ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「日本すごい」?

以下の意見に同意する。
いつから「日本すごい」と言う人が出てきたのだろうか。自画自賛は見苦しい。恐らくは国力低下で自信がなくなってきたことに加え、井の中の蛙で無知が言わしめているのではないだろうか。気をつけたい。
最近、「日本は大国だ」という本が出回っているが、著者がアメリカ人だと「アメリカは超大国ですから」と文末に出てくることに気づかなければならない。

『日本版ニューズウィーク』(https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2018/05/post-10117.php


2018年5月8日
デービッド・アトキンソン
日本すごい」に異議あり


・確かに日本文化にはすごみがある。書や華(はな)などに生涯をささげる修行者の作品は超一流。一挙手一投足にオーラが漂い、作品には深みが宿る。日本文化の根本はその精神性、「魂」にある。


・とはいえ、あまりに無邪気に「日本はすごい」と自慢する人に違和感を覚えることも多い。あなたが自慢する当の文化に魂はあるのか、と。所詮は修行者の動作をマニュアルに沿ってまねただけの「仏作って魂入れず」。中国産漆を塗った「京」漆器世界遺産登録をしようとしながら糸の98%が中国産で、日本人の手先自慢をしながら仕立ての大半が東南アジアの着物......。中身を伴っていない「文化」が多いのが実像ではないだろうか。


・茶道が利休以来のもてなしの魂を失った転機は、明治維新と第二次大戦にあるかもしれない。


・そもそも上層階級に支えられたお茶は、明治維新封建制度という支援者を失った。その生存戦略として上層階級の趣味から、大衆にも分かりやすい「茶道」へマニュアル化。それまでは武士があぐらをかいていたのが女性が主流となり、客でも正座が決まりとなった。雇われて裏でお茶をたてていた家元などは表舞台で「先生」となり、「教授」などの免状もできた。


・今の日本文化に関して危機感を感じるのは、あまりにも中身を伴わないことだ。「日本家屋がすごい」と言う人の家に畳もない。「日本の神様がすごい」と言う人の家に神棚があるわけでもない。「伝統行事がすごい」と言う人は他国の宗教行事たるハロウィーンをやるが門松は飾らない。日本文化を知らないで自慢だけはやめてほしい。

(部分抜粋引用終)