ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「地の塩」で思い出すこと

マタイ福音書の5章13節に山上の説教の「地の塩」が出てくる。

あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」


日本聖書協会新共同訳』1987年による引用)

この箇所ないしは「地の塩」という表現で思い出すことがある。昨年4月下旬から5月上旬のイスラエル旅行でのことである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)。ネゲブのベエルシェバのホテルに宿泊していた日の夕食時、オーストラリア女性の元ジャーナリストが、私と同じテーブルで盛んにおしゃべりしつつも、唐突に「ね、地の塩(the salt of the earth)っていい言葉ね。あれ、出所どこだったかしら?」と私の左隣に座っていたダニエル・パイプス先生に尋ねたのである。
この女性は、旅行のしばらく前に定年退職したばかりだとおっしゃっていたが、見るからに知的で有能ながらも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)、どこか淋しげな雰囲気を湛え、集団行動の中では少し浮いていた。パイプス旅団には二度目の参加で、キプロス旅行にも同行したとのことで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130123)、旅団メンバーの数名とは既知であると、初日の夕食の時、私に自己紹介された。
チップの件でバスの中で私に「あなたはどう思う?」「日本なら、チップはどうするの?」などと話しかけてきた時に気づいたのだが、とにかく、言っていることは大変に正論なものの、はっきりと明快に物を言い過ぎるのである。(旅の途中で、チップを一人何ドルと決めて集金することになったが、彼女は高過ぎるから払う必要はない、との意見だった。私も話が少し違うとは感じたが、初回の参加だし一人だけ異邦人のゴイなので、トラブルを起こしたくないと思い、素直に指示に従った。)実は私は、このように、はっきりした性格の才気煥発な女性に興味があるのだが、如何せん、知り合ったばかりなので、おとなしくしていた。
オーストラリアのABC放送でも番組を担当されていた経歴の持ち主で(http://upclose.unimelb.edu.au/host/jacky-angus)、過去にご主人とエジプトにも滞在されていた時、アラビア語の英訳も経験しているとのこと。とにもかくにも、エジプトのアラビア語紙“Al-Ahram”は大袈裟過ぎ、事実を拡大して記述している、と私におっしゃった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150513)。
エジプト滞在という共通経験もあって、昔からの知り合いで数歳年下のパイピシュ先生をまるで弟のように親しく思っているようで、「あら、ダニエル。なんてあなたはシャイなんでしょう」などとも言っていたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150513)、冒頭の「地の塩」発言には、さすがの私も驚いた。
(え?英語圏のジャーナリストでアラビア語の英訳もできるのに、「地の塩」をご存じなかったのですか?)とはもちろん言えなかったので、彼女の斜め前に座っていた私が会話に割り込み、「新約聖書(New Testament)です」と一言。
発言してしまってから、(あ、しまった!パイピシュ先生達はユダヤ系だったんだ。だから、「新約聖書」(New Testament)ではなく、「クリスチャンの聖書」(Christian Bible)と言うべきであって、ヘブライ語聖書(Hebrew Bible)に通じている方達には失礼だった)と気づいたのだが、時は既に遅し。
ところが、さすがに優秀な方達は聡明で、私の一言に(う〜ん)と一瞬考え込む風になってから、おもむろにパイプス先生が「うん、そうだね。New Testament(新しい契約)だね」と助け船を出してくださった。
マタイ福音書の「山上の垂訓」からだ、と即座に言えればよかったのに、旅の間は見る物聞く物全てが新鮮で、気候変動の中をあちこち移動もするし、言葉も英語のみだったので、記憶がぼやけて曖昧になりがちだったのだった。本当に残念だったが、トラブルにはならなかったのが幸いした。つまり、イエスはラビ問答風に説教をされたのだ、という学説を踏まえておけば(Rabbi Samuel Sandmel"A Jewish Uniderstanding of the New Testament”2010年(p.148)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130311)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130331))、昨今では、何らユダヤ系の人々にも抵触しないで済むはずだったであろうからだ。

