ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

失ってからわかること

昨日、元同僚だった方から、思いがけなく亡父のためにお供物が届いた。
もうすぐ一周忌。主人と同じ病気に罹患した父(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111130)とのメール交信や手紙のやり取りを、数年前、勝手に断ち切られてしまった経緯がある。その他に関しても、長年の積もり積もった状況というものがあって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080119)、昔から予想済みだったとはいえ、私の力ではどうしようもなく、昨年から今月中頃まで、ずっと複雑な境地だった。そこへ、さすが彼女は人生の経験者、必要な時に必要な物をさりげなく届けてくださったのだ。
結婚後、長らく疎遠だったはずの私の実家から言われなき言いがかりをふっかけられて、義母も昨夏は一ヶ月半ほど入院するぐらい私達のことを心配していたのだが、彼女の心配りに、労苦を共にしてきた主人も一緒に感激した。それで、私は今日一日、一生懸命にお礼状を書いて投函したが、その帰り、彼女からのお手紙が郵便受けに入っていたのを見出した。訃報に驚いたこと、マレーシア勤務期に遊びに来た時や(受付を務めてくれた)結婚披露宴で見た、父の柔和で優しそうな面影がさりげなく綴られていて、心が温まった。
ある機関を通して知り合った主人は、まずは「結婚前提での交際を許してください」と父に律儀に挨拶しに来るような、(今時珍しく?)筋を通す人で、そこが私の最も気に入った点だったのだが、父もその点は感心していたようだった。主人も「いいお父さんじゃないか」と言ってくれた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091218)。
挙式までも、尋常ならざる嵐の突風のような中を歩んできたが、その後、父が叔母達に、どういう結婚式だったか、お相手はどういう人だったかを、説明に回ってくれていたらしい。そのことも、父が亡くなって初七日に当たる日に私から送った手紙を読んだ叔母が、即座に電話で教えてくれた。「立派な人と結婚したんだってね」「いいお式を挙げられたそうで」と。
そして、今まで主人に期待を裏切られたことは一度もなく、幼少時から無闇に脅かされていた心配事は一切発生していない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091116)。その点は、父も安心ではないだろうか。娘が夫に大切にされ、実家にいた頃よりも伸び伸びと持てる力を発揮できるとなれば、これほどの幸せはないはずだ。持ち家だとか子どもの有無とかを殊更に自慢する女性達が世の中にはいるが、もちろん、全部揃うのが望ましいこととはいえ、結局のところ、事の本質を考えれば、それも二の次三の次なのだ。夫婦仲がぎくしゃくしているところに子どもが何人いても、子どもにとってはよい環境とは言えない。大きな持ち家があったとしても、いつもいがみ合ったり引きこもったりしていては意味がない。子どもも家も老後の担保やアクセサリーではないのだ。
それに、主人の母方の実家のルーツは、今でこそ没落気味ではあるものの、元々は司馬遼太郎歴史小説にも登場するような誇り高き家柄だったそうで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071103)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100324)、そのお陰で、しっかり者で人徳の高かった主人の祖母も「人形みたいな子やなぁ」と私に目を細めていらしたし、伯父さんも「誰が何と言おうと、僕はユーリさんの味方だ」と断言してくれ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091217)、親戚の方達にも「いいお嫁さんが来た」と言っていただけた。もちろん、社交辞令という含みも踏まえた上でのことだが、あの頃、皆様に温かく受け入れられた思い出が、今も自分を支えていることは確かだ。これまで何度か経験したご親戚の葬儀(真言宗)も、最初はご近所総出で、いろいろと教えていただきながら台所に立っていたが、意地悪したり、いじめる人など誰もいなくて、新しく学ぶことが興味深かった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070817)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101007)。
もっとも、山中教授のノーベル賞の研究対象である主人の病気だけは別だが、これも考えようで、早速、リストラ云々の対象になるかと怯えていたのに、何とか今でも勤務を続けさせていただいている。本人の若い頃の貯金もあるのだろうが、やはり良き職場のご理解あってのことと感謝している。診断を受けて意気消沈していた当初、所長秘書だった方が「期待されていたのに...奥さんがどうしていらっしゃるかと思って...」と、早速お電話をくださったこともありがたく思い出す。
というように、恐らくは父のお陰もあって今の私があり、皆様によくしていただいているのだと感謝している。
やんごとなき事情で、世間のしきたり通りのことができそうにもない状況で恐縮しているのだが、世の中にはどうしても話が通じない人という人がいるもの。ここに書いた類のことを話しても、「関係ない」「今更言っても遅い」「いつの時代の話をしているのか?」「自分は誰の言うことも信じていないから」と勝手にニヒルを気取り、社会常識を知らずに無礼を個人主義と勘違いしている輩もいる。相手の都合も聞かずに勝手に日取りや時刻を決めて人を動かそうとしたり、「自分達はうまく賢くやっている」とばかりに、嘘をついてもバレないと思っているようだ。難病を抱えた夫を気遣う言葉一つなく、自分の子を「かわいいだろう」「いい子だろう?」と自慢げに言うのみならず、ズボンに手を入れてずり下げた子どもの拡大写真を付けた年賀状を送ってくることが、いかに他人には違和感を覚えさせるかにさえ、気が回らない無神経さなのだ。しかも、せっかく久しぶりに、いとことその配偶者達およびひ孫達が集まった祖母の法事にも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110502)、「旅行の予定があるから」と欠席した「いい子」とその母親からの挨拶はなかった。
