に実施されたが、大まかに言へば「(1)教科内容と授業時間数の削減、(2)教科書のない『総合的な学習の時間』の設置、(3)自ら課題を見付け自ら学び考へる主体的な問題解決力の育成」といふものである。


・しかし学力の低下が指摘されたことから「ゆとり教育」が指向され、新たに提唱されたのが主体的・対話的で深い学びの実現を目指す「アクティブラーニング」(問題解決型学習)であった。


・もともとアメリカの教育学者、ジョン=デューイ(1952年歿)の学習理論で、「学習」とはそもそも能動的に行ふものであり、知識の暗記のやうな受動的な学習ではなく、自らの問題を発見し解決していく能力を身につける、といふものである。


・この学習の特徴は、まづ自分で教科書で基本的な知識を理解することを前提とし、それを踏まへて授業で積極的に他者と対話しながら自分の意見を形成していくところにある。現在、学校現場ではこの「アクティブラーニング」の研修会や授業実践が盛んに行はれてゐる。


・筆者が参加したある研修会で、講師の大学教授は「私の90分間の授業で講義するのは10分間だけ。あとは学生によるディスカッション(討論)やプレゼンテーション(報告・発表)を自由にさせてゐます」と語ってゐた。つまり、先生が教壇に立って教授することを極力避け、学生の自主性に任せるといふ方法なのである。


・一昨年度、某校(一年生)の「総合的な学習」の時間で課題研究が行はれた。まづ各自が自分に関心のあるテーマを準備する。それに基づいて研究テーマを絞り込むためのブレーンストーミング集団思考、集団発想法)を行ふ。テーマが決まったら、グループごとの討論、ICT(コンピュータ―やネットワークを使ふ情報通信技術)による発表を行ひ、最後は到達目標に達したか否かをルーブリック(評価指標)によって生徒たちを指導する。


・生徒の中には、テーマと真剣に向き合ってゐない者もゐて、少し行き詰まると「先生、別のテーマに変へてもいいですか?」と言ってくる。そして新しいテーマに関する情報をインターネットから巧みに引用し情報を上手に「整理」して発表を終へる。論点などない。したがって、生徒同士が真剣に討論することもないし、発表者に質問をすることもない。すべてが表面的な作業である。生徒の知識理解は二の次なのである。これでは学力がつくはずがない。


・須く「学問は学者の人格、志、生き方を離れては存在しない」(福田恆存)ことを忘れてゐる。


・このやうに今の教育界ではカタカナ語を頻用した方法論に終始して、基本的な「ものを考へる(言葉を学ぶ)」「志を育てる」といふ教育が等閑りにされてゐる。学習指導要領がいふ「人間性豊かな教育」を実践するためには、自由気ままにおしゃべりをすることではない。古典的名著や偉人の生き方に謙虚に学び、「人生」の質を高めなくてはならない。古典に宿る先人の命に触れれば、生徒の心も自づと躍動する。心を働かす訓練なくして単に方法や技術に固執する考へ方は、社会制度を変革すれば社会は良くなるとした人間不在の社会主義思想にも通じるのである。


・筆者は「アクティブラーニング」と言ふならば、幕末の「吉田松陰先生に学べ!」と言ひたい。先生の『野山獄読書記』を開くと、「甲寅((安政元年))10月念4日((24日))入獄」からその年の12月までの僅かの期間に資治通鑑』や『日本外史』など「大略106冊」を読破したと記されてゐる。先生は熱心に読書をする一方で、ほぼ全国を旅して知識を吸収し、大事な事柄については抄録を作り、感想を記し、野山獄や松下村塾では弟子たちと真剣な討論も展開したのである。


・これぞ我々が目指すべき「問題解決型学習」のお手本ではないか。わが国にも立派な先達がゐるのである。かうした具体的な教育実践に真摯に学ぶ姿勢こそ、今日の教育界に最も必要なことだと思ふ。

(抜粋引用終)
「問題解決型学習」は、学校でする課題ではなく、学校を出てから個別に社会人として取り組む姿勢である。学校は「基礎学力を身につけ、社会性を学び、生涯に及ぶ勉強の方法を知る所」である。若いうちから、妙な実践をしてはならない。
この「ディスカッション学習」を新聞のコラムで読み、二十年以上も前に某大学の授業で試してみたことがある。時間がダラダラと流れるだけで、全く駄目だった。いきなり問題設定しても、結局は、その場の思いつきしか学生は発言しないし、「多角的な物の見方を養う」と前提すると、正解どころか、答えの骨子そのものがなくなってしまうのだ。また、途中でこちらが知らない話題が飛び出すと、対処ができなくなる。
基本は読み書き算盤。教育を受ける目的は、生涯にわたる人格の陶冶と国益に沿うもの、という原則を徹底させなければならない。
恐らく、欧米の大学や日本国内の留学生達が、積極的に人前でも滔々と話す様子を見て、刺激されて「グローバル化への対応」として学校でも導入に至ったのであろう。だが、外来方式は、必ずしも日本の国是や民族性に合致しないこともある。奥ゆかしく、じっと周囲を観察して、黙っていても自分の内で考えをまとめている学生や生徒達もいるはずだ。「沈黙は金」が世の中で通用する場合は、今も少なくはないと思われる。
要再考。

JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル
No.2777   H30.05.02   7,946部


「小学校教育の経験から思ふこと」
沢竹助六


・今から10年近く前の話になるが、約半年間、千葉県の某公立小学校に産休代替講師として赴任した。卒業を控へた第6学年の担任だった。


・いよいよ児童との対面である。教室で児童の自己紹介を聞きながら名簿を見て驚いたのは、記載されてゐる名前が男女で混在し、性別を問はず五十音順であったことである。最近の名前は読み方や性別がはっきりしないものが多い。この名簿は生徒の顔を名前を覚えるのに苦労するばかりか、クラスの運営上でも非常に不便なものであった。


・名簿の問題は、一人づつ男女のチェックを付けることで乗り切ることができたが、性別や年齢を問はず全ての児童に「○○さん」といふ敬称を付けることを強要されたことは実に不快であった。男子の児童に対して「○○くん」と話しかけたら、間髪入れず女性教員から「"さん"と呼んで下さい!」と、児童らがゐる前で叱責された。かういった"ジェンダーフリーごっこ"は多々あったが、なによりもこのやうなことを児童の前で注意されてしまっては、教師の威厳も何もあったものではない。否、さういったものはそもそも教室には無かった。


・「先生は、まだこの学校に慣れてゐないから、みんなで助けて、仲良くしてあげませう。」小学校では教員と児童が友人関係なのだらうか、と考へさせられた。失墜してしまった教師の立場は、最後まで完全には払拭できなかったやうに思ふ。


・授業は、いはゆる主要な科目の時間がとても少なく感じた。学校5日制(土日休業)のため授業時間数が少くなってゐるにも関らず、勉学以外の不思議な名称の時間が多く設定されてゐた。算数は辛うじて週に5コマあったが、特に国語は週に4コマしかなかった。そして国語が無い日に私の頃には存在しなかった「外国語」の授業が設定されてゐた。


・「外国語」とは英語である。それは市から派遣されてきた日本語が話せるネイティヴの教員助手に一任され、担任はそれを部屋の隅で見てゐるといふ形態であった。


・国語の授業の少なさによる文章力の低さは、直ぐに卒業文集の作文指導に支障が出た。特に漢字や日本語の不正確さが目立ち、またカタカナ語の使用が非常に多かった基礎学力の低下は明らかだと思はれた。


・3年前、音楽教育の現場で大きな出来事があった。半世紀に渡って東京藝術大学を中心に使用されてきた音楽の基礎科目の一つであり、音の響きの理論である「和声」の教科書が一新され、長年我が国で使はれてきた方式ではなく、欧州風のものに変ったのである。


・編者によると、その大きな理由の一つに、日本人の演奏する西洋音楽は日本語の発音のやうで海外では通用しないので、聴感覚を西洋人の耳に近づけなければならない、といったものがあった。かうした話は音楽の世界では、例へば国際的なコンクールで日本人が落選する度に聞かされてきた。


再現芸術である音楽においては一定の理解はできることではあるが、そこには危ふさもある。実は西洋の模倣でよければ、さほど芸術などは難しいものではない。そこを超えた部分に芸術の真の価値があり、それが困難な課題なのである。

(抜粋引用終)
基礎学力の低下は、国力低下につながる。
「和声」については、遥か昔の学生時代、カワイのピアノ検定受験のために音楽理論を教科書で独習した時、非常に感銘を受けたことを思い出す(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070910)。あの頃の教科書はまだ良かった。クラシック音楽は西洋由来であるが、まともな西洋人ならば、東洋人の猿真似演奏等、聴きたくもないだろう。
最近、韓国人の若手ピアニストが日本に来て、日本人に対して「ショパンとは...」等と、既に誰もが知っていることをわざわざ解説しているのを聴いて、どこか違和感を覚えることからもわかる。
内田光子さん(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C6%E2%C5%C4%B8%F7%BB%D2)が高く評価されている理由は「我々の真似ができないような方法で、我々の音楽を理解し、解釈し、実演している」からである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181103)。
要想起。

JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル
No.2766   H30.03.19   7,946部


