ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

共産思想とキリスト教と皇族

昨日は、2月上旬からずっとお休みしていた簡易テニスに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170303)、久しぶりに参加した。
町内だからかもしれないが、皆さんがとても温かくて「どうしたのかって話していたよ」「お仕事始めたのかなって」等と声を掛けてくださり、ありがたい限りだった。主婦の方達は、さすがにクリニックの評判や病気のことには関心が深く、最初の迅速な処置を間違えたこともあってか、右目のヘルペス罹患が思いがけず長引いて、それがショックだったということも、熱心に聞いてくださった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170306)。
4ヶ月ぶりだったが、下手なりに何とか元の調子に戻れそうで安心。気分転換と体力作りにでもなれば、という気持ちで、今後も「継続は力なり」を信じて、無理せず参加できればと思っている。
ところで、昨日は注文した中古本が三冊届いた。テーマは相互に無関係なのだが、私にとっては非常に興味深く、通底で連動している面があるのではないか、と思わされた。

https://twitter.com/ituna4011


Lily2‏ @ituna4011 5 minutes ago


・『日本共産党研究――絶対に誤りを認めない政党』(産経新聞出版産経新聞政治部 (https://www.amazon.co.jp/dp/481911283X/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_Wi.izb91QR9Z8 … via @amazonJP)


・『さまよえるキリスト教―21世紀に生き残れるのか』(徳間文庫)小坂井 澄 (https://www.amazon.co.jp/dp/4198912394/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_Uj.izbJDVHKHR … via @amazonJP)


・『梨本宮伊都子妃の日記―皇族妃の見た明治・大正・昭和』(小学館文庫)小田部 雄次 (https://www.amazon.co.jp/dp/4094083251/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_ck.izbYGTNXP7 … via @amazonJP)

(転載終)
特に、最初の産経新聞による共産党批判の本は非常によくわかり、あっという間に読めてしまった。だが、恐ろしいことは確かだ。というのは、普通の人々は朝早くから夜まで外で働いており、自宅では、主に新聞とテレビのニュースで受け身的に報道を消化する習慣が長年の定番だからである。さすがに昨今では警戒しているだろうが、従来、大手新聞やNHK等で大々的に報道されれば、(世間一般はそうなのか)と思う傾向にあったとしてもおかしくはない。また、女性によくあることだが、高学歴でいい学校を卒業しているという自負心が強い場合、学校を出た段階で知識吸収が止まってしまい、後は仕事で必要な部分か、身の丈半径の情報で生きている人も少なくないからである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160119)。
日本共産党は、ホームページに「目標としては天皇制をなくす立場に立つ」と堂々と記載している、という(p.222)。
そして、2015年5月25日に皇居近くの千鳥ヶ淵戦没者墓苑厚生労働省が主催した拝礼式には、秋篠宮殿下と妃殿下が共産党政策委員の小池晃氏と同席されたのだという。前年の2014年5月の拝礼式では、秋篠宮眞子内親王と小池氏が同席だったとの由(p.224)。その際、皆が歌う『君が代』斉唱で、小池氏一人のみ、「内心の自由」を理由に歌わなかったようだ(p.226)。
本書では、「共産党が皇室を事実上利用して」「革命政党の本質は変わらない」と記す(p.227)。表面上はソフト路線で偽装しつつ、天皇制打破を目論んでいるというのである。
「国民的人気のある秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまのご公務において、共産党幹部が同席する機会が、そう遠くない時期に訪れるかもしれない」と結んでいるが(p.231)、最近では少なくとも二度、秋篠宮家が乗車された車の事故が報道されているだけに、警護問題や情報リークなど、脇の甘さが懸念されるところではある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170521)。
それに関連して、参考までに以下の部分抜粋を。

https://www.news-postseven.com/archives/20170522_557551.html


週刊ポスト』2017年6月2日号
2017.05.22


・安倍政権を激震させた天皇の「生前退位のご意向」スクープから今回の眞子内親王婚約まで、いまや皇室報道は1人のNHK記者の独擅場といっていい。抜いたのは記者仲間から「陛下の体温を知る男」と呼ばれる社会部の橋口和人・宮内庁キャップである。


とくに秋篠宮家に深く食い込んでおり宮内庁職員より信頼が厚いともいわれる。

(部分抜粋引用終)
こういう話は、非常に落胆させられる。誇りが持てなくなっている国民の存在を、どのようにお考えなのだろうか。
最初の本に戻り、2004年1月の第23回党大会で改定されたという「共産党綱領全文」を読むと(pp.260-277)、キーワードがはっきりしてくる。

科学的社会主義」「全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)」「日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配」「アジア」「知識人、女性」「国連」「ヨーロッパなどで常識となっているルールがいまだに確立していない」「ヨーロッパのような解雇規制の立法も存在しない」「ヨーロッパの主要資本主義諸国や国際条約などの到達点も踏まえ」「農業を基幹的な生産部門」

