ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

算盤教室の訓練が今も...

昨日は台風5号の到来。
月三回、午前中の町内の体育館での簡易テニスも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170101)、暴風雨警報発令直後に、通常とはメロディの異なるチャイムが鳴り、体育館を閉鎖するとのことで、15分ほど早く終了した。
主人の方は、午後2時に全員、帰宅するよう会社から指示が出たが、途中で電話連絡があり、午後3時45分に食材を調達して帰って来た。夕方7時に予約してあった近所の歯医者さんへは、電話して時間を繰り上げて早目に治療をしていただくことになった。
幸いなことに、夜間には警報が注意報に変わり、この辺りは直撃を免れたようだ。
そして、今、ミンミン蝉が元気よく合唱中で、トンボも群れをなして低く飛び交っている。
今日は「算盤の日」。パチパチと算盤を弾く音からだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070808)。
夏休みには、小学校高学年から中学二年生頃まで通っていた二箇所の算盤教室を、いつも思い出す。二箇所というのは、途中で引っ越したので、名古屋市内と名古屋市郊外の両方を指す。
ご自宅の広い一室を算盤教室に開放して、あるいはプレハブのような小さな家を借りて、今から思えば資格を得た主婦の先生だったのであろう、近所の子ども達を集めて、各級の検定試験の合格に向けて、「願いましては」の掛け声の元、一斉に集団指導していた。これは、規律を守り、集中力を鍛える訓練としては、非常によかった。寺子屋の算数教室みたいなものだ。
変な塾に無理に小さい頃から通わせたり、その対極として、のびのび育てるとばかりに、無軌道な「子ども目線」で(父親まで一緒に!)だらけて遊ぶよりも、読み書き算盤と礼儀作法と体力作りと規則正しい生活に焦点を合わせることが、どれほど将来や世の中のためになるかと思う。
熱心に厳しく算盤を教えてくださったお二人の女の先生方には、今も感謝している。
この話題から間接的に派生して、金美齢氏の古いコラムを以下に。

http://genki-site.net/kin/magazine/0501.html


金美齢
「若者に人生を誤らせる罪作りな筆致」 (2005年01月号)


・本欄で何について何を論じようと、これまで他人に干渉されたことはないし、私自身右顧左眄して、言うべきことを手控えるような卑怯未練な真似はしていないつもりである。ただ、私には外国人である立場故の礼節上の限界という意識が常にあるから、少しでも台湾に関連してくる問題についてはともかく、日本人自身の心の問題については、よいの悪いのと内政干渉がましいことを言うのは、たとえ強い意見があっても、なるべく避けるようにしてきた。


・最近、イラクのバクダッドでテロ組織に拉致殺害された香田証生さんの事件をめぐるある論調について、本質的に日本人自身が決める問題だとは思いながらも、その無責任な欺瞞性に、私は怒りを禁じ得ないでいる。


・私が指摘するのは、朝日新聞の看板コラム「ポリティカにっぽん」(平成16年11月2日付)である。「『政治の論理』より『命の論理』」と題するこの一文の中で、同社のコラムニストの早野透氏は香田さんの家族について「いかにも心やさしい人たちのようである」と想像し、「そんな家族の中で育った青年が人間の善意を信じて自らの危険を顧みなかったことはありうることだ」と論じる。


・物は言いようである。ここでは、家族の人柄から連想させる手法で、これが「一人の善意の青年の自らの危険を顧みない行動」だと崇高な位置づけをして、ひたすら事態を美化しようとしている。「政治の論理」によって一人の「善意の青年」を見殺しにしたとのレトリックのための伏線なのだ。


・4月に同じくイラクで3人の日本人が人質になったが、彼らの家族の傍若無人、自己中心の言動は多くの国民の眉をひそめさせ、「自己責任」という何やらよく分からない言葉を世に流行らせた。何でも他人のせいにする世の中の風潮への反撥であろう。


・だからといって、その息子が「善意の青年」だとするのは、美談仕立を目論む早野氏の勝手な憶測に過ぎない。


24歳にもなって、なに一つ仕事に専念できずニュージーランドからイスラエル、そしてさらにイラクへとあてもなく流浪を続けるだけの無知、無謀の若者を、「自らの危険を顧みなかった」と英雄視してみせる早野氏は、一体全体どのような意図でこんな空しい言葉を羅列するのだろうか。はっきり言って、これは若者に人生を誤らせる罪作りな筆致である。


・自己の軽率な行動の結果窮地に陥った香田青年が仮に救出されたとしても、私を含めて日本中が「よかった」と安堵の胸をなでおろすであろうが、胸を震わせる感動を呼び起こすことはあり得まい。


・「『政治の論理』より『命の論理』」という表現も、「政治」をひたすら「悪」のイメージで捉えたがる俗論に媚びたもので、「政治」の究極的な目的が国民の生命と生活を守ることにある事実(現今の台湾を見よ!)を一顧だにしない。


・私が早野流の筆致に怒りを覚えるのは、あのような無責任で軽佻浮薄な物言いが、香田青年のような犠牲者を再生産することになると思うからである。

(部分抜粋引用終)
全く同感。そして、日本国籍を取得されても、台湾人としての心を大切にするが故に、日本人の心情にはあえて踏み込まないように留意されてきたこと等、よく書いてくださったと感謝申し上げる。
ただ、冒頭の簡易テニスに話を戻すと、内心忸怩たるものがある。
朝、9時半から始まるのだが、私が到着するのは、大抵の場合、屈伸体操が始まった直後なのだ。
主人を毎日午前7時半に見送っているので、自転車で5分の体育館まで、それほど問題のある時間帯でもないはずなのだが、何事も5分前に締め切りタイマーをかけて余裕を見ているつもりなのに、なぜか遅れてしまう。
皆さん、町内の人ばかりなので、「ゴミ出し?」等と気を遣ってくださるが、出かける直前に突然見知らぬ人から電話がかかってきたり、ヘルペス後遺症のために右目がヒリヒリして(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170303)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170306)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170316)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170325)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170329)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170523)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170630)、急遽、点眼薬を出したり、自転車置き場が子ども用自転車(三輪車?)や大きな籠付き電動自転車で混雑していて出しにくかったり、おばあさんがゆっくり歩いていて、チリチリ鳴らしても聞こえない様子だったり....言い訳にもならない言い訳なのだが、なぜなのか?
梅昆布茶の水筒、首からかける二本のタオル、ハンドタオル、休憩時に顔や腕を冷やす保冷剤等(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170703)、準備万端、早目に整えておいたつもりでも、今度は試合形式で走り回っている途中で足がつりそうになったりもするので、家で15分ほど休憩してから出かけた方がうまくいくこともある。
このように、若い頃には予想もしなかった事態が、次々に発生するのが年齢である。
小学校の時には水泳教室(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170730)、中学では軟庭部(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070824)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161226)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170703)、高校では水泳部(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091218)と、体育会系には慣れていたつもりで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/about)、しかも、頭で考えた計算上は余裕があるはずなのに、今では、周辺環境と自分の体がそれに合致していないのだ。
それも見込んで余裕を持つのが人生なのだ、ともわかっているのに、こんな事態が招来している。