古典と歴史の中に自分の志を見出さう
今村信吾


・本年度、生徒指導主事を任されることになった。生徒指導主事とは、文字どほりその学校の生徒指導に関する業務を総括する係である。近年では、生徒の問題行動に対応したり、問題行動・事件事故を未然に防ぐ係といふ消極的な見方があるが、実はそれだけではなく、生徒の在り方生き方を考へさせる係でもある。


・本校では毎年4月、新入生の集団宿泊研修といふものを2泊3日で実施してゐるが、そこで生徒指導講話を30分間行った。講話の中心は、志を持てといふ内容で話した。


1 学問の喜び

子曰く、学んで時に之を習ふ、亦説ばしからずや。朋あり遠方より来る、亦 楽しからずや。人知らず、而して慍らず、亦君子ならずや。 (『論語』学而第一)


孔子中国古典に学び、それだけに終らずに自分の真なる生き方を求め続けた人といへると思ひます。これこそ孔子の志であったのです。孔子中国の古典を信じて、生涯学問に励んだ人と言へるでせう。志とは、心に堅く決したこと、心に誓った信念といふ意味です。


2 学問の志


志といへば、私は吉田松陰の志を思ひ出します。


松陰は、学問に取り組まうとするなら、それを行ふ者の志がどこにあるかを問題にしてゐます。それは人としての正しい生き方を学ばうとする心がなければならない。名誉や利益を得るための学問など学問とは言はない。そのやうな「学問」は、「学問」が進めば進むほど弊害が現れると言ひます。

其の心に作るとは初一念の事なり。人は初一念が大切なるものにて、どこまでも付回りて、政事に至りては、其の害最も著はるるなり。今、学問を為す者の初一念も種々あり。就中誠心道を求むるは上なり。名利の為にするは下なり。
故に初一念名利の為に初めたる学問は、進めば進む程其の弊著はれ、博学宏詞を以て是れを粉飾すと云へども、遂に是れを掩うこと能はず。大事に臨み進退拠を失ひ、節義を欠き勢利に屈し、醜態云ふに忍びざるに至る。
(『講孟箚記』勝文公下から)


松陰は、下田でペリー艦隊のポーハタン号に向ひ密航を企てるが失敗に終り、萩の野山獄に入れられます。その獄中で「孟子」の勉強会を始めるのです。

今且く諸君と獄中に在りて学を講ずるの意を論ぜん。俗情を以て論ずる時は、今已に囚奴と成る。復た人界に接し、天日を拝するの望あることなし。講学切して成就する所ありと雖ども、何の功効かあらんと云々。是、所謂利の説なり。仁義の説に至りては然らず。人心の固有する所、事理の当然なる所、一として為さざる所なし。
人と生れて人の道を知らず。臣と生れて臣の道を知らず。子と生れて子の道を知らず、士と生れて士の道を知らず。豈恥づべきの至りならずや。若し是を恥づるの心あらば、書を読み道を学ぶの外、術あることなし。已にその数箇の道を知るに至らば、我が心に於て豈悦ばしからざらんや。
「朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり」と云ふは是なり。亦何ぞ更に功効を論ずるに足らんや。諸君若し茲に志あらば、初めて孟子の徒たるを得ん。
(『講孟箚記』粱恵王上から)


松陰のどんな環境でも、卑屈になることなく、前向きに己の道を求めていく姿に感動させられます。


3 天野清三郎の生涯



天野清三郎は安政4年の冬、15歳で松下村塾に入門しました。天野は高杉の下で勤王倒幕運動に従事します。高杉は頭のいい天才的な人物でした。しかし、彼は、機転が利き、決断力や行動力のある高杉と自分を比較して、自分は頭も悪く、臨機応変に対応する能力がない、このままだと高杉さんの足手まとひになるだけだと悟ります。では、自分は何をすべきだらうか。


夷等此の時に乗じ再び前請を申ねば、国家の大体、華夷の名分を知らざるもの、動もすれば一時権宜の策に託し、国体を屈し和議をなさん杯いふに及ぶべきも量るべからず、実に寒心すべき事に非ずや。此の時に方りて堅艦の夷人を制するに足るものを製し、糧運に支りなく、又応援に便ある如くなさずんば、何を以て守りを為さんや。
(『将及私言』「船艦」から)


天野はこの松陰の言葉に「さうだ、自分は頭は悪いが手を使ってものを作ることは好きだ。松陰先生の教へに従ひ、船造りにならう。そして日本を守るぞ」と決意したのでした。松陰は何気なく言った言葉かも知れませんが、天野にはそれを受け流しせず、心で受け止めたのでした。ここに注目してください。


そこで天野は慶応3年、脱藩し上海に密航しました。そして上海からロンドンに渡り、ロンドンのグラスゴー造船所で働きながら船造りを覚えました。


造船所で働いてゐるうちに技能だけではなく、もっと基礎的な学問が必要なことがわかってきました。造船に関する学問です。そこで天野は昼働き、夜間の学校に通ふことにしました。そしてさらに専門の学問だけでなく英語や数学、物理学も勉強しました。本当に血を吐くやうな思ひで勉強に取り組んだのでした。そして、努力の甲斐あって見事3年で卒業することができましたが、しかし、彼はそれだけでは納得がいきません。


大西洋を渡り、アメリカのボストンの造船所で働きながら、学校に通ったのでした。


さうやって天野は苦学の末に造船学をマスターして、明治七年に帰国を果しました。政府は、天野が造船学を学んだことを知ると、政府は長崎造船所の建設に力を貸すやう要請、その後、長崎造船所の所長に抜擢しました。而して天野は日本造船業界の草分けとなったのでした。


松下村塾では、あまり目の出なかった、勉強嫌ひの天野清三郎がロンドンやボストンで血を吐くまでに勉強できたのはなぜか、どうしてそこまでしてがんばれたのか、その底力はどこにあったか。それは天野が立てた「志」に他なりません。高杉晋作の下で働く中で、自分は何のために生きるかを真剣に考へ、松陰の言葉に発奮して、自分の持ち味と世の中への貢献とを結び付け、己の志を発見、見事貫いたのです。


4 最後に


「自分探し」といふ言ひ方があります。それまでの自分の生き方、居場所を脱出して新しい自分の生き方、居場所を求めること、といふ意味です。これだと自分の生き方がどこか別の場所に存在してゐるやうな印象があります。友人や先生、家族や国家とのつながりを求めていくのではなく、さういふ人間関係を遮断してゐて、果して志が生まれるでせうか


みなさんは自分の生き方をよそに求めるのではなく、己の中に求めてください。是非、古典や歴史の中に、また先人の言葉を手がかりに自分の志を発見してほしいと思ひます。

(抜粋引用終)
二十代後半の頃、「"自分探し"はいつまでも続く」と聞いたことがある。あの頃は、書店の女性向け本でも、「"自分探し"の旅」という話題が目立った。果たして、その結果は如何に?
一方、「いつまでも"自分探し"ですか?」と問われたことがある。
否。私は「自分探し」などしていない、ここに「私=自分」がいるではないか、と言い返したい。世の中を自分が納得のいくように理解したいから、学生時代から気になっていた諸分野について、自ら本を読み、学んでいる過程なのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171005)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171017)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171031)。
そういう、他者を誤解したままの人が上に立って指導していた環境にいたので、私は出てきたのだ。
要猛省。

No.2825 H30.11.09 7,836部


あなたは自分の言葉で日本を語れますか?


いくら外国語ができても、自国の歴史文化も語れない「根なし草」では、外国の歴史文化も語れず、外国人と語り合うこともできません。そういう日本人が多いのは、日本の歴史教育の問題ではないでしょうか?


我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を深める」


この学習指導要領の目標が達成されていれば、それを「根っこ」として国際社会でも逞しく生きていける「国際派日本人」が育つはずです。現在の歴史教科書は、この目標を達成しているのでしょうか。

(抜粋終)
例えば英語学習のために、反日リベラル左派の英文雑誌を購読したり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170410)、NHK講座のとみに変になってきた外国人講師の発話をリピートしたりすれば(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170526)、まともな西洋人からは相手にされないだろうし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160905)、良家で育った東洋人からも見下されることだろう。
まずは、しっかりとした国語と国史の力をつけることだ。そして、それを基本的な英文法と英単語によって置き換える訓練をする。その意味で、海外文通は、私の学生時代には良い趣味と実益を兼ねていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070730)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071017)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071222)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080229)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081001)。後は、著名な諺や名文とされる模範文を繰り返し発音して暗記する。いざという時、切り返しが鮮やかになる。

信用してはいけない政党

古いメーリングリストから抜粋を。

JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル
No.2752 H30.02.07  7,946部


社民党ほど人の心を弄んだ党を知らない」
某メーカー勤務社員


社民党の党首選、立候補者がおらず存亡の危機だと聞いた。党首に立候補する者もいないほど社民党は疲弊しきった政党なのだ。


社民党ほど人の心を弄んだ党を知らない。社民党は日本にいらない。


湾岸戦争前の1990年、イラクは外国人を「人間の盾」として人質にした。その時、弊社のバグダット駐在員2名も幽閉され出国できなかった。社員が人質になった各社はあらゆる手段を使い、人質とコンタクトしようと努めた。私は当時、海外人事課に所属し、その窓口だった。