私にとっては、インテリゲンチャの「知識人」が「女性」と並列されている項目が三度も出てくることが新鮮だった。また、欧州連合の問題が顕現化している現在、「ヨーロッパ」を基準として日本の遅れを𠮟咤しているような綱領の特徴にも、改めて納得がいく思いがする。
既に共産党など少数派だから大丈夫だろうと、高をくくってはならない。なぜならば、「ソ連覇権主義という歴史的な巨悪の崩壊は、大局的な視野で見れば、世界の革命運動の健全な発展への新しい可能性を開く意義をもった。」(p.267)と明確に記されているからである。
肝心の安全保障については、どのように考えているのだろうか。
日米安保条約」を「廃棄」し、米軍基地を「撤退」させ、「対等平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶ。」「主権回復後の日本は、いかなる軍事同盟にも参加せず、すべての国と友好関係を結ぶ平和・中立・非同盟の道を進み、非同盟諸国会議に参加する。」そして、「憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。」(p.270)
こんなことは、現実をまだ知らない小学生低学年ぐらいの子どもが「平和教育」の授業で書く作文のような印象なのだが、恐ろしいと思うのは、こういう内容を大人が大真面目に公の場で主張しているからである。
故酒井美意子氏の『華族達の戦後史:没落、流転、激動の半世紀』を読むと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170521)、対比的に実感するところだ。

・「無条件降伏により屈服した日本に対する戦後の一連の弱体化政策として、GHQ及び日本政府は財閥解体、農地改革とともに、財産税(富裕税を含む)の徴収を断行した。」(p.28)


・「何が何でも再起しなければならない。す早く、しぶとく甦らなければならない。それが大名家を継ぐ武士の宿命であったろう。」(p.47)


・「日本の国を徹底的に痛めつけた責任者どもへの憤りから、私は日本男子への不信感をつのらせていた。」(p.47)


・「有利な取引をするには、彼と対等であるより、こちらが一段上に君臨しなければならない」(p.50)


・「公卿は天皇家をとりまき、千年以上の権威と文化を継承してきたし、大名は鎌倉時代以後幾多の修羅場をくぐりぬけてきた家系である。世間の思惑とは異なり、そう簡単には没落しないのである。」(p.67)


・「女性にあり余る自由と男と同等の権利を与えることで、殊更軟弱でおとなしすぎる大和撫子を、ナイロン靴下なみに強化し、世間に冠たる男性上位天国をくずしていく。これぞ支配下の国民を懐柔すべく、戦勝国が実施する常套手段であり、占領政策なのである。彼ら占領軍の猛者は、日本の女を巧みに称賛し、おだて、惜しみなく援助してその力を発揮させた。」(pp.93-94)


・「日本人が過大評価する忠実、ときにはバカ正直にもつうじる忠誠だけでは勝負にならない。いいようにあしらわれるだけなのだ。日本人ももっと老獪にならなければ危ない。」(p.208)


・「だましたほうが悪いのではなく、だまされたほうがバカなのだ」(p.208)


・「私は、昭和戦国の世に、外務省に身を置き、種々、さまざまな情報の洪水にさらされるなか、いやおうなしに、『これは本当の情報だから、信用していい』『これはあやしい、デマが作り出したことだ』など、反射的に反応する習慣が身についたが、これが、戦後の“乱世”に生きていくうえで非常に役立った。戦時でも、平時でも、この感覚は身につけておかなくてはならないものだとつくづく思う。」(p.208)


・「いやな言葉だが、戦時中『鬼畜米英』という言葉が流行したが、私は内心、あれはウソと思っていた。(中略)「ソ連軍ならば大変なことになろうが、アメリカで助かった」と心底思い、むしろ、これで秩序が回復するだろう。暗黒時代は終るのだ、と実感したほどである。」(p.210)

(部分抜粋引用終)
他の二冊についても、無関係の内容のようでありながら、実は呼応関係にあるとも読める。
古色蒼然としたカトリックキリスト教が「現代化」していくと共に、ラテンアメリカを中心とした「解放の神学」によって拮抗が生まれたり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170512)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170518)、ミサのあり方が変化し、現代建築によって開かれて明るい教会堂になると、むしろ宗教的な威厳が下がってくる、という矛盾が記されているのが『さまよえるキリスト教』だとすれば、この『梨本宮伊都子妃の日記』のおかげで、戦前の高貴な女性がどのようでいらしたかが具体的にわかり、「開かれた皇室」の現状に鑑み、なぜ民間から妃を迎えることにご立腹だったかの理由が納得できる。昭和時代、テレビの奥様番組でも、美容院で見せられる女性週刊誌でも、皇族ジャーナリストという人々が書いた読み物でも、新しい時代について行けない元特権階級だとか、卑近な嫁姑の確執レベルの話等にすり替えていたが、実は国体維持のためには、それどころではなかったのだ。
つまり、いずれも今後を見据えるための時代の対比考察として、極めて貴重だという事例である。
ともかく、皆が平等を目指す社会主義共産主義の前進思想は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131116)、破壊的で危険だという教訓だ。