ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

久しぶりに基督教会を考える

過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160109)上に無断で部分引用させていただいた方から、思いがけず、メールを頂戴した。
 「1936年12月15日、九州は大分県大分市で生まれ」たご本人の自己紹介は、以下のようにある。

http://aboshiyori.blog.eonet.jp/about.html


「日中15年戦争の最中、右翼で国家主義者の父親の影響もあり、筋金入りの軍国少年として10歳で敗戦を迎えた戦中派」「敗戦による日本人の無節操、見事な変身ぶりには大衝撃を受け、人間不信の虎馬(トラウマ)を引きずって生きました」。
大分大学で英語、西南学院大学キリスト教神戸大学で日本史を学び、47年間(45年間は姫路)プロテスタント日本バプテスト連盟の牧師
宗教で飯を食うことに私なりの考えもあり、県立高校の講師を経て、23年間、私立東洋大学附属姫路高校で英語教員、65歳で退職後岡山市郊外の希望学園に2年3か月勤務」。
「2007年牧師を辞めて、姫路市西部の網干に移り、軽い知的障害の娘と二人、それなりに自由を満喫して余生を過ごしています」。

(部分抜粋引用終)

昨日、メール引用の許可をいただいたので、以下、そのやり取りを。(誤字等に関しては、原文のママ)

初めてメールします。楽しく、面白く読みました。ブログ始めて9年目?です、確か。何人かの方々に支えられて今日まで来ました。


お陰様 でアクセス件数、昨年末で11万件超えました、書きたいこといっぱいありますが気まぐれと高齢化のため。半年前から週2回のペース崩れています。


田川氏のこと傍若無人の態度、苦々しく思っていましたが関係ないこととして過ごしていました。ブログ投稿500通になりましたので約 200通ほど選んで2冊にまとめました(4年ほど前?) 彼にも送りましたら非常に無礼なはがき頂きましたのでブログに公開して、彼の幼児性たしなめました、反論期待しましたがそれきりです、追い打ち欠けるほど稚拙ではありませんのでそのままです。日本史関係の専門書多々読みます、専門家の方々の学識と謙虚さ心打たれます。


田川氏に真似してもらいたい思いです・・・・取り留めないこと書きました、これ以上書けば蛇足の蛇足になりますので失礼します、ご健康を祈念しています。清水

私の返答。

こちらこそ初めまして。拙ブログをお読みくださり、ありがとうございました。また、無断引用させていただいたにも関わらず、ご丁寧にメールでご感想をお寄せいただき、感謝しております。


もし、差し支えなければ、以下のメール文を複写して、ブログのコメント欄に引用させていただいてもよろしいでしょうか。


と言いますのは、10年ほど前に私が同志社神学部で非常勤講師をしていた頃、ある優秀な男子院生が田川建三氏から、ダブル・スクールよろしく、ギリシア語などを個人教授してもらっていたそうで、田川氏の思想的な影響を受けて喜んでいたことを覚えているからです。その後、彼は西日本のキリスト教系大学の専任になったようですが、今はどうしているのか知りません。若くて理屈っぽく反体制的な学生に受けやすい表現をするのが田川氏だと思いますが、人間的には少し懸念すべきだという印象です。


2012年だったか、東京での国際聖書フォーラムで、初めて田川氏の講演を聞きました。話の間、聴衆は笑っていたものの、休憩時間などに、近くの人達が「一見、おもしろいけど、実は内容がない講演ね」などと酷評しているのを耳に挟んでしまいました


2016年1月9日

そのお返事。

メール有難うございました。拙文ご自由にご利用ください、誤字、脱落等メールの場合は多いですから、ご訂正のうえお使いくださればと勝手乍ら宜しくお願いします。


前回も「追い打ち欠ける」お恥ずかしいミスしています、最大のミスは「田川健三」です、驚かれると思いますが貴姉のブログ読むまで気づきませんでした。発端になった拙著の謹呈の際も誤字だったと思います。あのような感情的な返事を寄越した一因かもしれません。率直に言って頂ければ、その点は平身低頭お詫びしました。私は漢字書く力、小学低学年程度です。


高等学校で板書するとき、難しいと思える漢字は全て仮名書して、各自変換させていました。日本史を教えた時には教科書を最大限に利用しました。漢字で書く試験は極力避けました。