・当時はパソコン・インターネットもなく、テレックスはあったものの第三者に見られる恐れがあるので使用せず、社員との唯一の通信手段は国際電話しかなかった。国際電話も申し込んでから繋がるまで8時間以上かかった。通話はすべて隠語を使いながらだったが、少しでも横文字単語が使われると盗聴されていて、電話はぶっつと切られた。現地には物資もなく、届出るために国会議員等に八方尽くした。


・当時の社会党党首土井たか子からも呼びかけがあり、バグダットに行きフセインに会うので、皆さんの要望を直接伝えたい。だから議員会館で話を聞きたいと申し出があった。(実際行けなかったようであるが・・・)


・祈るような気持ちで留守家族と私のような駐在員を派遣している会社の社員は議員会館に行き、一室に入れられた。しかし、かの土井たか子は予定があるので皆さんの話しが聞けないと、顔も見せなかった。挙句の果ては解散するので帰って欲しいと社会党の議員から言われた。


・30名前後集まっただろうか。集まった人たちが激高したのも当たり前である。四国から来た某社駐在員の母親は、「息子のことが心配で、わざわざ四国から、呼びかけに応じて来たのに、何ということだ。人の心を弄び馬鹿にするのもいい加減にして欲しい」と泣きながら訴えた姿を今でも鮮明に思い出す。


社会党拉致被害者の件でもしかりだが、同胞を助けよう、力になろうなどという気持ちは微塵もなかった。それが証明されたのだった。


社会党とはそれだけいい加減な政党だった。それを肝に銘じた。その後の衆議院選挙で大敗したのもむべなるかな。だから、現在の社民党の議員、なかんずく福島瑞穂や現立憲民主党辻元清美が何を言おうと、彼女らの言葉は口先だけであり、信用できるものではないのだ。いや、信用してはいけないのだ。絶対に

(抜粋終》

土井たか子氏については、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160714)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171029)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171226)。辻元清美氏は、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181126)。福島瑞穂氏は、こちらにある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170812)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180626)。

社会党は、所謂「女性の社会進出」を後押しした政党としても銘記される。参考までに、以下の記事を。

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima

https://style.nikkei.com/article/


「女性抜擢人事のその後 りそな、成長の芽育む」
2014/10/4


現在りそなグループで支店長以上の女性幹部社員は43人に上る。女性管理職比率は23%で03年比3倍だ。女性活躍と軌を一にし、経営再建が進んだ。

(引用終)
← この記事は好意的に書いているが、口座を持っている顧客としての私は正反対の意見だ。


昔は、大和銀行りそな銀行では、窓口の行員がきれいな若い女性達で、テキパキと働いており、少しでも預金すれば、厚手ガラスのカップやしっかりしたタオル等のプレゼントをもらえた。当時は利率も今よりは高く、預け甲斐があった。男性陣も張り切って凛々しかった。


今や、私よりも老けた感じの女性行員と出っ歯で禿げ頭の中年男性が、ゆっくりと働いていて、よろず時間がかかる。例えば、4ヶ月ほど前、1万円の新札をお願いしたところ、「時間規定がある」「新札への交換には手数料がいる」と言われた上、何分も待たされた。こちらの預金通帳を見て、「昔は利率が高かったんですねぇ」と当たり前のことを言ったりもする。


バカバカしいので、歩いて1分の近くの京都銀行に行ったところ、手数料も時間規定もなく、その場で新札がすっと出てきた。行員は、二十代ぐらいのきれいどころの女性達。


これでは、どちらの銀行に足が向くか、考えなくてもわかりそうなものだ。

(転載終)

八幡社は新羅由来

『萬晩報』主宰の伴武澄氏の著述に関する過去引用ブログは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180427)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180506)。
以前は、書かれた内容を理解するのが困難だったが、時間というものはありがたく、最近ではすっと入ってくるようになった。
理解が難しかった理由は二つ、考えられる。(1)学校で習った教科書とは異なる事項や解釈が書かれていたこと(2)従来の自分の興味関心と重複する部分が少なかったこと、である。

『萬晩報』(http://yorozubp.com/


新羅の神さまだった八幡社」
2018年1月10日
萬晩報主宰 伴 武澄


高知市の北部に「秦」いう地名があってその西に秦泉寺もある。高知県の西部地方は幡多郡という。


・テーマはその秦だった。


宿毛市へ行くと土佐国とは別に「幡多国」があって、歴史的に九州から移り住んだ人たちが西から開発を進めたのだと解説された。高知県には「はた」に関連する地名が多いのである。


・八幡社は八幡太郎源吉家が石清水八幡宮を奉ったことから全國に広まり、日本の神社八万社の半数以上が八幡様となっている。この神社が新羅由来の神さまと知ったら日本人は驚愕するだろう。


八幡様の本家は大分の宇佐八幡宮である。古代の宇佐は新羅からの移住者が定着した土地。歴史書(八幡宇佐宮御託宣集)に「辛國の城に、始て八流の幡と天降って、吾は日本の神と成れり」という有名な一文がある。豊前国風土記には「昔話、新羅の國の神、自ら度り到来りてこの川原に住みき、すなわち名を鹿春の神といひき」とある。現在の福岡県田川郡香春町を流れる金辺川の川原に新羅国の神が天降ったということである。新羅の人々はその後、豊前に移り、定着した。


・隋書倭国伝に608年の小野妹子の遣隋使の答礼使の記事として「竹斯国にいたり、さらにその東に秦王国がある」とある。「王国」と書いてあるのは興味深い。さらに「其人同於華夏以為夷州疑不能明也」とある。なぜ中国人が野蛮な国にいるのか不明というのだ。この時期、秦河勝が朝廷で活躍している。また大宝年間に作成された正倉院文書の豊前国の戸籍に「秦部」「勝部」とあり、700年ごろには新羅系渡来人が完全に定着していたことが分かる。


新羅百済が併存していた時代の前、朝鮮半島には三韓という時代があった。馬韓辰韓などがあった。中国では秦の始皇帝の時代である。始皇帝の圧政に耐えかねた人々が朝鮮半島に逃げ込んできた馬韓は東部の地を彼等に与え、その地が辰韓となった。辰韓では秦の言葉を使ったので、秦韓ともいわれた。


・これらは後漢書など中国の歴史書に記述がある。邪馬台国があったずっと前の歴史である。新羅つまり辰韓が中国人による国だったとすれば、多くの疑問が氷解する。


日本書紀の記述では百済新羅から大和の国に度々朝貢があった。その使節団の人々の名前が、新羅は中国式の姓が一字の人であるのに対して百済は万葉仮名のような表記の長い姓なのである。また白村江の戦い唐が新羅について大和と百済と戦った構図も分かりやすい。豊前に定着した秦氏は当時としては高度な知識を持っていたことは当然のことで、大和朝廷が宇佐の人々に一定の尊敬を持って処遇した。秦氏は自らも列島に広がったことは想像の範囲で、朝廷に招かれて高官となった人々も少なくない


土佐は西側から開発されたというのは歴史の定説。幡多郡、秦という地名も残っている。秦時代の中国からの移民が辰韓つまり新羅を経て、筑紫に渡り、豊前を経てさらに土佐にやってきたのだ。長宗我部氏が先祖を秦の始皇帝とするのはいささか乱暴だが、秦国由来の人々であるとするのは合点がいく。

(部分抜粋引用終)

どうした、今の日本!

メーリングリストより。

致知』2019年1月号
特集「国家百年の計」p.20


【占部】平成時代の教育の実態はどうかというと、30年間で日本の教育はますます悪化しています。「教育基本法」の改正に伴い確かに教育改革は進みました。いじめ対策も立法化までして取り組んでいますが、いじめ問題も不登校も結果的に増えている


【野口】私も占部先生のいまのお話に全く同意見です。先生は制度の改革が成果に結びついていない理由をどのようにお考えですか。


【占部】やはり中身が伴っていないんですね。平成11年に国旗国歌法が施行されましたが、先生たちはいまも多くが歌っていません。歌っていないけれども起立していますから、一応は歌ったとカウントして報告される。それと同じで制度のいじくりだけが進んでいるわけです。


一方で大変面白いのは、外国人の目によって日本の教育の素晴らしさが分かってきたのも平成なんです。


阪神・淡路大震災の時、諸外国から報道関係者や調査団が避難所を訪れて、あの過酷な状況の中で人々がゴミの分別をきちんとやっていた姿を見て大変感動し驚くんです。実際、韓国の新聞はそのことを大きく報じています。


アメリカの調査グループはさらに、その理由を調べました。そこで分かったのが、日本人の整然と協力する姿勢の背景に小学校からの班単位による学校掃除があることでした。


【野口】日本の学校のどこでも行っている清掃活動が背景にあったというのですか。


【占部】ええ。日本人にとってはそれが当たり前でも、子供に学校掃除をさせない国が多いのが現状ですから、外国人にとっては驚くべきことだったんですね。


エジプトでは崩壊寸前の教育を再建するために、大統領自ら日本の学校掃除に注目し、いま学校に掃除を導入しています。学力世界一のシンガポールも、頭だけの教育じゃ駄目だというので、一昨年から日本の学校掃除を取り入れています

