ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

流行の教育方法論とは

古いメーリングリストを整理していたら、以下のようなものが出てきた。

JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル
No.2748    H30.01.24   7,975部


方法論に終始する「問題解決型学習」
今井信吾


・従来の授業形態を知識詰め込みの「知識注入型教育」であるとして批判する中で導入されたのが「ゆとり教育」であった。昭和55年度から小学校、中学校、高校と徐々に実施されたが、大まかに言へば「(1)教科内容と授業時間数の削減、(2)教科書のない『総合的な学習の時間』の設置、(3)自ら課題を見付け自ら学び考へる主体的な問題解決力の育成」といふものである。


・しかし学力の低下が指摘されたことから「ゆとり教育」が指向され、新たに提唱されたのが主体的・対話的で深い学びの実現を目指す「アクティブラーニング」(問題解決型学習)であった。


・もともとアメリカの教育学者、ジョン=デューイ(1952年歿)の学習理論で、「学習」とはそもそも能動的に行ふものであり、知識の暗記のやうな受動的な学習ではなく、自らの問題を発見し解決していく能力を身につける、といふものである。


・この学習の特徴は、まづ自分で教科書で基本的な知識を理解することを前提とし、それを踏まへて授業で積極的に他者と対話しながら自分の意見を形成していくところにある。現在、学校現場ではこの「アクティブラーニング」の研修会や授業実践が盛んに行はれてゐる。


・筆者が参加したある研修会で、講師の大学教授は「私の90分間の授業で講義するのは10分間だけ。あとは学生によるディスカッション(討論)やプレゼンテーション(報告・発表)を自由にさせてゐます」と語ってゐた。つまり、先生が教壇に立って教授することを極力避け、学生の自主性に任せるといふ方法なのである。


・一昨年度、某校(一年生)の「総合的な学習」の時間で課題研究が行はれた。まづ各自が自分に関心のあるテーマを準備する。それに基づいて研究テーマを絞り込むためのブレーンストーミング集団思考、集団発想法)を行ふ。テーマが決まったら、グループごとの討論、ICT(コンピュータ―やネットワークを使ふ情報通信技術)による発表を行ひ、最後は到達目標に達したか否かをルーブリック(評価指標)によって生徒たちを指導する。


・生徒の中には、テーマと真剣に向き合ってゐない者もゐて、少し行き詰まると「先生、別のテーマに変へてもいいですか?」と言ってくる。そして新しいテーマに関する情報をインターネットから巧みに引用し情報を上手に「整理」して発表を終へる。論点などない。したがって、生徒同士が真剣に討論することもないし、発表者に質問をすることもない。すべてが表面的な作業である。生徒の知識理解は二の次なのである。これでは学力がつくはずがない。


・須く「学問は学者の人格、志、生き方を離れては存在しない」(福田恆存)ことを忘れてゐる。


・このやうに今の教育界ではカタカナ語を頻用した方法論に終始して、基本的な「ものを考へる(言葉を学ぶ)」「志を育てる」といふ教育が等閑りにされてゐる。学習指導要領がいふ「人間性豊かな教育」を実践するためには、自由気ままにおしゃべりをすることではない。古典的名著や偉人の生き方に謙虚に学び、「人生」の質を高めなくてはならない。古典に宿る先人の命に触れれば、生徒の心も自づと躍動する。心を働かす訓練なくして単に方法や技術に固執する考へ方は、社会制度を変革すれば社会は良くなるとした人間不在の社会主義思想にも通じるのである。


・筆者は「アクティブラーニング」と言ふならば、幕末の「吉田松陰先生に学べ!」と言ひたい。先生の『野山獄読書記』を開くと、「甲寅((安政元年))10月念4日((24日))入獄」からその年の12月までの僅かの期間に資治通鑑』や『日本外史』など「大略106冊」を読破したと記されてゐる。先生は熱心に読書をする一方で、ほぼ全国を旅して知識を吸収し、大事な事柄については抄録を作り、感想を記し、野山獄や松下村塾では弟子たちと真剣な討論も展開したのである。


・これぞ我々が目指すべき「問題解決型学習」のお手本ではないか。わが国にも立派な先達がゐるのである。かうした具体的な教育実践に真摯に学ぶ姿勢こそ、今日の教育界に最も必要なことだと思ふ。

