ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ダメ人間なりに生きる

フェイスブックからの転載を。

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO21689930Z20C17A9PPE000?channel=DF280120166591&style=1&n_cid=NMAIL005&page=2


・翌年から財産のリスト作りを始めた。「預金や株式、保険のほか、世話になった税理士や司法書士の連絡先などいろいろ加えたら、ワード文書で20枚になった」と苦笑する。
・自分の死や終末を意識し始め、高まる「子どもに迷惑をかけたくない」という思いも映す。
・不動産は場所と面積、名義について、自宅だけでなく投資用もあれば記入する。預貯金は銀行・支店名、口座番号など、株式は銘柄名や株数、証券会社・支店名などを書く。生命保険やクレジットカードのほか、借入金もあれば加えたい。
・ネット銀行やネット証券も万が一のときは家族が連絡すれば資産を凍結・清算することが可能だ。
・記入日を書いて定期的に更新すること。そして家族や信頼できる人にその存在や保管場所を知らせておく。
外国為替証拠金取引(FX)だ。手じまわないまま死んだら、家族が気付かぬうち損失が膨らんでいたということになりかねない。
・金融資産をひととおり整理したら、どの財産をだれにどう渡すか考え始める。近年の終活人気に乗って増えているのが「遺言代用信託」と呼ばれる、遺言の代わりに信託契約を結んで金銭を管理してもらう商品だ。
・元気なうちは預けたお金から決まった額を年金形式で自分がもらい、死んだ後に残ったお金は一時金や年金で家族が受け取るという柔軟な使い方ができる。

(部分抜粋引用終)


何度も繰り返すが、私は父の全財産を知らされていない。法定相続人なのに、一切の遺産を受け取っていない。どこから調べてもらってもいい。他の人はもらっていて、「気づくのが遅過ぎる」「あんた遺産欲しいの?」「子どものいない人に用はないでしょ?」「もう人生終わっているから、必要ないでしょ?」だとの由。父が亡くなってから世界一周旅行をしたり、一家で海外へ移住して、子どもと一緒に顔に絵を描いてフェイスブックに写真を載せていた者もいる。父のお通夜や葬儀に子どもと共に欠席して、納骨式も私に知らせず、墓地も処分してお安く済ませたにも関わらず、堂々と遊びまくっている。ちなみに、妹と弟の配偶者とは、一度会ったきりである。まともに紹介もされていない。何度でも私は繰り返す。証拠は万端揃っている。

(転載終)
昨日は、主人の母の家へ二人で行った。9月上旬まで入院していて、その頃は大変だったが、今ではすっかり元気になり、安心した。それにしても、老人医学の進捗は目覚ましい。今では良い薬が開発されていて、治っていくようである。また、病院の看護師さん達のご苦労は並々ならぬものがあると思う。
主人の母は、私が色白で顔の肌もつやつやしていると、いつも褒めて、喜んでくれている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170118)。そういう義母だって、年齢の割に白髪が少なかったし、肌艶はとてもいい。
恐らく、嫁入り前まで、田舎で自然に沿った良い暮らしをされてきたからだろうと思う。
そして、主人には「体に気をつけて、長生きしなさいね」と何度も励ましていた。

ところで私は、小学生の頃から「結婚式の直前で断られる」「結婚しても姑に虐められるよ」とよく脅されていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080423)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170901)。だから、嫌なことが家庭内であっても、「(あるかないかもわからない)将来の訓練」だと自分に言い聞かせながら、一つ一つ乗り越えていった。前回のブログにも書いたように(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171007)、小学校5年生ぐらいから少しずつ自分で考えて、いつでも自活できるように自分を仕向けてきたと思っている。
よく、世間では「子どもは親の作品」「育てたように子は育つ」「子育ての結果」等と鼻息荒く言っている人がいるが、もしそうならば、私などは最初からダメダメのオンパレードである。例えば、経済的理由で、私立の学校に合格しても国公立しか行けなかった。また、妹や弟の方が学校の成績は遥かに良く、運動神経も良かったが、私は運動会で常に応援組どころか傍観者に回り、成績は他の人達の方がずっといいのだろうと長い間思っていた。
「この子はどうしようもない」「人間のクズ」「価値なし」だと頻繁に言われて育ったが、ダメ人間なりに、曲がりなりもここまで生き延びられたのだ。では、子育ての結果は、どうだというのか?
そういう鼻息荒いオバサマ達には、そのお子様方全員とご主人の顔を勢揃いして見てみたいものだ。お子様世代が70代以上になってからでなければ、人生の結果等、誰にもわかりもしないのに、何をか況や、である。
今年は、秋篠宮家の眞子さんのご慶事ニュースを巡って、本当に世間の勉強になり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170820)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170822)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170823)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170828)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170829)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170905)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170907)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170908)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170911)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170913)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170918)、それによって自己分析もできたことは時期的に大変良かったが、一つ明確になったことがあった。
それは、ご誠実で努力家の皇太子御夫妻が、それぞれに恵まれた環境と厳しい境遇でご立派に成長されてきたにも関わらず、ご結婚後はお世継ぎ問題で謂れ無きバッシングに合い、長く病に苦しみ、未成年の敬宮様まで虐められてしばらく学校に行けなくなり、無責任にも離婚の勧めが出るほど、過酷な精神的苦痛を耐え忍ばれてきたことである。上に立つ選ばれた方達だからこその必要な試練だったのかもしれないが、それにしてもひどい国民であった。
我々は、これも国史の一部として甘受せざるを得ない。だが、いかにも情けない国情ではある。
一年と少し経てば、平成の御代は終わることになっているが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160809)、次の御代を楽しみにしている。
仁徳天皇に因んで浩宮徳仁親王殿下と名付けられた方が天皇になられるのだ(http://www.kouzu.or.jp/matsuri.html)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161208)。世代も近く、映像や文献資料も豊富なため、時代背景や時代精神を理解するには、明治や大正や戦前までの昭和時代よりも、私にとって楽である。
敬愛しつつ高く見上げ、この国で暮らす幸いを覚えながら、それぞれの立場で共に継承し、国を造り上げていくのだ。
これまでのことは、全てが準備だったと考えている。
この頃、皇太子殿下が過去に公的な場でおっしゃった一言一言が、耳に繰り返し木霊するようになった。雅子妃殿下が、ご婚約前後から、時にストレートに堂々と、時にはにかみつつ、(これでいいのかしら?)と戸惑うような表情でおっしゃっていた会見のご様子も、よく思い出すようになった。
その当時に抱いた印象と、今年になってから知った諸々の事実を踏まえての印象は、基本的に同じだが、その意味を自分がどのように受け留めたかについては、相当に異なっている。
時代に合わせて、国民も心得ていかなければならない。