(引用終)
学校の掃除だけでなく、給食の配膳と後片付けについても、短いビデオを見て、フェイスブック上でアメリカ人の知り合いが褒めてくれた。
それにしても、なぜ平成になってから教育の質が悪化したのか、興味がある。私見では、昭和の時代に社会主義思想が広まって、マスコミや教育においても大衆化と悪平等志向があり、模範的な人の足を引っ張る風潮があったことと、その影響を受けた世代が主導権を握る時代に突入したからではないだろうか、と思われる。

加瀬英明氏のブログ引用を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=kase-hideaki)。

http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi


ペリー浦賀来寇から僅か15年で明治元年となった
2018/11/30


・私は昭和40(1965)年に、東京放送(TBS)が出資して、『エンサイクロペディア・ブリタニカ』(大英百科事典)の最初の外国語版の『ブリタニカ国際大百科事典』(全21巻)を編集して出版した時に、初代の編集長をつとめた。29歳だった。


・編集の最盛期には、翻訳、縮訳と、新しい項目をつくるために、200人以上が携わった。当時、もとのブリタニカ百科事典といえば、欧米を世界の中心としていたから、額田王和泉式部も、義経も、二宮尊徳も、平田篤胤も、日本で自動車をつくっていることも、載っていなかった。そこで、日本とアジアの新しい項目を、加えなければならなかった


・今年は、明治維新150周年に当たる。年表をみると、ペリー提督が率いる黒船艦隊が浦賀に来寇したのが、嘉永6(1853)年だった。日本は僅かその15年後に、「御一新」と呼ばれる明治維新を行うことによって、明治元年を迎えた。


・イギリスが中国に阿片戦争を仕掛けたのが、天保10(1840)年だったが、ペリーが来冠する13年前のことだった。幕府も諸藩も、長崎に入港するオランダ船から入手した、海外の最新の情報をまとめた『オランダ風説書』によって、詳細な情報を手に入れていた


・ペリー艦隊が搭載していた砲の射程が、3500メートルもあるのに対して、わが砲は家康の時代から変わっておらず、射程が4、500メートルしかなく、日本の古い砲が火玉しか発射することができないのに、ペリーの砲身のなかに螺旋が施されて、威力がある炸裂弾を撃つことも知っていた。


阿片戦争から明治元年までの28年間を振り返ると、戦後の日本の目覚ましい経済復興をもたらした、驚嘆に価いするエネルギーをみる思いがする。


島崎藤村の『夜明け前』といえば、幕末の木曽路の宿場町の生活を、克明に描いた長編小説だ。山深い木曽路にある宿場が舞台となっており、庄屋の青年である青山半蔵が主人公である。半蔵は家業に励しむかたわら、賀茂真淵本居宣長平田篤胤をはじめとする江戸時代の国学者の著作を学んで、日本の行く末を真剣に憂いていた『夜明け前』を読むと、幕末の日本をよく理解することができる。あの時の日本には、半蔵のような青年が、全国のどこにでも存在していた。江戸時代に入って生まれた国学と、半蔵のような国民が、未曽有の国難に見舞われた日本を救ったのだった。


・だが、あの時の日本を護ったのは、天皇の存在だった。もし、幕末に天皇家が存在しておらず、徳川家しかなかったとしたら、日本は洋夷に対してまとまって団結することがなく、独立を全うできなかったはずだ。


・来年4月に、平成が31年で終わる。このあいだに、中国、北朝鮮からの脅威が募るなど、日本を取り巻く国際環境が、いやおうなしに緊迫するようになった。


・それにもかかわらず、日本はこの30年のあいだ、泰平の深い眠りから醒めずに、72年前にアメリカの占領軍が、銃剣を突きつけることによって強要した『日本国憲法』を改めることができずに、眠り続けてきた。いまだに護憲派が強い力を持っている


アメリカによって与えられた「新憲法」のもとで、日本は徳川期の一国平和主義――鎖国の繭のなかに、ふたたび閉じ籠ってしまってきた。国際環境がいっそう厳しさを増してゆくなかで、一国平和主義の繭を一日も早く破って、成虫になって羽搏かなければ、この国が亡びてしまおう。


明治維新150周年を、ただ祝うだけであってはならない。日本は150年前に世界の現実に適応することによって、独立を守ることができたのだった。いま、安倍政権がようやく現行憲法のごく一部を改正しようと、眦を決して乗り出した。


アメリカは日本占領が始まった翌年に、日本を未来永劫にわたって自立できない国に変えるために、『日本国憲法』を強要したのだった。


憲法第95条で、「改正」という言葉を用いているから仕方がないが、私は親しい国会議員に、改正を呼び掛ける時に「改正」ではなく、「修正」という言葉を使ってほしいと訴えている。「改正」というと、現行憲法を全面的に書き改めようとしている、誤解を与える。


・このところ日本文化への共感が全世界にわたって、ひろまるようになっている。幕末から明治にかけて、ジャポニズムと呼ばれたが、浮世絵を中心にして日本の美術がヨーロッパ、アメリカの芸術に大きな影響をおよぼした。日本文化に関心が集まるのは、それ以来のことだ。


・かつてのジャポニズムが、視覚に限られていたのに対して、今回の日本文化の高波は、食文化から精神のありかたにまでわたっており、はるかに深いものがある。和食の流行は、和食が自然と一体になっていることから、健康志向によって支えられているが、日本が発明したスマートフォンのエモジや、ポケモンなどのアニメが世界を風靡しているのは、万物に霊が宿っているという、日本の八百万千万の神々信仰にもとずいている。いま、西洋では独善的な一神教が、揺らぐようになっている。


・この3、40年あまり、西洋においても自然と共生するエコロジーが、人類を守り、救うと信じられるようになっているが、エコロジーこそ神道の心である。


マンリオ・カデロ・サンマリノ共和国駐日大使は、在日外交団長をつとめているが、神道に魅せられて、これまで全国にわたって100近い神社を参拝してきた。大使は和を重んじ、自然を敬う神道の心こそが、抗争と流血が絶えることがない世界を救うことになると、信じている。


・私はカデロ大使と、『神道が世界を救う』(勉誠出版新書)という対談本を、9月に刊行した。


・日本には150ヶ国以上の外国大使が駐箚しているが、20人あまりの大使が日本語に堪能だ。日本語ができる大使や、日本に在住する外国人からこの対談本によって、日本人をつくっている文化と、日本の生きかたや、心をはじめてよく理解できるようになったと、感謝されている。

(引用終)
サンマリノ共和国駐日大使の小さなご著書は、一冊持っている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140703)。

国民として感じること (2)

過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181130)の続きを以下に。
八幡和郎氏の論述引用は、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C8%AC%C8%A8%CF%C2%CF%BA)。

http://agora-web.jp/archives/2035942.html


大嘗祭秋篠宮殿下、爆弾発言の裏側と深刻さ」
八幡 和郎
2018年11月30日


秋篠宮殿下は30日に53歳の誕生日を迎えられたが、これに先立ち行われた記者会見で、眞子様の結婚問題や、皇位継承行事などについて語られた。


・非常に率直な会見であったが、30日の解禁を前に「週刊文春」「週刊新潮」に眞子様の結婚についての発言内容が解禁日破りのかたちで掲載された。本日の朝刊には大嘗祭への国費支出への疑問という爆弾発言が掲載されて波紋を拡げている。


・論点は宗教的な色彩が強い大嘗祭の扱いということと、皇族がこのような政治的な発言をしていいのかという両方の問題があるということだ。


・私は皇室の行う宗教的な色彩の強い行事への支出は憲法違反ではないが、皇室の行う上での問題はないと考えている。そもそも、日本国憲法は皇室制度をいちから創設したのでなく、現実にあるものを追認したのである。


内廷費というのを設けて日常的な神事は、そちらから支出しているのであるが、大嘗祭は費用も大きいので国費でということに平成の大嘗祭のときになったのである。


内廷費といえども国費由来には違いないのだし、そういった経費も考慮に入れて、内廷費を増額するというのも、非透明性を増すだけだ。


・そういう意味では、秋篠宮殿下の考え方は、少し一面的なのではないかと思う。


・近代立憲君主制においては、天皇陛下の発言は、厳密に首相以外に話すことも良くないし、漏れてはならないものだと理解している。それに対して、皇族は陛下から距離があればあるほど節度さえ保たれれば自由度はあってよいと思う。


・皇室問題についていえば、皇室は関係者であるから、意見をいいたいというのも当然だ。ただ、意見を皇室内部や政府にしかるべく聞いてもらえば、そこで我慢すべきということもできると思う。


・かつて、皇室典範改正問題があったとき、三笠宮寛仁親王が苦言を呈されたことがあった。このときは、懇談会の座長であった吉川某とかいう理系の学者が、憲法上の問題もあるから皇族の意見は聴かないと言明したことが引き金だったから、殿下の発言には正当性があった。


・今回については、「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった」といい、宮内庁長官は「聞く耳を持たなかったといわれるとつらいが、そのようにお受け止めになったのであれば申し訳ない」といいつつ、陛下からは皇太子殿下とよく相談するようにといわれたといって、暗に秋篠宮殿下の意見は陛下の意向に従ってあまり聞くつもりはなかったようなこともいっている。