もう一点、この女性で印象深かったのが、第一代イスラエル首相ベン・グリオンのご自宅だった、いわゆる「砂漠の家」(Desert House)を訪問した後で、ご夫妻が埋葬された地の広い公園を歩き回っていた時、突然、二人で迷子になってしまったことである。本当に、今から思い出しても、目眩ましのような不思議な経験だった。各国からの修学旅行らしい学校児童もたくさんいたのに、同じ旅団メンバーの後を一生懸命ついて歩いていたのに、それまでザワザワしていた雰囲気が急に消えたかと思った途端、彼女と二人、道に迷ってしまったのだ。なぜなのだろうか。シーンとして、話し声は彼女のみ。私は頷いて相槌を打つのみ。なぜ、突然皆が消えてしまい、迷うことになったのだろうか。
ともかく、彼女は「私はイスラエルに来たのはこれで七度目。砂漠は好きよ。本当に美しいわ、砂漠って」「あなたはいつもノートにメモしているけど、そういうことはね、書くんじゃなくて、頭に叩き込むものなのよ」などと活発に勢い込んでおしゃべりしつつも、「こっちの方角でよかったかしらね」と、時々不安げな調子。私もとにかく必死で、時間厳守を貫き、集団行動規律を守るべく、一生懸命に足を前後に動かしていた。
...と、十数分、二人だけで必死に歩き回った結果、これまた突然、道が開け、前方にバスが見えたのだった。ほっと安堵して駆け足になった私に、彼女が何と言ったか。
「駄目よ、走っちゃ。こういう時はね、威厳が大切なの。Dignity, dignity...」と自分にも言い聞かせながら、あえて胸を張り、いかにも悠然と歩き始めたのだった。「ガイド氏とあのアシスタントが、この遅刻のことで、私達に何を言うかが心配なのよ。でも、そういう時こそ、堂々としてなきゃ」。
ははぁ、ここでも一つ学んだ。これがユダヤ式生き残り術なのだ、と。
アウシュビッツガス室に入れられた際のエピソードを思い出した。騙されたことも知らずに、「やっとシャワーを浴びられる」と、嬉々として裸になった母子が列に並び、粛々と死の行進へと向かった光景である。でも、己の運命を知っていて、あえて甘受しつつ威厳を奮い起こし、胸を張って死んでいった人々もいたに違いない。
もう一つ、彼女から教えられたユダヤ教の話がある。ベン・グリオンのお墓に小石を置く時、私はガイド氏に尋ねた。「すみません、ちょっとお尋ねしますが、私のような非ユダヤ人でも、ユダヤ教徒のお墓に小石を置いてもユダヤ人にとって無礼ではないでしょうか」。
すると、背後で聞いていたのだろう、一緒に旅の半分を同行した息子さんがオックスフォード大学の学生で、歴史学を専攻し、ローマ史で論文を書くとおっしゃっていた別のオーストラリア女性が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150512)、即座に小声で私に言った。「大丈夫です。私達ユダヤ人は、そういうことを言いません」。
その後、上記の一緒に迷った元ジャーナリスト女性が、私にきっぱりと言った。「ムスリムが非ムスリムに対して、それはイスラームでは無礼だとか何だとか言うから、気をつけないとって?でも、それは教育程度が低い人が言うことなのよ。私達は、従う必要はありません」。
「では、なぜユダヤ教ではお墓に小石を置くのですか」と尋ねると(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150830)、「それはいい質問ね」と前置きした後に、「キリスト教ではお墓にお花を供えるわね。そして、クリスチャンはよく『草は枯れ、花は萎む』って言うじゃない。あれは聖書のどこからだったかしら?」即座に私は、まるで学校の教室に座っている生徒のように「イザヤ書です」(ユーリ注:イザヤ書 40章7,8節)と答えた。「そうね、イザヤ書だったわね。でも、ユダヤ教では、人の生涯は地上を去っても残るって考えるの。だから、その刻印として小石をお墓の上に置くのよ」。
なるほど。旅の間の会話であり、その後、文献で確認したわけではない。でも、いいお話を聞いた。聖書の読み方が複合的になる。そして、日本人の有利な点として、ユダヤ人がユダヤ教徒のお墓に小石を置く習慣そのものは、我々が我々である限りにおいて、何ら相互の文化規範に抵触する習慣ではない、ということだ。また、江戸時代末頃から士族が漢訳で聖書を読み(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080630)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140524)、西洋事情を学んでいたという伝統があったならば、現代の私にとっても、せっかく読める機会が開かれているのに、読んでいなければいかに恥ずかしいか、ということだ。
...と、彼女の話を聞きながら、そんなことを思い巡らしていたら、突然、道に迷ったのだった。あれは蜃気楼だったのだろうか。いや、現実に身に起こった不思議な経験だった。