ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

最大の脅威

ちょうど半年前の2015年6月18日の会合時、「現在、最大の脅威は?」と問われて、「左派」ときっぱりと答えたパイプス先生の短いインタビュー画像をどうぞ(http://www.danielpipes.org/15971/united-states-greatest-threat)。2分37秒中、前半の一分半に注目を。
イスラエル旅行でお会いしてから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)一ヶ月と十日後のことである。ここでは、米国に対する脅威に関して具体例を挙げて語っているが、実は、イスラエルにも似たような現象があることに留意(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130405)。(イスラエルユダヤ人なら何が何でも贔屓、という日本人がどこかいかがわしく感じられるのは、そこに理由がある。)
その波及応用編として、日本にも該当する面が多々あることは、もっと真剣に考えなければならない。
二年ほど前、「思想的に誤っていることが証明されているのに、左派は政治的にはうまくやる」とパイプス先生が書き送ってくださったことがある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131124)。
例えば、昨日(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151217)も触れた最高裁の下した夫婦同姓の合憲判決に対するメディアの扱い方にも、それは現れている。次から次へと、重箱の隅をつつくように、現実離れした浅薄な言い訳や希少事例を思いついては、針小棒大に無責任に書き立てるのだ。
看過できないのは、この一連の裁判や国会審議などが、我々国民の税金でなされていることである。その結果、国防や経済など、我々の命に直接関わる最も重要な議論が、エネルギーと時間の枯渇の末、後回しになってはならない。
実は、国家は国民に対峙するもので、闘って現状を変えたいという左派の狙いは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140708)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150409)、そこにあると思われる。

2015年12月17日付『毎日新聞朝刊』から、一例を以下の部分抜粋に見よ。

「余録」


「婦女、人に嫁するも、なお所生の氏を用ゆべき事。但し夫の家を相続したる上は、夫家の氏を称すべき事」。妻は実家の名字を名乗れというわけで、1876(明治9)年の太政官布達である。今ふうに言えば夫婦別姓」の命令だった▲明治政府はこれに先立つ戸籍作成では家族に同じ名字を求めるなど、大いに混乱した。結局、夫婦が同じ「家」の名字を称する規定が決まったのは、1898(明治31)年公布の明治民法によってだった

夫婦別姓


民法750条は「夫婦は結婚の際に定めるところに従い、夫または妻の姓を称する」と夫婦同姓を定める。法制審議会は1996年、夫婦が希望すればそれぞれの姓を名乗れる選択的夫婦別姓の導入を答申したが、反対論も根強く法改正は実現していない。

・判決の骨子


選択的夫婦別姓制度の合理性を否定するものではない。結婚制度や姓の在り方は国会で論じられ、判断されるべきだ

・解説(山本将克)


「家族」見直し国に迫る。ライフスタイルの多様化を踏まえ、国会は家族制度の抜本見直しにかじを切るべきだ。裁判官5人は「同姓にする負担は女性側に生じている」などと反論した。偶然ではなく、変わりゆく家族の形に法律が追いついていない現状の表れとみるべきだ。

・クローズアップ2015(山本将克)


「姓を変えることによって喪失感を抱いたり、個人の信用や評価に不利益が生じたりすることは否定できない」「女性の社会的、経済的な立場の弱さや社会的な圧力によってもたらされている」「国会は立法を怠った」
1990年代に入ると共働き世帯が専業主婦世帯を上回り、姓を変える不便さや自己喪失感が認識され始めた。健康保険証や免許証には戸籍名しか使えず、別姓のために事実婚を選択すれば共同親権が認められないというようなデメリットも残る。

・質問なるほドリ(山本将克・社会部)


実は日本では夫婦別姓のほうが歴史が長いんです。姓はかつて、武士や有力者ら特権階級だけに許されたものでした。その人の「ルーツ」を表す意味があり、結婚後も別姓が普通でした。(中略)戸主は原則として男性とされたため、結婚によって妻は夫の「家」に入り、同じ姓を名乗ったのです。女性は男性より下に扱われていました。(中略)家族の姓がどうあるべきかは本来、国民が決めるべきことです。ライフスタイルの多様化とともに、家族の形も変わりました。法律で夫婦同姓を定める国は日本だけのようです。姓を同じにしなければ家族と言えないのか、真剣に考える時期に来ています。

・15裁判官の判断(夫婦同姓に違憲判断を下した裁判官のみ)と意見


桜井龍子(行政官)・岡部喜代子(学者)・鬼丸かおる(弁護士)・木内道祥(弁護士)・山浦善樹(弁護士)


「女性の社会進出は著しく進んでいる。96%が夫の姓を称することは、女性の立場の弱さなどがもたらしており、意思決定に不平等と力関係が作用している。現在では、あえて法律婚をしない選択も生んでいる。通称使用が広まることで不都合が緩和されても、別姓を認めないことに合理性はない。現時点では規定は憲法24条に違反する」「別姓夫婦は破綻しやすくなり、子育てがうまくいかなくなる根拠はない」「1996年以降相当期間を経過した時点で憲法違反が国会で明白だった。立法措置を怠り、国家賠償請求を認めるべきだ」