・いずれにしても、こうした問題も、眞子様のお粗末な騒動にしても、根本は皇室制度の制度疲労というか、かつての「朝廷」とか「宮中」というしっかりした組織や華族などがなくなり、両陛下や皇族と弱体なスタッフだけからなり、政府との対話やコントロールもあまりされていない、貧弱なご主人一家と従業員だけからなる「個人商店化した皇室」において起こるべくして起きている問題だというのが私のかねてからの主張だ。

(引用終)

http://agora-web.jp/archives/2035961.html


①週刊誌報道などは承知している
果たして、本問題では独走を続けるアゴラなどネット情報を承知しておられるかどうかは不明だ。誰か聞いたら良かったのに。


②小室さんからの連絡はある
「2,3か月に一度くらいでしょうか,時々もらうことがあります」。眞子様にか、殿下にかなどは不明。


③小室氏がするべきこと
話題になっている問題が、借金問題は入っているのだろうが、将来設計などどこまで含むかは分からないが、きちんと解決して欲しいといっておられるらしい。


④まだ婚約はしていないという認識・世間の納得が大事
納采の儀をすませないことには、婚約したことにはならない。つまり、まだ婚約していないという認識か。それなら、なかったことにするのも、婚約解消ではないということになるが、陛下の裁可などの位置づけがどうなるかは不明。また、正式婚約するためには、借金を返したらいいのかとかいうだけでなく、世間の納得が必要という認識を示された。


⑤殿下と眞子様はあんまり話していないようだ
結婚問題も含めて、あまり議論されたりせずに、一方的に問題をクリアしなければダメとだけ仰っているのだろうか。


⑥数々のスキャンダルについて小室氏はどういっているのか
違うからどうするのかという話は聞こえてこないということか。だいたいは、当たっているということか。


⑦昨年末に眞子様が体調不調だった
妃殿下は仰ったが、上記の殿下がこのごろはあまり話してないと仰るのとどう関連するか分からないが、少なくとも当初は議論されていたらしい。
妃殿下と眞子様の意思疎通は十分なようで良かった。しかし、婚約問題について話されているかどうかは不明のまま終わった。


・借金などの問題への真摯な解決を望むとの趣旨は明らかだが、将来設計については、この会見ではどう考えておられるかあまりよく分からなかったということだろうか。また、眞子様の体調が悪いのは昨年の年末から今年の初めであって、最近は、そうでもないということなのだろうか。それなら安心だが。

(抜粋引用終)
次に、将来の「国母」を目指す紀子妃の苦闘を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B5%AA%BB%D2%C8%DE)。

週刊現代』(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/37569


2013年11月22日
皇室特別レポート いずれ 天皇の母になる彼女の「プライド」とは 日本の「国母」になる紀子妃の大研究


・ご成婚当時、国民の多くは、紀子妃がこれほど重い立場に立つとは想像もしていなかっただろう。秋篠宮悠仁親王二人の皇位継承権者を妻・母として支える紀子妃の現在の最大の関心事は、悠仁親王の教育だという。


・「紀子さまは『勉強に力を入れて賢く育てたい』というお考え。一方、秋篠宮さまは、悠仁さまが控え目でおとなしい性格のため、運動を奨励されている。『勉強より、子供は外に出て飛び回って、多少ケガをするくらいでちょうどよい』とおっしゃっています。


・教育はもっぱら紀子さまのご担当です。秋篠宮さまは夕方からお酒を召し上がり、すぐ酔ってしまうので、勉強をお教えになることはほとんどありません。そのため、ときに紀子さまが『ちゃんとお考えになってほしい』と殿下にこぼされることもあるそうです。紀子さまは、悠仁さまを東大に入れたいという大きな野望をお持ちですからね」


・「悠仁さまは皇室の存続が危ぶまれる最中、41年ぶりに皇室に誕生した男児。大事なお世継ぎですが、単純にそれだけではないのです。江戸時代の光格天皇以降、皇位天皇である父から長男である皇太子へ、7代にわたり受け継がれてきました。秋篠宮家は現状では直系ですが、皇太子が天皇になった時から傍系になる。そして、秋篠宮さまや悠仁さまに皇位が継承された時、直系の伝統は途切れ、傍系から天皇が生まれることになります。二百数十年ぶりに皇位継承の形が変わる—。天皇家は今後、秋篠宮家の血を継いでいくという事実が、紀子妃に尋常ではない重圧を与えているのです」


・「紀子さまの申し入れにより、赤坂御用地の宮邸から悠仁さまが通っているお茶の水女子大附属小学校までの道は毎日、通学時間に合わせ、交差点ごとに所轄の各警察署が警官を配置しています」(警察関係者)


・「5月25日に、お茶の水小の運動会が行われました。1年生の悠仁さまにとって初めての運動会なので、ぜひ取材させてほしいとお願いをしたのですが、一切ダメだという。この一件で、宮内庁記者クラブからは『紀子さまのガードは固すぎる』という不満が噴出しました」(全国紙宮内庁担当記者)


・実際、運動会に平服で潜り込んだ警備関係者は50人前後。学校周辺は大塚警察署、富坂警察署、警視庁第五方面本部が人員を出して警備にあたるほか、パトカーが3〜5台。総勢100人を超える、ものものしい警備体制が敷かれたという。


女性天皇を巡る議論が一段落し、悠仁さまが皇位を継承する流れに落ち着いた頃から、紀子さまは周囲に過度な緊張感をもって接するようになりました。とりわけ、皇宮警察に対しては『情報管理が甘い』と猜疑の目を向けています。愛子さまの校外学習に雅子さまが同行した際の行動について、逐一報道がなされたことも、皇宮警察のせいだとお思いのようです」(前出・秋篠宮家に近い関係者)


皇宮警察は、関係各所に警備の配置をしなければなりません。そのため人が大勢動き、どうしても指示系統が一つではなくなる。完璧に統率するのは、不可能に近いのです。それを警戒されてのことか、この夏、ご一家で福井県の恐竜博物館に行かれた時は、前日の夜まで警察側に日程の詳細が伝えられませんでした。そのため、大慌てで警備の準備をすることになり、現場は混乱を極めた紀子さまが情報管理を厳格にしたがるお気持ちはわかりますが、警備を担当する側や間に立つ宮内庁職員は困っています」


・「娘さんお二方にも厳しいですよ。『秋篠宮家は天皇になる父と長男がいる宮家です。軽率な行動は慎みなさい』と指導されています。2年前、眞子さまがまだ未成年だった時に、大学のサークル合宿で飲酒したのではないかと疑われる写真がネット上に出回ったことも、大いに影響しているのでしょう。娘さんはお二人とも携帯をお持ちですが、それもGPS機能を停止させないという条件で持たせたそうです」


・「秋篠宮家の雰囲気は正直、ピリピリとして息苦しい宮内庁の職員に『東宮秋篠宮家のどちらに勤めたいか』と聞けば、大多数が『東宮』と答えますよ。世間に流布しているイメージとは違って、宮内庁内では紀子さまより雅子さまのほうが人気が高いのです」(元秋篠宮家関係者)


・「雅子さまはもともと気さくな方で、職員にもよく話しかけてくれたり、時にはお皿を洗うのを手伝ってくれることもありました。とてもお優しい方なんです。一方、紀子さまは素直でまっすぐなご性格ですが、とにかく気がお強い。カメラの前で見せる『紀子さまスマイル』が、紀子さまのすべてではありません。美智子皇后も、公務などでお話しになるときは蚊の鳴くような小声ですが、実際は大きくはっきりお話しになりますし、歩く際も、昔はスタスタと闊歩するような方でした。紀子さまは何事も皇后さまに倣って振る舞われていますが、ご自分の『見せ方』という点でも、皇后さまを見倣っているのではないでしょうか。その点、雅子さまは、本当の自分を隠すという器用さがなかったためにバッシングを受け、体調を崩されてしまったのでしょう」(皇室ジャーナリスト)


・皇族には、華やかな学歴を持つ人が多い。皇太子は英・オックスフォード大に留学、雅子妃は米・ハーバード大を卒業後、東大法学部に学士入学している。また、秋篠宮もオックスフォード大に修学した経験があり、紀子妃の周囲は全員、一流大学に留学した経歴を持つ。一方、紀子妃は学習院大学卒で、留学歴もない


・「学習院も立派な学校ですが、海外留学をしていないことや、雅子さまのように社会に出て働いたことがないことに少しコンプレックスを感じておられるようです。今年、お茶の水女子大学に人文科学系の論文を提出して博士号を取得されました。学識を深めたいという純粋な動機はもちろん、経歴としても立派なものを持ちたい、というお気持ちもあったように拝察します」(前出・元皇族)


・「ご結婚なさる前、大学生だった紀子さまが出された直筆のお手紙を拝見したことがあります。とても素朴な文章だったのが印象に残っています。それでいて、ところどころ辞書からそのまま引っ張ってきたような難しい四文字熟語や漢字が使われている。なにか無理をなさっているようで、違和感がありました。『ああ、紀子さまは皇室の一員になるに当たり、他の皇族の方に比べてご自身に日本語力が足りないことに、少し劣等感を感じてらっしゃるのではないだろうか』と感じたことを覚えています」