あるいは、父が亡くなってから初めて知ったのだが、親に黙って結婚し出産をしたのだという。その頃、私が時々電話をかけて様子を尋ねても、うっとうしがるばかりで、葉書一枚だけが突然のように届き、驚いて尋ねると「だからそういうこと」と。いつの間にか結婚していたらしい。その後のもう一枚の葉書によって、子どもが生まれたことを知った。だから初孫誕生を父に電話で知らせたのは、実は私だったのだ。電話口でいつも泣き声がしていたので、遊びに来るよう誘ったこともあったのに、「まだ電車に乗れない」「そちらの場所を知らない」と断られた。そうでありながら、いまだに配偶者の紹介も挨拶も全くせず、しかも祖母の法事や父の葬儀では、なぜか子ども連れ夫婦で一緒に食事までしている。一体どんな背景の人なのか、素性を知ろうとすれば、かえって「こっちの迷惑だ」とばかりに断固回避する。あまりにも軽々しい考えで、本当に非常識で迷惑なことをしているのは、果たしてどちらなのか?ある日突然、父が電話をかけてきて「おい、あれ、何も考えてないなぁ。何か話、聞いているか?」と心配していたが、確か、その時の私は「昔からそうだった。いつでも、私よりも自分の方がうまく立ち回っている風なことばかり言ってきた」と返事した記憶がある。
何か都合の悪いことは「子どもを利用して」言い訳を作ってもいるらしい。「子どものいない人にはわからないでしょ?」とも。人を「利用」すれば、結局は自分もいつか利用され、そういう子育てこそが社会を低下させていくということが、わからないのだろうか?「(ワンマンな)社長さんみたいだね」と言われて、その言外の意も汲み取れないほど、力が落ちている有様だ。単に自分の理解能力や背景知識が低いだけなのに、こちらの言うことを「禅問答」だと切って捨てる。
この一年ほど、いろいろな方にご相談してみたが、誰もが一様に、「そんなものすごく理不尽なやり方、従う必要はありません」「日本全国どこでも、嫁に出た長女が父親の葬儀の受付をしなければ、などと言ったら、その人こそが礼儀知らずを疑われます」「距離を置きなさい。同レベルになる必要はありません。そのうちに痛い目に遭います」「大体、話が最初からめちゃくちゃですね」というお返事だった。しかしながら、その種の理不尽さに長年、不当に悩まされ続けた私を、いつも体を張ってかばってくれたのが父だった。数年前に断ち切られる前までの父のメールには、「連絡をくれるのはユーリだけだ」と書いてあった。そして、義母も結婚式の頃から、「お姉さんに対して取る態度が冷たい」とも言っていたと、主人が最近、教えてくれた。極めつけは、父が亡くなってから、私達の結婚式の記念写真などが送り返されてきたことだった。
父だって何もして来なかったわけではない。よく覚えているが、私が小学校低学年だった頃には、しばしば(教育者だった)父方の大おじさん達のところへ相談に行っていたようだった。また、私が高校か大学だったかの頃に、「もう高桑のおじさんも八十になったので、この件からは降りる、と宣言された」と父が私に言った。別の叔父達が家に突然「遠縁の者だが」と上がって来られたこともある。もちろん内情はよくわからなかったのだが、わからないままに何もかも全部、どういうわけだか「真っ直ぐで」「融通の利かない」「賢くない」私のせいにされてきた感がある。今から思えば、どうみても客観的に無理難題なのだ。親や夫婦間の問題を(孫)娘のせいにするなど、とんでもない筋違いだ。「この件からは降りる」と宣言された高桑のおじさんなる方には、父方の祖父の葬儀の時にお声をかけていただき、主人共々ご挨拶をした。
それに、金銭面でもおかしなことが複数発生した。誰がしたかは、金融機関で調べてもらって判明していることだ。もちろん、そんなトラブルのくっついたお金なんて不要だ。
よく「遺族が争うことは亡くなった方の望むところではありませんよ」と諫める言葉がある。一般論としては当然のことだ。私だって、そうしたい。しかし、そのような諫めに従い、「賢く立ち回り」「世間体」から沈黙を保っていたとしたら、当然の権利が侵害されるばかりか、不当な名誉毀損まで被ることになる場合もある。いや、名誉なんてなくてもいいのだが、父が本当に何をしてくれたかについて、最初の子であった自分が見聞して知っていることのうち、伝えるべきことが正当に伝わらず、曖昧なまま、なし崩しに家系の記憶が途絶えることにもなりはしないか?知るべきはずの社会常識も、距離を置いて「賢く」無視をし、年上の者を軽んじる態度を取っていたら、回り回って痛い目を見るのは自分達とその子どもではないか?
いや、今はそんな時代ではない、自分達流のやり方がある、という主張もあるだろう。しかし、そのようにして伝統や慣習を無視し、「小うるさい奴」を無視して当座を表面的に凌ぐだけでは、ますます安っぽい世の中になっていきはしないか?主人も常々言っていた。「挨拶ができていないね」「そういうことは、目上に言うことではありません」「年下の立場で、そんな発言は余計です」。第一、喪主とは15歳も年の差があり、三世代同居で育ち、田舎の祖父母宅にも夏休み毎に泊まりに行っていた主人の経験知が、全く無視されているのだ。子どもの有無なんて、その場合、関係がないはずだ。でも、子どもがいれば一人前で何もかも免罪符。だから15歳年上の難病患者とその配偶者のことは、邪険に扱ってよいということなのだろうか?
このブログは、開始当初から主人も承認済みであり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080118/)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101221/)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110923/)、主人が義母にも紹介してある。実は父も読んでくれていたのを知っている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131002)。自分が絶対に正しいと主張するつもりはないし、細かな認識違いがあるかもしれないものの、基本は事実の通りである。それによって、遠隔かつ間接的ながらも、何とかわかる方々には事情が伝わればと願っている。