・社説(ronsetsu@mainichi.co.jp)


「夫婦同姓は合憲」


この判決が、国会の現状にお墨付きを与えたと解すべきではない。「姓を改める者がアイデンティティーの喪失感を抱いたり、女性が不利益を受けたりする場合が多いことが推認できる。」裏返せば一定程度の不利益は甘受しろ、ということだろうか。こうした主張が、特に女性の理解を得られるのかは極めて疑問だ。姓が異なることで家族のつながりが揺らぐという考えには同意しがたい。夫婦が同姓であっても離婚は毎年20万件以上ある。結婚するカップルの3割弱はどちらかが再婚だ。意に反して妻の姓に帰る夫も含め、別姓を望む少数者の人権は尊重されなくていいのか。この問題の本質はまさにそこにある。社会全体、特に男性は重く受け止めるべきだ

(部分抜粋引用終)

こうして並べてみると、一目瞭然であろう。
「女性」を盾にして、いかにも理解のあるような装いの文章だが、結婚して苗字を変えることが、なぜ一方的に否定的に都合よく語られるのだろうか。実家よりも婚家の方が、家柄アップで格好いい苗字の場合だってあろう。既婚女性は、一回限りの人生の中で二つも苗字を持てるのだから、私が男だったらうらやましい話だ。それに、そんなに「アイデンティティの喪失感」を声高に叫ぶならば、最初から生まれっぱなしのままま、人生を終えればいいだけの話だ。苗字が変わることで、娘アイデンティティに妻アイデンティティが追加されるわけで、喪失どころか増幅だ。また、それほど実家の親の苗字にこだわりがあるならば、同姓同士(山田太郎山田花子の婚姻では名前の変更がない)の結婚を考えてはどうか。現に、私の親戚の中には、近親婚ではないが、たまたま幼馴染み同士の結婚で、偶然に苗字が一緒だったケースがある。
山本将克という毎日新聞記者が、どのような背景を持っているかは、読者として知っておくべきなのかもしれない。また、上記の名前をリストにして覚えておき、最高裁判所の裁判官の当否を問う次の選挙投票の時、「☓」をつけて国民の意思表示をすることも考えなければならない。

しかし、新聞を読んでディスカッションするよう指導されている生徒達や、父方母方の両筋の親戚との深い関わりもなく育った都市部の若い人達は、メディアやインターネット上の奇抜な考えに染まりやすいので要注意だ。古ければいいというものでもないが、時代の先端を追っかけるばかりが能でもない。伝統や古典を大切にし、広く深く学びつつ、さまざまな考えに触れながら、即断せず、周囲とも相談の上、老後までを視野に入れて、最終的には自分でよく考えることだ。
[補足]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151217-00004071-bengocom-soci


夫婦別姓訴訟>なぜ5人の判事は「違憲」と判断したのか? 最高裁が判決文を公開
弁護士ドットコム 12月17日


・「婚姻の自由を侵害する」と考えた3人の女性裁判官
最高裁のサイトでPDFファイルで公開されている判決文は全部で31ページ。後半16ページに、違憲と判断した裁判官の見解。


岡部喜代子裁判官:妻となった者のみが、個人の尊厳の基礎である「個人識別機能」を損ねられ、「自己喪失感」といった負担を負うことになる。「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した制度とはいえない」。民法750条が「婚姻の自由」を定めた憲法24条に違反。「離婚や再婚の増加、非婚化、晩婚化、高齢化などにより家族形態も多様化している現在において、氏が果たす家族の呼称という意義や機能をそれほどまでに重視することはできない」と反論。


木内道祥裁判官:「本件規定は、婚姻の際に、例外なく、夫婦の片方が従来の氏を維持し、片方が従来の氏を改めるとするものであり、これは、憲法24条1項にいう婚姻における夫婦の権利の平等を害するものである」として、民法750条が違憲

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151216-00000593-san-soci


夫婦別姓訴訟の原告 塚本協子さん(80)「(戸籍上は別の姓のため)自分の名前で死ぬこともできなくなった。これから自分で生きる方向を見つけなければならず、つらい」。

http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/151109/plt15110909030001-n1.html


・当事者である子供の視点の欠落。平成13年に民間団体が中高生を対象に実施したアンケート結果。両親が別姓となったら「嫌だと思う」(41・6%)と「変な感じがする」(24・8%)との否定的な意見が、合わせてほぼ3分の2に達している。「うれしい」はわずか2・2%。20歳以上の成人を対象とする内閣府世論調査(24年12月実施)でも、夫婦の名字が違うと「子供にとって好ましくない影響があると思う」と答えた人が67・1%。「影響はないと思う」(28・4%)を大きく上回った。


・簡単に「誰かに迷惑もかけない」と言い切れるような話ではない。


多様な価値観を説く人が、異なる価値観を否定するという矛盾を犯すのは珍しくない。


・何でもかんでも「多様化」という言葉で正当化しても、そこで思考停止することになる。

(部分抜粋引用終)
「自分の名前で死にたい」という感覚、どういうことなのかよくわからない。それこそ、遺言書にでも書いておいたら?判決結果と共に、自分の意見文を添えて。昔の教え子が来てくれるかな?