ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

終わりよければ...

「草の根市民派」と称する女性の町会議員がいる。我が町は女性議員の比率が高いとのことで、数年前までは朝日新聞などでも取り上げられたことがあった。
選挙活動では、他の保守系候補者が三桁万円ぐらいかけているところを、候補者同士で選挙カーを時間決めで融通し合って節約し、二桁万円以内におさめて当選。暮らし(平和・命)を主婦感覚で大切にする、市民(町民?)の目で無駄を省く政治、という触れ込みだった。夫や息子がいる家庭ということを、殊更に強調している人もいた。また、議員になってからの報酬の一部を、なぜかわざわざ返金していると、具体的に数値を細かく挙げて公表している人もいた。
その人々の年齢は私より上で、いわゆる団塊の世代とその後輩。郵便受けに時々入っているチラシを見る限り、とにかく活動的。議会での発言や質問など「主体的」に意見を持ち、いろいろと活発で元気な様子には、ただただ恐れ入るばかりだった。
基本的に感覚が合わないので、私自身は会合に出向いたことがなく、話したことも全くない。勿論、声を掛けられたり、誘われたりしたことさえない。そもそも、いろいろな意見は出しているものの、何を狙っているのかが不明だったのだ。
最近になって、ようやく合点がいった。この町に住んで早くも二十年近くになるが、選出された議員の各人が作成しているホームページを初めて見た。草の根市民派の女性議員(とその先輩格)は、ソフトで現代的な演出をしている上、それぞれが持ち味を出しての政治活動ということだったが、結局は、その昔、学生運動をしていたかどうかは別としても、いわゆる左派フロント組織(ジェンダー・フリー反戦平和、環境(エコ・有機)、介護福祉)のコマだったのではないだろうか。(後で調べたところでは、先輩格の方はベ平連だったようだ。)その証拠に、戦略的に活動している共産党の女性議員に、なぜかシンパシーを持っているような記述が散見された。「いま・ここ」「弱者の視線に寄り添う」などと、マンション住まいの核家族を対象に、学校や図書館や介護施設などにも働きかけ、決して多数派にはならないが、部分的に浸透している側面がある。
ところで、「多様性」がキーワードの昨今だが、これは既成の秩序を崩壊へと導く思想である。一見、「平等」で「優しい」、お互いの違いを認め合う「共生」社会を謳っているが、現実として基本形から外れた状態が増えることさえも「多様」の一言で美化し、正当化してしまう事態を、都合良く無視している。基準がぼやけてしまうのだ。
例えば、せっかく漢字に深い意味が込められていたのに、一部で平仮名地名が増えたのは、なぜなのか。学校名を削除して、一律、数字で表記(「第一小学校」など)するようになったのは、なぜなのか。
この種の思想運動は、全てを美名(元気、明るい、イキイキ、新しい、優しい、バリアフリー、気づき、問い直し)で機能化してしまうことである。その結果、言葉の上では良いようでも、実態は人工的で軽薄になってしまう。境界線があったからこそ保たれていたはずの秩序と安定を、闘って変えていこうとするから、無機質になってしまうのだ。
なぜ、このような小話を書く気になったか。
一つには、先月末、ずっと軌道に乗っているとばかり思っていた知り合いのNPO法人http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080407)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160402)が、突然解散することになった、というお知らせをいただいたことがある。規定では、あと2年は法人認定資格が続くはずだと思っていたところだったのに...。そもそも、主催者と知り合うきっかけを作った方も、当初、私が抱いていた印象とは全く異なる人生行路を選択し、驚いたことがある。
また、私達が引っ越してきて以来、同じ敷地で、かれこれ12年間を共に過ごしたことになるご年配の一人暮らしの女性が、一ヶ月ほど前に突然、運ばれた病院先で亡くなっていたことを、十日ぐらい前に知ったこともある。最後に郵便受けの前で偶然お会いした4月中旬、「私はあそこに友達がいっぱいいる」「近くに娘が住んでいる」「ここが終の棲家」と、きっぱり誇らし気におっしゃっていた。ところが、人気のなくなった住居にふと気づいて管理人さんに問い合わせたところ、「この近辺は高齢者が多いので、ショックを与えないために誰にも知らせていない」「娘さんではなく、息子さんが町内に住んでいる」とのことだった。立ち話をした時の古いメモによれば、30年はここに住んでいたはずだったのに、である。呆けていたとか嘘をついたというのではなく、想像するに、何らかの事情を伏せておきたかったか、私にはそのように見せたかったのだろう。
冒頭の市民派の女性議員達にせよ、海外援助のNPO法人にせよ、未亡人として一人暮らしだった年配女性にせよ、私のように単調な暮らしを送っている者には、考え方や生活そのものが違っていても、その活発な外的活動をどこか時に羨ましい気がしていたものである。ただ、考えさせられたのは、私には羨ましく見えた部分があったとしても、やはりそれは一部のみで、どこか表面的だったのではないか、ということだった。
何というのか、居心地良く、好きなように相互干渉せずにそれぞれが過ごしているうちに、結末が淋しくなってしまったと感じる。終わりよければ全てよし、のはずなのだが....。