ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

自衛策と自活法

まずは、池内先生のフェイスブック転載から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=satoshi%20ikeuchi&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=satoshi+ikeuchi)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%D3%C6%E2%B7%C3&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%D3%C6%E2%B7%C3)。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=pb&hc_location=profile_browser


・文章を書いて生きていくことはどういうことなのか。
胸を借りて議論して考えることができました。
・昔の梅棹忠夫的な、あるいはさらに遡って今西錦司に始まる「京大探検部」的な態度が暗黙のうちに「中央・官僚」的な東大を仮想敵として、それに対抗し自らを際立たせようとした仕掛けが「探検」であって、それは「学術探検」を目指すものであった
・私の高校の先輩に当たるのですね(都立国立高校卒)。そして京都では国際日本文化研究センター所長の小松和彦さんも国立高校卒なんですね。
・私にはあまり帰属意識がない都立国立高校を客観的に見ると、基本的に「偉い人(偉くなりたがって、実際に偉くなる人)があまり出ない高校なんですね。

(部分抜粋引用終)

←「胸を借りて議論」がおもしろい。
梅棹忠夫」氏については、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071007)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080726)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100707)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101022)。「今西錦司」氏についても、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080629)に言及がある。

話はブログのタイトルに戻る。私の場合、自然分娩でも異常(逆子)出産のために親兄弟に疎まれてきたなら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080401)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170118)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170828)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170905)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170913)、祖母も父もいなくなった今、夫と夫の家族以外には、誰からも何も期待されていない。遺産ゼロのまま(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170117)、働いていた頃の一年分の給与通帳も取り上げられ、気がついたら、お祝い金などもゴソッと下ろされていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160318)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170201)。妹や弟からは「長女のくせに何もしない」と罵倒され、私をいつも守ってくれていた父は、知らないうちに墓地を処分されて、アルファベットと数字に消されてしまっていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151110)。
これでも、弟は京大から博士号を授与され、東大で助手を務め、母校に戻って専任教員だったのだ。そして、しばらく前には「家を建てる」と大学の冊子に書いていたらしい。昨年、黙って海外へ家族で移住して、子どもと遊びまくっている写真ばかり、フェイスブックに掲載していた。
従って、誰が聞いても理不尽な目に遭っている私としては、これまで通り、ただひたすら公明正大に、一国民としてまっとうに納税し、選挙権を全うするのみでいい。
シンプルに生きる、これが原則だ。
誕生直後から幼稚園頃まではともかくとして、物心ついた小学校低学年の頃から、周囲に疎まれていることに何となく気づいていたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170114)、「早く独り立ちして自活したい」と、それだけを願ってきた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171005)。最初から駄目なのだから、あまり欲もなく、怖いものがない。
但し、捻くれたり、いじけたり、他人の迷惑になるような生き方だけは御免なので、自衛策と自活法を以下のように考え、実践してきたつもりである。

1.  古今東西の古典をできる限りたくさん読むこと
2.  外国語の習得。英語の他に西洋諸語を二つ以上と、アジア言語を一つ程度。
3.  ラジオ番組や図書館を活用して、良い音楽、特にクラシック音楽をたくさん聴くこと
4.  よく歩いて、体力作り+世間の風に触れる+交通費の節約に努めること
5. (今は購読を止めたが)新聞や学校や大学や居住地の広報で関心のある講演会を見つけて、積極的に出席すること
6.  博物館や美術館の催しにも、事情が許す限り出かけて見聞を広げること
7.  将来、どなたのお世話になるとも限らないから、基本的な礼儀作法は守ること
8.  与えられた仕事や課題には全力で取り組むこと
9.  人間関係は慎重に選択すること
10.  いつでもどこでもメモを取り、記録を残す習慣をつけること
11.  物と時間を大切に、倹約節約生活を実践すること 

これで、一通りの社会生活および社交会話は何とかなってきた(と思う)。適切な時期に仕事も与えられてきたし、ありがたいことに、今でも国内外からの仕事のご依頼は続いている。
家庭内での問題はあったにせよ、人から軽んぜられないように身を守り、堅実に生きる工夫として、それほど悪くはなかったと自負している。基本的に、一人遊びが楽しめるというのか、周囲に無視され、相手にされていないことにも気づかないほど、誠に充実した「リア充」生活をマイペースで送ってきた。
その代わり、人の話は鵜呑みにせず、物事の両面からよく考えるようにし、わからないことや知らないことは、背伸びをせず、知ったかぶりをせず、そのまま認めた。勿論、「そんなことも知らないの?」と高笑いされたことは数知れないが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B9%E2%BE%D0%A4%A4)、最初から誰も何も自分に期待していないのだと覚悟の上、「はい、知りませんでした。どうぞ教えてください」と、平然としていられた。それが学ぶチャンスになると、肯定的に捉えていた。
こうしてみると、結構たくましい、あるいは、ふてぶてしいかしら?
今は、家事さえやっていれば、一般世間では何とか通る。「子どもは?」「結婚したら働かなくてもいいと思っているんですか?」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170709)と尋ねる人には、「主人が三十代から脳神経が壊れていく進行性難病患者なんです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BF%CA%B9%D4%C0%AD%C6%F1%C9%C2%B4%B5%BC%D4)。子どもどころじゃありませんでした」「私がいないと家の中が回っていかないので」と、正直にストレートに返球すると、誰もが黙る。だが、どういうわけか、同情もされない。
中には、「私は幸せ過ぎて、将来が怖い」「うちの子、可愛いでしょう?」とまで言ってくる変な人もいるが、それも「人の振り見て我が振り直せ」である。
何だか、この頃、怖いものがなくなって、人生が楽しく、前向きになってきた。
私が二十代の頃、祖母が「おばあちゃんぐらいの年になると、何も怖いものがなくなる。あんたはまだ若いから、怖いことたくさんあるでしょう?」と言っていたが、予定より二十年ほど早く、似たような境地に近づいてきたようである。
成長が早いのかもしれない。

《追記》
マレーシアにいた二十代の頃は、さすがに若かったので、細かいこともいろいろと気になっていた。
その頃、親切で開放的だったインド系の中流家庭と家族ぐるみで親しくなり、よくお世話になったが、ご主人からの人生訓は、考えてもどうにもならないことについて、「くよくよ悩む時間を他の建設的な活動で埋めよ」だった。英語では“Keep you busy.”である。会う度に、私はいつも言われていた。仕事なら仕事、趣味なら趣味、旅なら旅など、次々と予定を立てて考える暇をなくせ、というのである。そうすれば、自ずと道は整い、嫌な人達は自然と退いてくれるであろう、と。