・紀子妃は、米・ペンシルベニア大に留学する父・川嶋辰彦氏について1歳から6歳まで海外で過ごしている。現地の小学校に入り、辰彦氏の方針で、会話は家でもすべて英語。そのため紀子妃は、英語を母国語として育った。帰国したのは小学1年生。まったく言葉が通じないなか、苦労して日本語を学んだが、5年生の時に父の仕事の関係で今度はオーストリアに移住。2年後に帰国して学習院女子中等科の1年に編入し、以後は大学院まで学習院だった。だが、日本語へのコンプレックスを克服するまでには至らなかったという。


悠仁親王を何としても立派に育てるという強い思いが原因で、周囲と軋轢を生むこともあるという。


「毎年国から支給される秋篠宮家への皇族費は6100万円。一方、天皇家東宮家への内廷費は合計3億2400万円です。この金額で、悠仁さまに満足な教育を受けさせられるか、気を揉まれている。それが、秋篠宮家の職員の離職率が高い原因の一つかもしれません」(前出・元秋篠宮家関係者)

(部分抜粋引用終)

結局のところ、お手伝いさんのいない家庭で帰国子女として育ったことが、日本の伝統文化や歴史の重みを感じる自然さに欠けるということでもあろうか。
同世代なのでよく覚えているが、二十代の頃、「雅子様がいいか、紀子様がいいか」と私が男性陣にストレートに尋ねると、大抵の人は口ごもっていた。
今にして思えば、女性の生き方選択もさることながら、メディア報道のあり方の問題でもあった。最初から、雅子妃の方が素直で自然な感じがあり、とても子供好きだとも伝えられていたのに、努力家で優秀で経歴が抜群というヒガミやっかみが、長引く病へと追いやった面もあったのではないだろうか。
紀子妃については、以前も書いたように、東京の有名私大出身の人達から、「何か変わった人みたいよ」「学習院で大学の講義にタイ衣装を着てきたんだって」という噂を聞いていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170905)。だが、二十代前半で結婚して出産し、表向きはおとなしく夫を立てるように見えた姿勢が、男性陣の本音を支えていたのだろうか。
儀式の古い映像を見ると、時々、紀子妃が凄い形相でいらっしゃったことを知った。

大学と奨学金の問題

https://ironna.jp/article/11316


「高等教育の無償化」が救うのは学生でなく倒産危機の大学
『NEWSポストセブン』 週刊ポスト 2018年2月16・23日号
取材協力/峯亮佑(フリーライター


・安倍政権が打ち出した「高等教育無償化」は、“奨学金を借りる学生を減らす政策”に見える。だが、本当にそうか──。


・過当競争で私大の4割が定員割れを起こしているのに加えて、今年から18歳人口が急激に減少に向かい、奨学生が払う学費では大学経営が維持できなくなってくる。安倍政権の掲げる「大学無償化」からは、“奨学金でこれ以上、大学生を増やせないのなら、授業料を国が払って18歳全員が大学に行けるようにしよう。そうすれば大学は生き残れる”という発想が透けて見える。


日本学生支援機構のデータから加計グループ3大学の奨学金受給率を見ると、岡山理科大(50.7%)、倉敷芸術科学大(57.0%)、千葉科学大(51.7%)と奨学生によって経営を支えられていることがわかる。


・安倍政権の大学無償化の最大の問題は、大学の生き残りが優先され、「大学生に国が投資し、国に利益が還元されるか」という重要な視点が抜けていることだ。卒業生に借りた奨学金を返済するための「生活力」を持たせられない大学の授業料を無償化して学生を通わせても、国は税金投入に見合うリターンを得ることができるはずがない。


・大学無償化の本当の狙いは、奨学生が背負いきれなくなった私大経営の支援を、納税者に肩代わりさせることではないのか。

(部分引用終)

https://ironna.jp/article/11315


奨学金に絡む自己破産者は15000人以上 増加傾向にあり
『NEWSポストセブン』 女性セブン 2018年3月15日号


・東京の有名私立大学を卒業後、念願のアパレル業界に入社。しかし残業は毎月70時間を超え、給与は雀の涙。完全にブラック企業だった。人間関係にも悩み、わずか2年間で退職。以降、派遣やバイトなど非正規で働く日々を送っている。


「学生時代の奨学金です。合計300万円超。まだ半分も返済できていません。社会人になったら毎月2万円ずつ返す予定だったのですが、延滞し続けていて…。現在、アルバイトの給与が月に手取り11万円で、家賃が5万円。生活費の5万円を引くと、どうしても払うことができないんです」
奨学金を借りた日本学生支援機構(JASSO)からは催促の通知が絶えません。ただ、自己破産しても連帯保証人である親に支払い義務が行ってしまうので、それも申しわけなくて。もう、どうしたらいいのか…。完全に袋小路に追い詰められています」(A子さん)


・昨今、学生時代の奨学金の返済ができずに破産する人が激増している。


奨学金に絡む自己破産者は、2016年までの5年間で1万5338人。内訳は本人が8108人、保証人が計7230人。2016年度は過去最高の3451人が破産した。


・『ブラック奨学金』(文春新書)の著者でNPO法人POSSE』代表の今野晴貴氏が語る。「根本的な原因は学費の高騰です。国立大の授業料は2017年時点で年間約53万円。過去40年で15倍近く上がっている。私立はさらに高い。入学金も含め、4年間支払うのは家計に大きな負担がかかります。結果、奨学金に頼る学生が急増しました」


・現在、奨学金の受給者数は130万人にのぼり、20年前の46万人から3倍近く増加した。


「MARCH(明治、青学、立教、中央、法政)を出ても非正規労働者がゴロゴロしている時代です。正社員でも過重労働で超低賃金というブラック企業も多い。体調を崩して休職したり、辞めてしまったりすると、奨学金の返済は至難になります」(今野氏)

(部分引用終)

https://www.news-postseven.com/archives/20180214_649702.html


週刊ポスト』2018年2月16・23日号
国立有名大学の奨学金延滞率 トップは名大、ワーストは一橋
2018.02.14


・大学在籍時に奨学金を受けた学生が、その返済に苦しむケースが急増している。奨学金の受給率は入試難易度と一定の相関関係が読み取れ、難関大学ほど受給率が低い傾向がある。


日本学生支援機構の『学生生活調査』によると、大学生の「親の平均年収」は私立より国立が高く、学費は国立の方が安い


・「親の平均年収1000万円以上」とも言われる東大生の延滞率は0.4%。京大、北海道大、東北大、九州大なども同じ水準だ。


・東大より「返済力」が高いのが名古屋大(延滞率0.2%)だ。同地域の名古屋工業大学(0.5%)、愛知教育大学(0.3%)も低い。


・有名国立大のなかで「返済力」ワーストは、意外にも財界トップや大企業の経営者を輩出してきた一橋大(延滞率0.9%)だった。


・有名国立の延滞率ではなく、奨学金の「受給率」に焦点をあてて分析すると地域格差が浮かび上がった。東大(15.4%)東工大(16.8%)一橋大(16.7%)と東京にある大学は奨学生が少ないが、京大(21.7%)阪大(24.9%)北海道大(29.1%)東北大(34.8%)九州大(42.6%)と地方ほど受給率がハネ上がる。東京と地方の「大学生の親」の“所得格差”を反映していると推測できる。

(部分抜粋引用終)

https://ironna.jp/article/11317


「学歴」が分断する現代日本社会
『月刊Wedge』 2018/07/13
本多カツヒロ (ライター)
『日本の分断』吉川徹教授インタビュー


・「学歴なんか関係ない」といくら言ったところで、学歴により就くことのできる職業も違えば、賃金にも差があるのが現実。また、社会人になると同業者や同じような人生を歩んできた人々とのコミュニケーションが多くなり、それ以外の人々がどんな生活を送り、何を考えているかについては無関心になりがちだ。


・『日本の分断 切り離される非大卒若者たち』(光文社新書)を上梓した計量社会学が専門で、大阪大学大学院人間科学研究科、吉川徹教授に日本における学歴の意味や、学歴分断社会の現状、そして非大卒の若者たちに忍び寄るリスクについて話を聞いた。


・―日本社会で学歴が持つ意味を一言で言い表すとどんな言葉になるでしょうか?


吉川:「自己責任だとみなされているがゆえに、もっとも重視されるアイデンティティ」でしょうか。今の日本社会では、「ジェンダー」「生年世代」「学歴」という3つの分断線が重要な意味をもちはじめています。


・「ジェンダー」や「生年月日」は外見から判断できてわかりやすい。しかし、学歴は外見上わからないものなのに、問いただすのはタブーだとされています。


―学歴分断と、巷で話題になる格差社会、階級社会という言葉に違いはあるのでしょうか?


吉川:学歴分断とは「最終学歴という、大人にとって変更不可能なアイデンティティ境界に従い、上か下かが決まる」ことを指します。


・学歴は、一度身につけて社会へ出れば、定年を迎えるまでそれをずっと使い続けなければなりません。だから、学歴分断は解消しえないのです。


トランプ大統領の誕生によってアメリカの分断が、Brexitによりイギリスの分断が叫ばれ、欧米諸国でもこの「分断」がキーワードになっていますが、そこでも学歴が重大な意味を持っているのでしょうか?