英語の場合は、誤字を指摘されると「俺は英語の教師だぞ・・」と居直っていました。名前もよく間違えました、いつからか若者の顔、みな同じように見えるようになりました、特に女生徒、よく間違えるので、最後は諦めていたようです。名前間違えるのは良くありません、不愉快だということ十分に心得ています、この点は機会があれば田川氏にお詫びします。全く偶然聞いた話ですが数年前、田川氏が神戸学生センターに招かれた時、主催者が彼の名前間違えて(詳細は忘れました)表示したそうです、講演前に指摘されたか気付いて、お詫びして訂正したそうです、


ところが講演が始まると「その件」について延々と語り始めたそうです、30分以上?になった時、最前列にいたお坊さん(仏教の僧侶でしょう)から「あなたが言いたいことは分ったから本題に入ってください」と言われ、憮然とした表情で講演始めたそうです。講演後の質疑応答も白けてしまったそうです「田川氏があんな人物だとは思わなった」と言って、以後、彼の書読むこと止めたそうです。私も「弘康」と書かれたハガキなど度々もらったものです、生徒の場合は、口頭で訂正しますが、すぐ忘れるようです、私も同じことよくしますから、感情的になって注意したことありません。


田川氏ほどの著名人になると、名前間違えられることは凡人には理解できない屈辱なのでしょう、不自由な人だと思います。イエス・キリストを「イエスという男」と平然と言い放つ傲慢さを赦せません、


彼の学識感動して、大いに学び、尊敬していましたが、この書を読んで彼から離れました。


パウロ研究者の青野太潮氏、同教派意識無しで言えます、新約聖書学者としては田川氏に劣らない人ですが、人間性が全く違います。実に謙虚な方です、心打たれます、「岩波訳聖書」のことで、田川氏から例の傲岸不遜な言葉浴びせられていましたが、柳に風と受け流していました大人の風格十分です、田川氏が哀れに見えます。最近の「福音と世界」誌ではやんわりと彼をたしなめているようです、立派です。


またまた長くなりました、おゆるしください。大事なこと最後になり申し訳ありません。今回を機に(遅すぎましたが)拙ブログの「田川健三」を「田川建三」に改めます、理由については出来るだけ早く拙ブログに投稿します。ご教示感謝します、ご一家の祝福と平安祈ります。今後も貴ブログ読ませて頂きます。


清水康弘

そして私から。

お返事ありがとうございます。では、折を見て引用させていただきます。また、青野太潮先生を含めたエピソードも、興味深く拝読しました。


寒さ厳しき折、くれぐれもご自愛ください。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。


取り急ぎ、お礼のみにて失礼いたします。


2016年1月11日

(メール転写終)
ここ数年、パイプス訳文の作業に没頭していたこともあり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)、この種の話題から離れていたが、先週の町内のクリスチャン医師のご逝去に伴い(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160106)、久しぶりに、埃を被った箪笥の引き出しの奥から取り出したような思い出を綴ることとなった。
青野太潮先生についても、十年ほど前だろうか、上記のダブル・スクール院生のブログ(「はてな」を知ったのも、彼が利用していたから。今では残っているが、執筆は止まっている)によって、神学部では、そのような文献を読み、学生が堂々と議論しているのだということを知った。神学部・神学研究科には頼まれて教えに行っていただけで、元々は専門が異なるので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141010)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141011)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141012)、大慌てで神学図書室に駆け込み、大量に本を積み上げ、複写を取り、ノートしていた日々も、合わせて思い出す。
上記の清水氏は、私の亡父の一歳年下で、先日亡くなったモオセ先生のお父様は、亡父の四歳年下だ。田川建三氏は、亡父と同い年。それぞれの戦時体験があり、戦後をそれぞれに生きてこられた。
「なぜキリスト教か」について、明治期のキリスト教との比較上、戦後の日本におけるキリスト教の社会背景に留意する必要があるかもしれない。清水氏の場合は、戦後の価値観の大転換によるトラウマだとのことだ。
一方、都市銀行の管理職だった亡父は、「会社にもキリスト教の人がいるけれど、変なことを発言するから気をつけろ」と、私に言ったことがある。誰を指していたのかは不明だが、それを思えば、娘のような年の私に、田川氏は、よくも罵倒の手紙を寄越したものですね?
娘さんはいない?え、奥さんもいない?もしかして、生涯独身を貫いている?あ、ご家族は別扱いなのかも?個人情報は全く知りません。
十年ほど前の神学部での経験を思い出していたら、ついでに、こんなブログを見つけてしまった。

