ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

中国の抗日勝利70年式典の矛盾

1.(http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/


中国「抗日勝利70年式典」、覆い隠せぬ矛盾 多くの国は「大国化戦略」を警戒している


・「抗日戦争勝利70年式典」は、9月3日、北京において70発の礼砲とともに始まり、外国兵、退役兵を含む1万2千人の兵士、さらに最新式ミサイル部隊が行進し、上空では記念飛行が行われ、数万発の風船と鳩の放出・飛翔をもって終了した。

・元首級で参加したのは約30カ国だけ。そこにロシアのウラディミール・プーチン大統領、韓国の朴槿恵大統領、潘基文国連事務総長は含まれていたが、日本や欧米諸国は参加をしなかった

・これまで中国は抗日戦争勝利記念を大々的に祝賀していなかった。

・日本と連合国が降伏文書に署名したのは1945年9月2日、ミズーリ号の艦上であり、その時に中国を代表して出席していたのは中華民国の徐永昌将軍だ。共産党軍からの出席者はいなかった。

中華民国が3日を記念日としたのはその日を祝日としたからであるというのが普通の説明であるが、なぜその日を祝日としたのかよくわからない。西側諸国は2日をVJ dayVictory day against Japan)として、節目に記念行事を行なっている。

・中国は、中華民国にならって対日戦勝記念日を9月3日としたのだろう。1951年、1999年、2014年と何回も行なわれた。これだけでも異常だが、2005年に中国外交部スポークスマンが、中国は以後8月15日を抗日戦勝記念日とすると公に説明したこともあった。

・対日戦争勝利記念についての考えを一変させる機会となったのは、今年5月9日に行われたロシアにおける対独戦勝記念行事であった。

旧ソ連の崩壊後、ロシアは1990年代を通じて対独戦勝記念行事を控えめになっていた。ところが、プーチン大統領は2005年の60周年に際して大規模な祝賀行事を復活させ、軍事パレードも行った。西側からは小泉純一郎首相(当時)を含む各国首脳が出席した。しかし今回は、ウクライナ問題の影響を受けてモスクワでの記念行事に米欧の首脳は出席しなかった。

・中国からは、2005年にも胡錦濤国家主席が出席した。ところが、中国は対独戦には参加していないことから、主賓としての扱いは受けなかった

・習主席はモスクワへ行く以前から、対独戦勝記念行事への出席を9月3日の抗日戦勝記念と関連付けており、ロシア側からの招待に対し、プーチン大統領が北京の行事に出席することの確認を求めていた。

・具体的には「反ファシズム」や「反帝国主義」を掲げることである。これが中国にとって好都合と判断したのだ。

・歴史的には、第二次世界大戦が終わった時点では共産党軍は地域的な勢力に過ぎなかったのだが、ロシアとともに「反ファシズム」を戦ったというシナリオであれば、中国は以前から、第二次世界大戦の時から大国であったかのような印象になるからだ。

毛沢東の長男で後に朝鮮戦争で戦死する毛岸英がベルリンに攻め込んだ部隊に参加していたという作り話が出回ったことがある。しかし、そういう事実はなかったという批判がインターネットなどで流されたことから、この話は消えた。また、1943年のカイロ会談に出席した蒋介石の写真が毛沢東すり替えられたこともあった。

共産党が戦争勝利について語ることの矛盾を理解しているからこそ、無理なことをせざるをえないわけだ。このようなあからさまな歴史の書き換えは、語るに落ちるものである。

・穏健な歴史観の再構築にも腐心しているようにみえることだ。中国では、長らく使ってきた「抗日戦争」と呼ぶのではなく、「反ファシズム」「反帝国主義」のほうがよいとする説がある。

・中国としても大国化戦略だけで日本に接しているのではなく、対日関係の重要性も認識している。一般論としては、将来、戦勝記念を和解促進の機会として役立たせることもありうるだろう。和解はもちろん日本側でも努力すべきことである。しかし、北京での行事がそのようなものになるにはまだ一定の時間が必要だろう。日中関係の改善は、とくに政治面では、一筋縄ではいかないかもしれない。

・経済面で中国はすでに日本とも、米国とも、そのほかの国とも相互に依存しあう関係になっている。近々行われる予定の日中韓3国の首脳会談では、政治問題について真摯に話し合うこともさることながら、経済問題について積極的に話し合うことが期待される。経済は合理性を要求するので政治的な意図に基づく主張の制約要素となるのだ

