ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

アンサンブル金沢

中日新聞』(http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/bunka/list/201708/CK2017081902000222.html


「OEKのこれまでとこれから 来年3月で退任 井上道義音楽監督に聞く」
2017年8月19日


オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の井上道義音楽監督の来年三月末での退任が七月二十八日に発表された。楽団設立に尽くした初代音楽監督岩城宏之永久名誉音楽監督の後を引き受けてから、十年以上にわたり、OEKや本拠地・石川県立音楽堂の顔になってきた。しかし、運営する同県音楽文化振興事業団から退任の明確な理由は示されていない。井上さんにOEKのこれまでとこれからを聞いた。 (聞き手・松岡等)


 −退任の理由はどういうことだったのか。
 県から何も聞かされず、自分でもよく分からない。ただそろそろ十年でしょう、みたいな。その基準って何なのか。お役人の世界には同じ役職を長く務めないという思想があり、専門を作らない。でも僕は元々、専門なんだけどね。
 昨年、ラ・フォル・ジュルネ金沢が終わった時に記者会見で「今後の音楽祭をどうするのか考える時期に来ている」ということを言った。続けるならば世代交代が必要だし、やめるなら考えましょうと。それからずいぶん風向きが変わった。「井上外し」というのかな
 僕は、新幹線開業までのOEKをどうするかという五カ年計画というのを書いた。ペーパーにして県に渡している。そこに、いい音楽祭をやるなら早く考えようと書いている。けれど、それらは全く議論されなかった。
 昨年、ラ・フォル・ジュルネに変わる新しい音楽祭をやるということが決まった時も「どうするんですか」と尋ねたが、「それは分かりません」という答えだった。僕は音楽監督でもあるし、県立音楽堂のアーティスティック・アドバイザーでもあるんだから相談があるはずだと思うのだけど、その辺が本当に分からない。退任についても知事らに会って話をしたかったが、させてもらえなかった。まるでカフカの「城」のよう。僕は元々、頼まれてOEKに来たと思っているが、事業団側にすれば僕は雇っている人間なのでしょう。
 −岩城さんの後を引き継いで就任した。
 岩城さんから次は僕にという話があったわけではないようだが、岩城さんがやりたかったことを続けるには当時は僕しかいないだろうな、と思ったし、引き受けた。
 金沢は21世紀美術館の成功があったし、新しいものを受け入れる素地があった。来てからはラ・フォル・ジュルネもやったし、全国展開のオペラもやった。そこから派生した関係でドイツ、フランスなどの海外ツアーも四回。もちろん僕だけでなく、楽員の日々の努力と事務局の日々の積み重ねもあるが、邦楽、能とのコラボレーションなど金沢でしかできないこともずいぶんやった
 こうしたことをこれからもどんどんやるべきだと思うし、提言もしたが県側の反応はにぶい。彼らは県の税金でやっているのだから県民にお返しするということを常に言うのだけど、それと芸術は車の両輪のはず。それを話そうとするのだけど反応がない。
 十年やって、やりたいことはやってきたし、辞めることはやぶさかではない。しかし次にこうやっていくという夢や思想を語ってほしいのに、それが全くない
地域と音楽近づけて
 −OEKをどんなオーケストラにしたかったか。
 それは簡単。就任した時はまず、明るく、元気で、お客さんの方を向いたオケにしたかった小さいけれどパワフルな。オケの持つ最大の音量、能力を常に客席に届けられるというのかな。岩城さんの時代は、ともすれば内向き、アンサンブルのためのアンサンブルだった。そうではなく、OEKは小さくともオーケストラ活動の源流にあるようなオケを目指した。モーツァルトハイドン、ベートーベンの時代までのオーケストラは、あのサイズで十分であり、最大だった。現代にあっても、これで十分だと気づいてもらえるようにしたいと。それは僕はできたと思う。
 昔は良かったという後ろ向きな話ではなく、これが本流と気づいてもらうこと。内容の大きな音楽はOEKのテリトリーではないが、現代音楽などはやれる。金沢という街の本当の魅力が大きな街ではないところにあり、小さくても先端的なことをやりながら、しかもそこには生活があり、国際的な冒険もできるように。金沢21世紀美術館もそうでしょ。
 −これからのOEK、石川県立音楽堂に必要なのは。
 音楽堂はもっと普通の人が出入りする場所になってほしい。子どものためのオーケストラや邦楽アンサンブルをやってきたが、もっとやれる。アカデミーをやってもいい。いしかわミュージックアカデミー(IMA)が二十年続いているが、一時あったOEKとの連携もやるべきだと思う。
 組織というのはどうしても保守的になる。でも芸術は常にいままでやってきたことを壊して進むもの。それを勇気を持ってやるのが金沢でしょう。そのためにも事務局に国際的な人材が必要。これまで海外につながりのある職員を雇ったことがあったが、アルバイトのような感覚で雇っていた。マネージメントで活躍できる人材には権限とそれなりの待遇がいる。
 次の音楽監督に外国人を迎えるのはいい。ただ、僕もできなかったが、金沢に住み、金沢のお客さんに目を向けられる人でなければ意味がない。いずれにせよ、これまでのことをぶっ壊すか、きちんと継承していくかのどちらか。僕自身はOEKとはたくさんいい演奏をやってきたし、それはこれからもできると思う。

(引用終)
井上道義氏については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080923)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170626)を。