(抜粋引用終)
「問題解決型学習」は、学校でする課題ではなく、学校を出てから個別に社会人として取り組む姿勢である。学校は「基礎学力を身につけ、社会性を学び、生涯に及ぶ勉強の方法を知る所」である。若いうちから、妙な実践をしてはならない。
この「ディスカッション学習」を新聞のコラムで読み、二十年以上も前に某大学の授業で試してみたことがある。時間がダラダラと流れるだけで、全く駄目だった。いきなり問題設定しても、結局は、その場の思いつきしか学生は発言しないし、「多角的な物の見方を養う」と前提すると、正解どころか、答えの骨子そのものがなくなってしまうのだ。また、途中でこちらが知らない話題が飛び出すと、対処ができなくなる。
基本は読み書き算盤。教育を受ける目的は、生涯にわたる人格の陶冶と国益に沿うもの、という原則を徹底させなければならない。
恐らく、欧米の大学や日本国内の留学生達が、積極的に人前でも滔々と話す様子を見て、刺激されて「グローバル化への対応」として学校でも導入に至ったのであろう。だが、外来方式は、必ずしも日本の国是や民族性に合致しないこともある。奥ゆかしく、じっと周囲を観察して、黙っていても自分の内で考えをまとめている学生や生徒達もいるはずだ。「沈黙は金」が世の中で通用する場合は、今も少なくはないと思われる。
要再考。

JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル
No.2777   H30.05.02   7,946部


「小学校教育の経験から思ふこと」
沢竹助六


・今から10年近く前の話になるが、約半年間、千葉県の某公立小学校に産休代替講師として赴任した。卒業を控へた第6学年の担任だった。


・いよいよ児童との対面である。教室で児童の自己紹介を聞きながら名簿を見て驚いたのは、記載されてゐる名前が男女で混在し、性別を問はず五十音順であったことである。最近の名前は読み方や性別がはっきりしないものが多い。この名簿は生徒の顔を名前を覚えるのに苦労するばかりか、クラスの運営上でも非常に不便なものであった。


・名簿の問題は、一人づつ男女のチェックを付けることで乗り切ることができたが、性別や年齢を問はず全ての児童に「○○さん」といふ敬称を付けることを強要されたことは実に不快であった。男子の児童に対して「○○くん」と話しかけたら、間髪入れず女性教員から「"さん"と呼んで下さい!」と、児童らがゐる前で叱責された。かういった"ジェンダーフリーごっこ"は多々あったが、なによりもこのやうなことを児童の前で注意されてしまっては、教師の威厳も何もあったものではない。否、さういったものはそもそも教室には無かった。


・「先生は、まだこの学校に慣れてゐないから、みんなで助けて、仲良くしてあげませう。」小学校では教員と児童が友人関係なのだらうか、と考へさせられた。失墜してしまった教師の立場は、最後まで完全には払拭できなかったやうに思ふ。


・授業は、いはゆる主要な科目の時間がとても少なく感じた。学校5日制(土日休業)のため授業時間数が少くなってゐるにも関らず、勉学以外の不思議な名称の時間が多く設定されてゐた。算数は辛うじて週に5コマあったが、特に国語は週に4コマしかなかった。そして国語が無い日に私の頃には存在しなかった「外国語」の授業が設定されてゐた。


・「外国語」とは英語である。それは市から派遣されてきた日本語が話せるネイティヴの教員助手に一任され、担任はそれを部屋の隅で見てゐるといふ形態であった。


・国語の授業の少なさによる文章力の低さは、直ぐに卒業文集の作文指導に支障が出た。特に漢字や日本語の不正確さが目立ち、またカタカナ語の使用が非常に多かった基礎学力の低下は明らかだと思はれた。


・3年前、音楽教育の現場で大きな出来事があった。半世紀に渡って東京藝術大学を中心に使用されてきた音楽の基礎科目の一つであり、音の響きの理論である「和声」の教科書が一新され、長年我が国で使はれてきた方式ではなく、欧州風のものに変ったのである。


・編者によると、その大きな理由の一つに、日本人の演奏する西洋音楽は日本語の発音のやうで海外では通用しないので、聴感覚を西洋人の耳に近づけなければならない、といったものがあった。かうした話は音楽の世界では、例へば国際的なコンクールで日本人が落選する度に聞かされてきた。


再現芸術である音楽においては一定の理解はできることではあるが、そこには危ふさもある。実は西洋の模倣でよければ、さほど芸術などは難しいものではない。そこを超えた部分に芸術の真の価値があり、それが困難な課題なのである。