(部分引用終)

この意見文の末尾で、「経済は合理性を要求する」の意味がわからない。経済によって関係が改善されると期待することの不備は、マンチェスター学派によるパレスチナ支援の根本的な問題を想起のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130923)。

2.(http://agora-web.jp/archives/1653747.html


「避諱」文化が生む中国の歴史偽造
井本 省吾


・中国が3日、「抗日戦争勝利70年」を記念した軍事パレードを実施した。旧日本軍が戦ったのは国民党軍であり、現在の中国を支配している共産党ではない。まして、1943年のカイロ宣言ルーズベルト米大統領チャーチル英首相と会談したのは蒋介石国民政府主席であり、毛沢東ではない

・「抗日戦争勝利70年」を記念して製作した中国の映画には、出席していないはずの毛沢東が登場する。まさに噴飯モノである。こうした歴史の偽造、歪曲を行って恬として恥じない中国の行動の源は何か。

・北村稔・林思雲共著「日中戦争の『不都合な真実』」(PHP文庫)で中国生まれの林氏は「中国の避諱(ひき)文化に由来する」と指摘する。

・中国で科学が誕生しなかった大きな原因は、中国の避諱文化にある。中国人から見ると、「真実」は決して重要ではなく、重要なのは偉大な人物と国家民族の擁護なのである。必要ならば、真実を投げ捨て……ても構わないのである。

・「避諱」は避け、隠す(諱)を意味する。国家と社会の安定を保ち、発展させるのに必要なら国家の体裁を保つための虚言を弄し、ウソをつくのは望ましい行為として称賛、奨励される。

・例えば、南京事件など戦時中の日本軍の蛮行を誇大に言い募るほど愛国者といわれ、慎重な見方は売国奴と批判される。そこで、競って大袈裟な数字を並べ立てる動きが強まり、どんどん誇張、歪曲が広がる

・林氏の著書によると、南京大虐殺についてある中国人が「日本兵が5万7418人を殺すのを見た」と証言した。

・この数字は一の位まで正確に述べられており、常識で考えれば嘘だと判断できる。しかし中国人は、誰も嘘だとは言えなかった。(この証言を否定すれば)日本人を弁護する売国奴の漢奸になるからである。

・第2次大戦後の極東軍事裁判に参加した中国の主席代表が自著「極東国際軍事法廷」の中で、この5万7418人を引き合いに出し、(日本兵は中国人を)「針金で縛って」「手当たり次第に斬り殺した」「最後は死体に石油をかけて燃やし証拠を隠滅しようとした」と残虐な犯行を、想像で付け加えたのである。

「避諱」文化に染まった中国人と歴史論争をしても、一致した見方に到達するのは不可能だ、と林氏は書いている。

・(安倍晋三首相は)次の習(近平)主席との会談では焦点の「歴史認識」について丁寧に説明し、将来に禍根を残さないよう布石を打つ必要がある。中国にも大局を重んじる度量を期待したいところだ。

・「国家のためには歴史を偽造してもいい」と考えている確信犯の集団に対し、歴史認識について丁寧に説明しても無駄である。骨折り損と言っていい。

・形式的な議論は最小限度にとどめ、お互い利点を共有できる経済交流の拡大や偶発的な軍事衝突が起こらないようにする取り決め、マニュアル作りを中心にした方がいいだろう。

・安倍政権誕生以来、「日本の歴史認識」に厳しかった欧米のマスコミも最近は軌道修正の動きが目立っている。

・英国の有力雑誌「エコノミスト」は8月21日号で「9月3日に『抗日戦争勝利記念』の軍事パレードを閲兵する中国の習近平国家主席こそ歴史をねじ曲げて、自国の将来の野心に利用し、日本を不当に悪魔化している」と厳しく批判する巻頭論文を載せている。記事の見出しは「中国はいかに将来を支配するために過去を修正するか」。

欧米もだんだんわかってきた。韓国に対しても懐疑の目を向け、日本寄りになりつつある。ここで手を抜かず、政府や意のあるメディアは「真実の歴史」を世界に発信する努力を怠ってはなるまい。

(部分引用終)

この二本の記事を読んでの感想。
国史について、存在するものを存在しないかのように扱ったり、事実を勝手に偽造したりすると、結局は混乱ばかり生み、何事も繁栄しないということの示唆。これは、個人レベルでも、世界の他の地域に関しても、同じことが言える。