吉川:いいえ。欧米社会には、階級と民族という学歴より重大な格差の源泉があります。たとえば、企業の採用では、表向きは民族や階級といった個人情報によって差別をしてはならないとなっていますが、履歴書を見る人事担当者は名前で中国系か、ユダヤ系かなど出身民族を推測し、それならばこういう社会階級出身ではないかと想像しているのです。


しかし日本社会では、民族や階級の分断線が欧米ほどははっきりしていません。それゆえに、他社会では格差の決め手とみなされていない学歴が、大きな働きを果たしている。


―日本人は、高学歴化し、大学全入時代に突入するかと言われています。


吉川:昭和の日本社会の高学歴化を支えていたのは、親も教師も子どもになるべく高い学歴を望み、子どもも当然そう考えているという大衆的に高学歴を望む「大衆教育社会」だったと言われています。


・2009年に『学歴分断社会』を書いた当時は、「学歴分断」という言葉や概念自体がありませんでしたし、現実社会も大卒と非大卒の分断はまだ起きていなかったのです。


―半々の割合で、大卒と非大卒になる学歴分断状態が継続すると何が問題になってくるのでしょうか?


吉川:大卒と非大卒では、就いている職種や産業、昇進のチャンス、賃金などが異なります。そのため、ものの考え方や行動様式も異なってきます。さらに、恋愛や結婚においても学歴による同質性は高く、日本人の7割が同学歴の相手と結婚します。また、日本人の8割が親と同じ学歴をたどり子どももまた同じ学歴になるよう望んでいるということを加味すると、大卒家庭と非大卒家庭の分断は、やがて世代を超えて繰り返されるようになります。


・「住んでいる世界が違うから」という言葉を聞くことさえあります。これはまさしく深刻な分断状況だと言えないでしょうか。


―吉川先生が、特に問題を抱えているとみているのは、若年の非大卒層の人たちなのですね。


吉川:日本社会の現役世代は、ジェンダー、生年世代、学歴と3つの分断線でわけると、若年非大卒男性、若年非大卒女性、若年大卒男性、若年大卒女性、壮年非大卒男性、壮年非大卒女性、壮年大卒男性、壮年大卒女性の8つにわけられます。このうち特に不利な境遇にあるのが、若年の非大卒男性です。


・多くが義務教育もしくは高卒の両親のもとで育ち、かれらの多くは製造や物流を始めとした、わたしたちの日常生活に欠かせない仕事に就いて日本を支えているのですが、5人に1人が非正規・無職、一度でも離職経験のある割合は63.2%、3カ月以上の職探し、失業経験者は34%、3度以上の離職経験がある割合は24%と他の男性たちに比べ高くなっています。労働時間だけは長いのですが、同じく非大卒の壮年男性と比べると個人年収は150万円近く低い。彼らのことを本書ではレッグス(LEGs)と新しい言葉で表しました。「Lightly Educated Guys」の略で、高卒時に、お金と時間のかかる重い大卒学歴を選ばなかった、軽学歴の男たちという意味です。


・本来ならば、高卒ですぐに働き始めれば、大卒層よりも早く生活を安定させて、貯蓄もできて、早く結婚して家庭をもつこともできるはずです。しかし、雇用や収入の面で厳しく、消費や文化的な活動、余暇について総じて消極的になっていることがデータからわかりました。


―なんだかラストベルト周辺に住む白人ブルーカラーの人たちと重なるところがありますね。


吉川:少し前にアメリカでヒットした『ヒルビリー・エレジー』という本があります。その本が出るまで、都会に住むホワイトカラーの白人たちは、どうして都会へ出て仕事をしないのかなどと見ていたわけです。でも、彼らには彼らの論理がある。


―なぜ、レッグスだけが他の層と切り離されているのでしょうか?


吉川:彼ら自身は、日々の生活に追われるばかりで、積極的に自分たちの立場を主張しません。他の層の人たちも、レッグスが世代を超え繰り返されることに気がついてない。


―彼らに対し、公的なケアがなされず、リスクを負わせている現状をどのように変えていけば良いと考えていますか?


吉川:再三、繰り返している通り、日本では学歴が重要な決定要因になっているにもかかわらず、大学無償化の議論を除けば、学歴をベースにした政策はありません。


・大卒層について、大学無償化や私的負担の軽減を議論するのであれば、同じ世代のレッグスに対しての支援も議論すべきです。


―多くの人が、大人になるにつれ、同じようなライフコースを歩んできた人としかコミュニケーションを取らなくなります。


吉川:『日本の分断』では、8つの分類を8人のプレイヤーで構成されたサッカーチームのようなものだと考えています。大卒のフォワードだけがいくら得点し活躍しても、ディフェンスであるレッグスが機能しなければチームは勝てません。それくらい日本社会はギリギリの状態なのです。


ほんだ・かつひろ ライター。1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中

(部分抜粋引用終)

読んでいて気が重くなるような記事だ。
(1)学費の高騰が原因のような記述があるが、新制一期の名大生だった私の亡父の時代に比べれば、私の学生時代には、国公立でも桁違いの学費だった。つまり、世の中の経済とは、そういうものだと弁えていなければならない。
(2)一橋大の延滞率が高いのは、経済中心の大学だったのに、昔の元学長がマルキスト都留重人氏だった学風とも関係していないだろうか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131121)。つまり、世の中を斜に構えて生意気なユートピア思想に若いうちから慣れてしまい、甘い人生観でも何とかなるさと、誤解してしまったケースである。
(3)全人口が首都圏に住むことは不可能なのだから、地方と差異を強調するのもおかしい。地方の方が、生活費が低く済む場合も多いのだ。
(4)子供は親と同じ学歴を求めるというのならば、親が博士号取得の場合、子供も長々と大学に居続けて博士号まで頑張るのだろうか?

そもそも、十代の段階で、奨学金という借金を当てにして大学進学を志すという進路設計が、解せない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170828)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180708)。親は何をしていたのだろうか。大学に行かせたいのならば、誕生直後から教育資金を計画的に貯めて備えるという人生設計はなかったのだろうか。
それに、私の学生時代でも新聞奨学生制度があり、住み込みで新聞配達をして働きながら(つまり、食住は確保されていた)、夜間大学(二部)に通うとか、まずは高卒後に公務員になって働きつつ、職場の理解を得て短大から始め、優秀な成績で四年制の3年生に進学した、というケースを時々見聞していた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151228)。
あしなが奨学金は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071027)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090724)、親の病死や事故死や自死等で大変な思いをしている高校生を引き取って、寮生活を通して礼儀作法や仲間づくりを指導されつつ、頑張って大学に通い、一人前として社会に出るまでの制度を用意している。事業が拡大し、今ではアフリカ等の若者との交流コースまでできているようである。
そういう事例を知り、(恵まれているならばもっと頑張らなければ申し訳ない)と、私は自分を叱咤していたものである。
平成になってから、よろず平板になり、甘ったれ人間が増えた。その結果、国力が下がり、経済格差が拡大し、近隣諸国に土地や人口を侵略されつつある気弱な日本が出現した。

国民として感じること (1)

https://koredeii.com/2018/11/29/


・痛々しいというか、秋篠宮さまがあんなにやつれながらも意思を明確にしようと必死な表情されていたと受け止めました。紀子さまは話しながらも今にも泣きだしそうな気配もあり…。ただまあ、家族としては反対してるけど、まさに白旗という感情が読み取れました。


眞子さまのゴネ方、駄々こねてるご様子。こんなにワケわからない方だったんだと正直呆れてきました。


・そもそものご性格が、こういう気の強い思い込みの激しいアンバランスなとこのある方なのかなと思いました。


・これだけ日本中にK母子の悪行ぶりを知られたら、今後日本でまともに生きていくのも難しいでしょう。結婚も絶対ムリムリ。


眞子さまも諦めない。このお姫さま、中学校まで「次代の家刀自」として、お母様から厳格すぎるほどのしつけで育てられ、悠仁様ご誕生を境に、一挙に「放任」へ。「自主性を尊重しての子育て」とは「放置放任ネグレクト」と紙一重


・殿下は、どうも憲法第24条の「両性の合意による結婚」という観念に縛られておられるようです。自分たちの結婚のときも、結構反対され、それをしのいで成就した思い出もあり、しかも5年間、交際を許可した負い目もあり


秋篠宮家は、その間、佳子さまも結婚できない、悠仁様の今度は高校どうするかもいろいろ言われる。いいことは一つもないんですけどね。


新嘗祭に守谷さんが参列されたんだ、というか結婚された皇族の夫君は参列の資格を与えられる


眞子さまは周りの声が耳に入らない状態なのか、聞かない様にしているのかそれとも何か脅されたりしてるのか。

(部分抜粋引用終)

https://koredeii.com/2018/11/30/


・「秋篠宮さま:小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることは、私も全てをフォローしているわけではありませんが、承知はしております。(記者に質問を確認されて)小室さんからの連絡ですか、どうでしょう。2、3か月に1度くらいでしょうか、時々もらうことがあります。これは、娘と小室さんのことではありますけれども、私は、今でもその二人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、やはりそれ相応の対応をするべきだと思います。まだ、婚約前ですので、人の家のことについて私が何か言うのははばかられますけれども」「今いろんなところで話題になっていること、これについてはきちんと整理をして問題をクリアするということ(が必要)になる」「やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません」