http://blog.chiisana.org/?eid=1282124


2009.10.20
「神学校、献身ホイホイ化するなかれ?」



・若い信徒がいわゆるフルタイム献身を希望します。すると、自分から見ればとても心配な人物でも牧師が推薦して、神学校に入学してしまうことが多いのだとか。そして、多くの場合は心配が的中するそうです。以前からお聞きする話ですが、最近は特に神学生の人格の著しい未熟さや社会生活面の重大な欠落などをよくお聞きします


・入学者の5人に一人は大学検定を経ての神学校入学とのこと。不登校だけでなく、いじめを受けた経験者がとても多いのだとか。その方は、そうしたつらい経験がプラスに作用することを願いながらも、どうも、競争社会についていけずに逃避的な動機からの献身も多いのではないかと危惧をしておられました。他の方からは、結局、一般社会でリーダーになれない人物が、その欲求をキリスト教会で安易に果たそうとしているのではないか?という頷けてしまう意見も聞かれました。


・牧師が推薦すれば役員会が反対できない教会、逆に役員会が推せば、牧師が断れない場合もあるでしょう。神学校の側も、心配な点があるからと安易に断れません。心配な神学生の9割はその心配が的中し、卒業後の赴任教会にご迷惑をおかけして、神学校から、お詫びすることもあるのだとか


・神学校が競争社会からの逃避者受け入れ機関一般社会でリーダーになることの代理機能を果たす機関になってはなりません。


・出口があり、地域教会に赴任するのですから、半端でなく迷惑なわけです。場合によっては、所属団体や地域の宣教に重大な損失を与えかねません。

(部分抜粋引用終)
この記述についても、心当たりがある。過去ブログに少し綴ったことがあるが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071009)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071028)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140324)、必ずしも、私の独断と偏見ではなかったことが伺えよう。
このようなサイトも見つけた。

http://www.news-postseven.com/archives/20120609_114404.html


2012.06.09
「牧師の平均年収は276万円 その日からなれる教会もある」


・2010年度に日本基督教団の牧師に支払われた「謝儀」(給与)は1人当たり年間約276万円(『日本基督教団年鑑2012年版』)。「謝儀」が1000万円を超す牧師もいるが、一般的には「謝儀」の額は少ない。


・日本の聖職者の数は1万2689人(『キリスト教年鑑2012年版』)。聖職者になるには、カトリックの場合、まずは神学校に入学して寄宿生活を送る必要がある。入学資格は、洗礼を受けてから3年以上経過していること、通っている教会の主任神父の推薦状があることなどだ。神学校での養成期間は大学卒が6年、高卒などの場合は一般教養課程が加わるのでもう少し長くなる。


・養成期間を終えると、ローマカトリック教会の名で、司祭を任命する「叙階」という名の儀式を受け、晴れて神父と呼ばれる。

 
プロテスタントの場合、職務や資格についての考え方は様々で、「教会員さえ認めれば、誰でもその日から牧師になれる教会もあります」(前出・八木谷氏)。とはいえ、大多数の教会組織は独自の教職養成・認定システムを備えている。
 

日本基督教団に属する教会の牧師になるためには、教団が設立した東京神学大学、あるいは同志社大学関西学院大学などの神学部を卒業して「補教師」という資格を取り、「補教師」となってから3年目に教団の試験を受け、合格して牧師となる。最低でも5年、通常は7年の修学が必要だ。


週刊ポスト2012年6月15日号

(部分抜粋引用終)

http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/cat_50011751.html


2015年04月24日


・教団は、現在、礼拝に一度でも出席している国内全ての教会の全世代の信徒、未信徒を重複して集めても数万人前後。さらに毎年のように教団所属の信徒が大きく減り、特に教会学校の生徒は大幅減が続いている。日本基督教団は明白な危機にある。冷たい棺桶のような教会、教団がそのままならば信徒は減っていく以外になく、こうした現状は不可避の成り行きであったが、彼らはほとんど無策であった。