(抜粋引用終)
基礎学力の低下は、国力低下につながる。
「和声」については、遥か昔の学生時代、カワイのピアノ検定受験のために音楽理論を教科書で独習した時、非常に感銘を受けたことを思い出す(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070910)。あの頃の教科書はまだ良かった。クラシック音楽は西洋由来であるが、まともな西洋人ならば、東洋人の猿真似演奏等、聴きたくもないだろう。
最近、韓国人の若手ピアニストが日本に来て、日本人に対して「ショパンとは...」等と、既に誰もが知っていることをわざわざ解説しているのを聴いて、どこか違和感を覚えることからもわかる。
内田光子さん(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C6%E2%C5%C4%B8%F7%BB%D2)が高く評価されている理由は「我々の真似ができないような方法で、我々の音楽を理解し、解釈し、実演している」からである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181103)。
要想起。

JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル
No.2766   H30.03.19   7,946部


古典と歴史の中に自分の志を見出さう
今村信吾


・本年度、生徒指導主事を任されることになった。生徒指導主事とは、文字どほりその学校の生徒指導に関する業務を総括する係である。近年では、生徒の問題行動に対応したり、問題行動・事件事故を未然に防ぐ係といふ消極的な見方があるが、実はそれだけではなく、生徒の在り方生き方を考へさせる係でもある。


・本校では毎年4月、新入生の集団宿泊研修といふものを2泊3日で実施してゐるが、そこで生徒指導講話を30分間行った。講話の中心は、志を持てといふ内容で話した。


1 学問の喜び

子曰く、学んで時に之を習ふ、亦説ばしからずや。朋あり遠方より来る、亦 楽しからずや。人知らず、而して慍らず、亦君子ならずや。 (『論語』学而第一)


孔子中国古典に学び、それだけに終らずに自分の真なる生き方を求め続けた人といへると思ひます。これこそ孔子の志であったのです。孔子中国の古典を信じて、生涯学問に励んだ人と言へるでせう。志とは、心に堅く決したこと、心に誓った信念といふ意味です。


2 学問の志


志といへば、私は吉田松陰の志を思ひ出します。


松陰は、学問に取り組まうとするなら、それを行ふ者の志がどこにあるかを問題にしてゐます。それは人としての正しい生き方を学ばうとする心がなければならない。名誉や利益を得るための学問など学問とは言はない。そのやうな「学問」は、「学問」が進めば進むほど弊害が現れると言ひます。

其の心に作るとは初一念の事なり。人は初一念が大切なるものにて、どこまでも付回りて、政事に至りては、其の害最も著はるるなり。今、学問を為す者の初一念も種々あり。就中誠心道を求むるは上なり。名利の為にするは下なり。
故に初一念名利の為に初めたる学問は、進めば進む程其の弊著はれ、博学宏詞を以て是れを粉飾すと云へども、遂に是れを掩うこと能はず。大事に臨み進退拠を失ひ、節義を欠き勢利に屈し、醜態云ふに忍びざるに至る。
(『講孟箚記』勝文公下から)


松陰は、下田でペリー艦隊のポーハタン号に向ひ密航を企てるが失敗に終り、萩の野山獄に入れられます。その獄中で「孟子」の勉強会を始めるのです。

今且く諸君と獄中に在りて学を講ずるの意を論ぜん。俗情を以て論ずる時は、今已に囚奴と成る。復た人界に接し、天日を拝するの望あることなし。講学切して成就する所ありと雖ども、何の功効かあらんと云々。是、所謂利の説なり。仁義の説に至りては然らず。人心の固有する所、事理の当然なる所、一として為さざる所なし。
人と生れて人の道を知らず。臣と生れて臣の道を知らず。子と生れて子の道を知らず、士と生れて士の道を知らず。豈恥づべきの至りならずや。若し是を恥づるの心あらば、書を読み道を学ぶの外、術あることなし。已にその数箇の道を知るに至らば、我が心に於て豈悦ばしからざらんや。
「朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり」と云ふは是なり。亦何ぞ更に功効を論ずるに足らんや。諸君若し茲に志あらば、初めて孟子の徒たるを得ん。
(『講孟箚記』粱恵王上から)


松陰のどんな環境でも、卑屈になることなく、前向きに己の道を求めていく姿に感動させられます。


3 天野清三郎の生涯



天野清三郎は安政4年の冬、15歳で松下村塾に入門しました。天野は高杉の下で勤王倒幕運動に従事します。高杉は頭のいい天才的な人物でした。しかし、彼は、機転が利き、決断力や行動力のある高杉と自分を比較して、自分は頭も悪く、臨機応変に対応する能力がない、このままだと高杉さんの足手まとひになるだけだと悟ります。では、自分は何をすべきだらうか。


夷等此の時に乗じ再び前請を申ねば、国家の大体、華夷の名分を知らざるもの、動もすれば一時権宜の策に託し、国体を屈し和議をなさん杯いふに及ぶべきも量るべからず、実に寒心すべき事に非ずや。此の時に方りて堅艦の夷人を制するに足るものを製し、糧運に支りなく、又応援に便ある如くなさずんば、何を以て守りを為さんや。
(『将及私言』「船艦」から)


