ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

相手を知る

昨日書いたことに連関して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140808)、以下のブログから部分引用を。

http://blogs.yahoo.co.jp/hiromichit1013/61170669.html
米国は、往々にして借刀殺人の計に嵌りやすい。
(中略)
この計に嵌りやすいのは、米国の民主主義制度では外国ロビー活動によって、外国の利害関係が容易に米国内の世論となり、米国を動かす力となるからである。米国の世論を動かせば、力となることから米国世論に働きかけることが、戦場の帰趨と共に重要な要素となっている。
 ましてや米国は、軍事力に過剰な期待をもって、米国が介入すれば、すぐにでも解決できるという自信過剰、自負心、感情を持っていればなおさらのことである。
 まあ、もっとも、米国政権、特にネオコンは、自分達が頭が良いと思い壮大な世界戦略を描き、自分達に都合の良い中東プログラム(世界覇権の維持)を計画しチャベス如き、イランが介入する前にイラクフセイン政権を転覆させて軍事力があると過信していた。情勢判断が主観的に自己に都合が良いように思い込んでいたのであろう
 そこを上手く付け込まれたのであろう
 諸外国は、米国の弱点を知って上で行動している。
 では、日本は…? 

(引用終)
つまるところ、こういうことだ。相手を知らずして自分を守れない。同時に、第二次世界大戦中の日本だって、そういう狭い自信過剰が優っていて、今でもそれが甦っていないか、ということ。だから、映し鏡でもあるのだ。