・「秋篠宮さま:私は、最近はそれほど、娘と話す機会がないので、よく分かりません


・「紀子さま:昨年の夏から、様々なことがありました。そして折々に、私たちは話し合いを重ねてきました。そうした中で、昨年の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調が優れないことが多くなりました。そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は、大変心配でした。」「長女は、美術や音楽が好きなものですから、そして私も好きで、一緒に誘い合って展覧会や音楽会に出かけることがあります。」「家族として非常に難しい状況の中にありますが、私は、長女の眞子がいとおしく、かけがえのない存在として感じられ、これからも、長女への思いは変わることなく、大切に見守りたいと思っております。」


・「秋篠宮さま:結婚についてですが、親の勝手な希望としては、それほど遅くなくしてくれたらいいとは思いますが、こればかりは、やはり御縁の関係もありますので、別に私からせかしたりすることもしません。いずれ本人から何か言ってくるかもしれません。そのような状況です。」


・「紀子さま:結婚についてですが、これから先、もし次女がそのような話がありましたら、次女の考えやその先の将来のことについての考えを聞いて、私も必要なところ、大事だと思うことがあれば、お互いの話し合いの中で、気持ちや考えを伝えていきたいと思います。」


・「紀子さま:長男は学校の家庭科の授業でお弁当実習を始め……(とお考えになる)。」
秋篠宮さま:(妃殿下を向かれて、お尋ねになって)調理実習じゃない?」
紀子さま:(殿下を振り向かれて)調理実習かしら。(長男が)お弁当を友達と一緒に作る機会がありました。」


・「秋篠宮さま:具体的にもし言うのであれば、例えば、即位の礼は、これは国事行為で行われるわけです、その一連のものは。ただ、大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だったわけですけれども、その頃はうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですけれども。今回も結局、そのときを踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは、今でも持っています。」「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ、そのできる範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。」「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。」


・「秋篠宮さま:やはりそれ相応の対応というのはこちらの対応ではなく相手側の対応ですね。その後にお話ししましたように、やはりきちんと、どういうことなんだということを説明をして、そして多くの人に納得してもらい喜んでもらう状況を作る、それが「相応の対応」の意味です。」

(部分抜粋引用終)

https://www.ootapaper.com/entry/2018/11/29/133543


・あの方は本当に賢いですから。だからこそ、高円宮殿下が亡くなった後も、しっかりとした縁組を久子妃の女親一人でまとめることができたのでしょう。普通は皇統の血筋がなくなったよるべのない宮家というのは、縁組は苦労するものです。


天皇家というのは、日本国の象徴です。次代の天皇になる方が、ご自分のご家庭も統率できないのでは困ります

(部分抜粋引用終)

https://www.ootapaper.com/entry/2018/11/29/172814


・幼児期から周りに傅かれて育つ神の子!おまけにお叱りや躾抜きの秋篠宮家の自由奔放教育による我儘な特権意識。莫大な国民の税金を湯水のように彼氏につぎ込ませる事へ何の疑問も感じない。8月のお別れ夕飯に〇宮家の車や門の使用に宮内庁上官や警備官を顎で指図する傲慢さ。


秋篠宮家の従業員の入れ替わりが激しいとかも人を人とも思わぬ傲慢夫妻の解雇病としか思えない。そこから育つ息子がいつか日本国の天皇になる


・小室圭氏の留学に関しては、私は以前から、成年皇族の眞子さんが自分の権限と自己の資金(破格のお小遣い)を利用した浅はかな暴走と踏んでいます。眞子さんの東宮門突破の情報がその裏付けと思っています。


・小室家の「反社会的組織との関わり」、「小室圭氏の国際レベルで道徳的に反する挙動(裏ピース、女性器口淫のシンボル)」をもっと公にし、フォーダム大学にも認識させ、強制的に日本国の象徴と乖離させること


・皇室へ「すでに他国民の血統が侵入している」やら「皇室崩壊への戦後処理の結果」だの、もっともっと国民に周知させ、日本人として今後の皇族のあり方を、しっかり見据える時期に来ているのだと思います。

(部分抜粋引用終)

https://www.ootapaper.com/entry/2018/11/30/055221


・1990年に出された「四学長声明」ー人権教育のための記録ー
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170903200947.pdf?id=ART0000362266
関西学院大学国際基督教大学フェリス女学院大学明治学院大学の名前で出されています。


・このような文書を出していた大学に、眞子さまも佳子さまも進学されたのだということに改めてびっくりします。


秋篠宮殿下に対する不思議な気持ちを吐露させてください。この方は、お若いときは自由奔放な宮様だったのですが、ある時から、えらく天皇皇后に恭順な姿勢にかわりました。その最たるものが前コメントにも書いた「産児制限を受け入れた」ことです。何しろ悠仁様誕生の前に「お許しをいただいたので」とおっしゃっておられる。お許しをいただくまでは、ずっと我慢しておられたのかと、改めて驚きました。


・子供たち二人を、皇后陛下同様のキリスト教大学に進学させたこと(特に眞子さまは初めからこちらだし、皇族として初めて宗教色のついた大学でした)


天皇との三者会談では、いつも先に皇太子が帰ってしまい、その後1時間ぐらい、天皇と話し合っていること。(多分皇后もその場におられるのかと)とにかく、この方、今天皇皇后のメッセンジャーになっているのではないでしょうか?


眞子さまはそういう親の姿をよく見てごらんになり、ご自分の婚約話、多分「職が決まらない」ということで紀子妃が難色を示したことから、葉山御用邸に駆け込んで、天皇皇后にゴーサイン出してもらった。それに対してこれも秋篠宮夫妻は何も言えず、婚約内定への流れになってしまったのではないかと。

(部分抜粋引用終)
数日前に録画されていた秋篠宮殿下のお誕生日会見は、日付が変わった真夜中きっかりに公表されたようである。
殿下の方は、さすがに予想以上に率直に語っていたようには思われるが、結局は、憲法にせよ、大嘗祭の予算や規模にせよ、戦後思想の落とし子のようなお考えを保持されてきたのだろう。同い歳で同月に生まれているので、空気のような時代精神がよくわかるのだ。
関西学院大学国際基督教大学フェリス女学院大学明治学院大学」の四学長の声明や右翼からの反応については(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170907)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170929)、時期的にマレーシア赴任の直前で忙しくしていた頃であり、当時の私は、うかつにもよく知らなかった。弓削達氏については学会の古い文書や書籍で存じ上げているが、研究方面でしか理解していなかった。
今でこそ、「え!そんな発言を?」と驚くが、あの頃の大学の雰囲気としては、うちの母校(国立大学)もそうだったが、リベラルで進歩的で知的水準が高いと自負しているような院生や物分りのよさそうな自由主義的な教授ほど、あの路線に沿った考えを臆せず講義や著述の中で述べていた記憶がある。但し、それが可能だったのは、経済的にバブル絶頂の末期だったため、優越感や奢りに基づく「余裕」が背景として考えられる。
キリスト教系大学は私学であり、入学する学生も裕福で恵まれた都市中間層が多く見受けられたために、国公立の学校しか通わなかった私は、どこか違和感を覚えつつも、あの自由闊達さを羨ましくさえ感じた。(あれは頭のいい人達が言うことだ)とも思っていた。
フェリスと言えば典型的なお嬢様学校で、「うちの母がフェリス出で...」と自慢げに語る少し年上の男性を、二十代の頃、私は知っていた。でも、実際にどのような教育思想を施す学校なのか、フェリスに行ったこともない私は、全く知らない。その男性は、「今の日本は駄目だ」とマレーシア帰りの私に言い、既婚者なのにベンチャーのような転職をすると突然言い出し、周囲を慌てさせていた。
あれから30年ほどが経った今、国力が徐々に低下し、自然災害が多発し、経済格差が誰の眼にも明らかになった。この現状を思えば、まさにユートピアを語っていたのだろうと認識を新たにさせられる。
国体や国のかたちが曖昧なまま、学校でもメディアでも、深く分析も考察もせずに、斜に構えて無責任に現状を批判するスタイルがカッコいいとばかりに、(自分が楽しければいい)と、目の前のことだけを享楽的に過ごしてきた。そして、これまでメディア報道だけで秋篠宮家の全貌を知ったつもりになって、応援し模倣さえしてきた世代や層に、そのツケが降り掛かってきたのかもしれない。
昨日、気になって秋篠宮家(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BD%A9%BC%C4%B5%DC%B2%C8)の初期からの写真をウェブでざっと眺めてみたが、幼少時はともかくとして、内親王の二人は、それほど伸び伸び素直に明るく育っているという感じには見えない。むしろ、むっつりとして嫌そうな表情が案外に多いことに気付かされる。紀子妃殿下も、年齢相応にふっくらとした体型ではなく、口元に皺が多くて、かなり老けて見える。
その点、高円宮家とは対照的でさえある。
皇室ジャーナリストが、国民の皇室への関心を惹きつけるためか、まるで日本の家庭のモデル像のように語り、紹介していた部分が少なくなかったようにも思われるが、この宮家から将来の天皇が出ることになっている以上、国民として無関心ではいられない。現実を直視し、本来あるべき姿を知ることだ。また、仮に宮家が右往左往しているとするならば、その際には、むしろ国民の側が自覚して、しっかりと近い将来に備えていかなければならないと思う。