ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

三つ子の魂百まで?

昨日書いた内容は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161101)、深層意識の底に横たわっていた澱のようなものだが、思い出すと、やはり非常に疲れる。
そこで、今日は気分転換に一つ、小話を。
主人が幼稚園から小学校時代に描いた絵が残っていて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160526)、この頃、暇を見て埃を払い、整理しているのだが、何だか頭一つ抜けていたというのか、何ともユーモラスで可愛い。
仏教系の幼稚園へは、最初の三日間ぐらい「ぼく、いかないもん。ここにいるんだもっ」とダダをこねて頑張っていたが、結局は諦めて、おとなしく通うようになったらしい。
いったん通うとなれば、毎日、お絵かきをしたり、先生のお話を聞いたり、歌を歌ったり、お遊戯をしたり、ゲームをしたり、平仮名で文を書いたりしていたようだ。アルバムの写真やワークブックを見ていると、まさにプレ・スクールさながらで、昔は文部省が幼稚園の管轄下だったことがよくわかる。
私と知り合った頃、180センチはあった身長だが、幼稚園の頃から背が高かったようで、集合写真でも頭一つ出ているのが何だか笑えてくる。
小さな頃から、本当に細かくクレヨンで絵を描いているのには驚くが、何と平仮名文に、いつの間にか学のあるところを見せようと、カタカナまで混ぜ込んで、ませこけた文を書いていた。でも、「く」が左右反対向きになっていたり、「き」も裏側から書いた字になっていたり、撥音が抜けていたりして、幼稚園児の文だとすぐにわかって面白い。
先生の言葉も、「○○しはった」と関西弁混じりで、どことなく楽しい。
もっとおかしかったのが、小学校低学年のくせに、片隅に平方根のルート5まで、記号で書いていたことだった。
恐らくは、5つ上の兄の宿題を横目で見て、いつの間にか写し取っていたのだろう。
家では「おにいちゃん、いっしょにあそぼ」と誘うと、同居のおじいちゃんから「いつもKちゃんは邪魔ばかりするねぇ」と、兄の勉強机の間に、日曜大工で、通せんぼ用の柵を作られてしまったらしい。
邪魔じゃなくて、遊びたかったんですけど....。
だから、結婚してから、奥さんと一緒に遊んでいます。先週は、一緒に将棋をした。