・要するに、彼らは揃って見る目がなく、つける薬もないお馬鹿さんということであって、教団をここまで末期的な官僚組織に落とした人たちはどのように責任をとるつもりだろうか。彼らは虚心坦懐に自分たちの間違いを省みる必要がある。教団内で革命運動をするべく全学連さながらの闘争を繰り広げたかつての社会派もさることながら、「教団内エリート」を気取って農村伝道神学校、聖書学校、聖書神学校らの卒業生をあからさまに見下していた東京神学大の関係者・卒業生らにある。今までに何人もそのような東神大関係者を目の当たりにしたが、実際は教団立の大学が教団を最も腐らせた要因になったことは皮肉なことでもあった。未だに元議長が大川のような邪悪なインチキ牧師、拝金教会、不祥事集団と連んでいる現実を止められない。ここまで状況が悪化したことを考えると、教団の再生は将来的にも難しい

(部分抜粋引用終) 

http://www.geocities.jp/todo_1091/religion/065.htm


・ある有名牧師が、神学校入学者の質の低下を書いていた。神学校に入る「心配な献身者」の9割は、心配が的中してしまい、1割は成長すると。身びいきで1割と言っているのだろうが、現実はもっと低いと書いている方がいる。


・原因は、学力的にどこの大学にも行けない、やりたい事もほとんどないから専門学校にも行かない、かと言って普通の就職もしたくないと言う消極的な理由で牧師を選択する。もちろん当人は「神からの召命」と言うが、それは証明しようがない。入学すれば、余程のことが無い限り牧師となって、小さい教会では次第に独裁者の如くなってしまう


競争社会からの逃避と、キリスト教界ならなんとか暮らせる、地位ある何かになれそうだという不純な動機もあるようだ。そういう安易な状況を続けてきたキリスト教界自体にも原因があると思われる。識見が高い人物が魅力を感じない事もあると思うが。


・聖書知識や理解が乏しくても何ら問題視されない(信徒も聖書をほとんど読まないし、知らないので、気づきもしない)。でも一番の問題は、社会的常識に欠ける事、幅広い知識が無い事、一般の多くの人の意見に耳を貸さない事、そして自己愛しかない事などが挙げられる。牧師が教会を世襲すると言うあり得ない状況も起こっている。

(部分抜粋引用終)

http://fuminaru.blogspot.jp/2013/07/blog-post_9274.html


2013年7月10日
「すべき忍耐、すべきでない忍耐」


・ブラック教会が健全化するのはほとんど不可能に近いのではないかと私は思ってしまう。教会関係の疑問符だらけのリーダーたちの頑なさといったら、筆舌に尽くし難いからだ。


・そういうリーダーが支配する教会であるなら、一刻も早く脱会した方がいいと私は思う。我慢などする必要はない。時として我慢というか忍耐は必要なことだとも書いたが、信徒を騙して搾取するだけのリーダーの支配を我慢する必要などまったくない


・信徒を騙して搾取するリーダーなんてそういないだろう、私の牧師は違うだろう、あの人は違うだろう、と安心する前に、あらゆる可能性を考えてみることをお勧めする。なぜなら人を騙す人間は、そう簡単に正体を明かすことなどしないからだ

(部分抜粋引用終)
他にも、ワードに落としたウェブサイト抜粋があるが、今日はこの辺で。
海外留学組の大学専任であるシングル女性の場合も、もう十数年も前のことだったが、結婚相手を探すのに「私ぃ、牧師の妻っていうのもぉ、いいかな、と思っててぇ」と電話で言ったことがある。思わず、「そんな甘い考えでは、到底、どちらもやっていけないよ」ときつく応答したところ、ぎくっと黙ったことも覚えている。もちろん、今では音沙汰なしだ。
高度経済成長期やバブル期に十代、二十代を送った世代は、私も含めて、とかく根性がたるんでいる。キリスト教会ならば、一般の日本人の読まない、知らないであろう聖書を部分的に引用して、週に何回か、少人数を集めて人生訓もどきを語り、常に「先生、先生」と呼ばれ、困難に出会った際には「祈りましょう」で済む(?)ので、結婚生活も安泰だと考えたのだろうか。
恐らく、彼女は一生独身であろう。