ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

国防と国益を真剣に考える

この頃、台風接近のせいか、秋風が吹く。涼しくなったところで、ようやく三ヶ月ほどの休息期間が終わり、昨晩は久しぶりに、パイプス訳文の計画を立て、長いものを少し訳しかけた。
パイプス先生のことは、この休み期間に、直球および反球のみならず、斜めからも眺めてみた。体が大きい(1メートル92センチほど)だが、知的にも精神的にも、やはり規格外サイズの人なのだ。その場では一見何でもないようでも、後から振り返ると、光沢の当たっている小さなダイヤモンドのような、いい仕事も結構あることに気づく。
しばらく離れていると、(あら?私って、こんな難しい話も日本語にしていたの?)という一種の錯覚さえ覚える。めでたく早くも惚け症状?いえいえ、夢中になって没頭していたので、時空の距離を置くと、新たに目覚めるということでもある。
それに、言いにくいことではあるが、昨今、日本社会の全体的な澱みと質の低下がとみに目立つからでもある。例えば、メディア全体もさることながら、NHK-FMクラシック音楽番組の選曲や、案内をする司会の話し方や声にも現れている。
ボストン発のクラシック音楽番組を主人が見つけてきて、時々流してくれるが、全く雰囲気が違いますぞ!もっと引き締まって真剣勝負の案内だ。それは、世界有数の指揮者自ら、曲の解説をしているからだ。
日本だと、裾野を広げるとか何とか言って、その辺の中高生にわざわざ水準を下ろしているかのような「レベル下げ競争」が甚だしい。そんなことでは、到底、国の知的文化水準を維持できません!
さて、ここ数年、目を通している、国防外交ブログからの引用を。

http://newglobal-america.tea-nifty.com/


2015年8月25日
自衛隊ペルシア湾派兵は日本の国益に適う」


・テロ、過激思想、専制政治、核不拡散といった脅威はますますグローバル化している。また日本はペルシア湾からの輸入に総需要の80%以上も依存している。
・現在の積極的平和主義と安保法制の発端は1991年湾岸戦争での外交的屈辱である。国連決議に基づくアメリカ主導の多国籍軍サダム・フセインの不当なクウェート侵攻に懲罰を科す時に、日本は何も支援できなかったばかりか、アメリカの軍事作戦に資金を出すATMマシーンだと嘲笑されてしまった。
・この事件によって日本の指導者層と国民は戦後の平和主義がどれほど受動的か、それどころか孤立的なものだと知らしめられたのである。
・この観点から言えば、自国の周囲を超えて世界の安全保障の負担を分担することが日本の国益と責務である。
・日米同盟の深化に最も不熱心な政治家の一人である小沢一郎衆議院議員でさえ、日本の防衛に第7艦隊が不可欠だと認めている(「『駐留米軍は第7艦隊で十分』 民主・小沢代表」;産経新聞;2009年2月25日)。
・私は安保法制が日本の防衛任務に地理的制約を科すべきではないと強く主張する。
アメリカやイギリスのようにイージス艦を派遣することは日本の重要な国益に適うのである。よって、安倍政権のきわめて抑制されたビジョンにさえ反対する者は非常に孤立志向なので、1991年湾岸戦争の屈辱のような過ちを繰り返しかねない
・日本人には主力艦喪失が戦略的そして象徴的にもたらす影響を理解するうえで重要な歴史的体験があり、それも攻撃側と防御側の両方の立場を経験している。
・世界各地で脅威となる勢力が勢いづき、割れ窓理論で言われるようにこれらの勢力がパックス・アメリカーナに対して立ち上がるだろう。そうなると日本にとってはまさに存立危機事態である。
・間違ってもアメリカとオバマ氏を同一視してはならない。イギリスのデービッド・キャメロン首相がオバマ氏と親しい友人だからといって、アメリカ政策形成者の評価が必ずしも高いわけではない。実際にオバマ政権の核協定はキャピトル・ヒル超党派の厳しい批判にさらされている。
民主党員の中で、チャック・シューマー上院議員は核の野望を捨てない限り協定によってイランが穏健化することはないと主張している(“Schumer: I'm Voting Against Iran Deal”; Weekly Standard --- Blog; August 6, 2015)。シューマー議員の見解を裏打ちするかのように、アリ・ハメネイ最高指導者はイランの事情に部外者は口を挟むべきでないと述べた。これはハメネイ師には核計画を止める意図などなく、ただ制裁の解除だけを望んでいるものと解釈されている(“Iranian Hard-Liner Says Supreme Leader Opposes Nuclear Deal”; New York Times; August 15, 2015)。
・核協定が施行されるとしても、それで米・イラン関係が緩和すると考えるのは夢想的と言わざるを得ない。
・米・イラン間の外交的雪解けを信じる永田町の政治家達は、レオニード・ブレジネフのカモにされたジミー・カーター氏と同類としか思えない。
・永田町の政治家達の間では政策通とされる議員まで核協定後の米・イラン関係に楽観的なのは、どうしたことだろうか?
・イランやテロリストのようなこの地域の脅威を理解するには、イスラム過激派の思想的および歴史的背景を知る必要がある。
・殺戮と破壊のイデオロギーで、カフィール(異教徒)と穏健派ムスリムに対して徹底的に非寛容である。一度でもアラーへの冒涜だと見なされれば、キリスト教徒やユダヤ教徒であろうとなかろうと過激派による攻撃の標的となってしまう。イスラム過激派は中世にはインドの仏教を根絶した。タリバンバーミヤンの大仏の救済に向かった日本代表団を侮辱的にあしらった。これらの観点から、受動的で孤立志向の平和主義では日本が宗教過激派に対処するうえで役に立たない
・忠誠は、同盟国にとって自分達の国益アメリカの外交政策に反映させるうえで何らかの役に立つことがある。
・日本が戦後70年間の平和に浸かっていたこともあって、自衛隊は世界でも最も実戦経験が乏しい軍隊である。日本のリベラル派はそれを誇りに思っているが、私の目には現在の自衛隊マシュー・ペリー来航時の徳川武士に見えてならない。
アメリカあるいは欧米が中東や他の場所で行なう戦争に日本が巻き込まれてはならないと強調する者は、アジア太平洋諸国との友好とパートナーシップを重視しているのだろう。しかしこれは我が国が世界の中で占める特別(exceptional)な地位への素っ気ない否定である。日本はアジア太平洋の国でありながら、明治末期以来は「西欧列強」の一員としてアメリカやヨーロッパと共に世界を運営してゆく立場であった。

(部分抜粋引用終)

末文の日本の特別な地位に関しては、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150515)に示唆を記しておいた。