天野はこの松陰の言葉に「さうだ、自分は頭は悪いが手を使ってものを作ることは好きだ。松陰先生の教へに従ひ、船造りにならう。そして日本を守るぞ」と決意したのでした。松陰は何気なく言った言葉かも知れませんが、天野にはそれを受け流しせず、心で受け止めたのでした。ここに注目してください。


そこで天野は慶応3年、脱藩し上海に密航しました。そして上海からロンドンに渡り、ロンドンのグラスゴー造船所で働きながら船造りを覚えました。


造船所で働いてゐるうちに技能だけではなく、もっと基礎的な学問が必要なことがわかってきました。造船に関する学問です。そこで天野は昼働き、夜間の学校に通ふことにしました。そしてさらに専門の学問だけでなく英語や数学、物理学も勉強しました。本当に血を吐くやうな思ひで勉強に取り組んだのでした。そして、努力の甲斐あって見事3年で卒業することができましたが、しかし、彼はそれだけでは納得がいきません。


大西洋を渡り、アメリカのボストンの造船所で働きながら、学校に通ったのでした。


さうやって天野は苦学の末に造船学をマスターして、明治七年に帰国を果しました。政府は、天野が造船学を学んだことを知ると、政府は長崎造船所の建設に力を貸すやう要請、その後、長崎造船所の所長に抜擢しました。而して天野は日本造船業界の草分けとなったのでした。


松下村塾では、あまり目の出なかった、勉強嫌ひの天野清三郎がロンドンやボストンで血を吐くまでに勉強できたのはなぜか、どうしてそこまでしてがんばれたのか、その底力はどこにあったか。それは天野が立てた「志」に他なりません。高杉晋作の下で働く中で、自分は何のために生きるかを真剣に考へ、松陰の言葉に発奮して、自分の持ち味と世の中への貢献とを結び付け、己の志を発見、見事貫いたのです。


4 最後に


「自分探し」といふ言ひ方があります。それまでの自分の生き方、居場所を脱出して新しい自分の生き方、居場所を求めること、といふ意味です。これだと自分の生き方がどこか別の場所に存在してゐるやうな印象があります。友人や先生、家族や国家とのつながりを求めていくのではなく、さういふ人間関係を遮断してゐて、果して志が生まれるでせうか


みなさんは自分の生き方をよそに求めるのではなく、己の中に求めてください。是非、古典や歴史の中に、また先人の言葉を手がかりに自分の志を発見してほしいと思ひます。

(抜粋引用終)
二十代後半の頃、「"自分探し"はいつまでも続く」と聞いたことがある。あの頃は、書店の女性向け本でも、「"自分探し"の旅」という話題が目立った。果たして、その結果は如何に?
一方、「いつまでも"自分探し"ですか?」と問われたことがある。
否。私は「自分探し」などしていない、ここに「私=自分」がいるではないか、と言い返したい。世の中を自分が納得のいくように理解したいから、学生時代から気になっていた諸分野について、自ら本を読み、学んでいる過程なのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171005)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171017)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171031)。
そういう、他者を誤解したままの人が上に立って指導していた環境にいたので、私は出てきたのだ。
要猛省。

No.2825 H30.11.09 7,836部


あなたは自分の言葉で日本を語れますか?


いくら外国語ができても、自国の歴史文化も語れない「根なし草」では、外国の歴史文化も語れず、外国人と語り合うこともできません。そういう日本人が多いのは、日本の歴史教育の問題ではないでしょうか?


我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を深める」


この学習指導要領の目標が達成されていれば、それを「根っこ」として国際社会でも逞しく生きていける「国際派日本人」が育つはずです。現在の歴史教科書は、この目標を達成しているのでしょうか。

(抜粋終)
例えば英語学習のために、反日リベラル左派の英文雑誌を購読したり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170410)、NHK講座のとみに変になってきた外国人講師の発話をリピートしたりすれば(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170526)、まともな西洋人からは相手にされないだろうし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160905)、良家で育った東洋人からも見下されることだろう。
まずは、しっかりとした国語と国史の力をつけることだ。そして、それを基本的な英文法と英単語によって置き換える訓練をする。その意味で、海外文通は、私の学生時代には良い趣味と実益を兼ねていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070730)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071017)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071222)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080229)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081001)。後は、著名な諺や名文とされる模範文を繰り返し発音して暗記する。いざという時、切り返しが鮮やかになる。