ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

自文化に誇りと自信を秘めて

昨日借りた本にざっと目を通していると(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131025)、なるほどなるほど非常に勉強になります。普段、私が個人レベルで好んで読む分野とは少し異なっているので、視野が広がり、いい刺激になります。そこでふと感じたことを一言。「やっぱり、皆さん日本が好きなんだ」「自文化に誇りと内なる静かな自信を秘めて生きている人って、いいなぁ」。
私自身は二十代の頃、思考バランスを取るために、努めて異なる立場のものを読んだり、珍しいと感じた情報に目を向けたりもしていましたが、人前での配慮という点では意味があったと思うものの、全体の中での位置づけの把握にやや失敗していたきらいもあったかと思います。つまり、中心軸は何かということ。それに、私自身は結構満足して生きているつもりでも、周囲に「それじゃいけない、だめだ」と、わざわざ劣等感を押しつけてくるはた迷惑な人達がいて、その対処に惑わされていたこともありました。
近所の図書館の棚を見ていると、見た目はモダンで穏健そうでも、明らかな左翼思想の本がずらりと並べてあるコーナーがあります。それは、そのような思想を持つ政治家が我が町の選挙区から立候補した経緯があり、そのまま国会まで進出し副大臣を務めた影響も一部にはあるのではないかと思います。そのような本を「読むな」と子ども達には言いませんが、「読み方に気をつけなさい」「若いうちはいろいろなものを読みなさい」とは強調したいのです。
そして、普段はほとんどテレビを見ない生活の私も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091029)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100323)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101015)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120922)、たまにYou Tube国会中継の一部を見ていると、本当におかしな映像が出ています。上記の副大臣を務めた女性ですが、安倍総理予算委員会従軍慰安婦問題を問い詰めていて、かえってたしなめられていました。「○○さん、今、私こうして説明しているんですから、黙って聞いてください」と。「あなた、うるさいですよ。子どもみたいですね」と叱られていた議員もいました。彼女の説明会に一度だけ行ったことがありますが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100328)、さすがに敏感な方のようで、その後、別の日に同じ町内の建物の中ですれ違った際、思わず会釈をした私にも、(つん!)という風に丸無視されてしまいました。これが実態です。
会釈は、政治的立場が異なっても、選出されて国会でも活動されているのだから、そのことに対する礼儀は必要だと思ってのことですが、多分、雰囲気をすぐに察知されるのでしょうねぇ。
話は変わって、アメリカのハドソン研究所でハーマン・カーン賞を受賞された際の安倍氏の演説や振る舞いを映像で見た感想を一言(http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2013/0925hudsonspeech.html)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130927)。英語そのものは簡単でゆっくりした話し方だったものの、にこやかで大柄で余裕たっぷりで、もし私がアジアのどこかの国に生まれていたらきっと、(日本っていいなぁ、うらやましいな。日本人と友達になりたいな。友達になってくれるかなぁ)と願っていただろうと、なぜか感じました。こういう風に自分の国を考えたことがこれまでなかったのですが、世論にたやすく影響されているというのではなく、それほどまでに昨今の日本社会の劣化が目立ち過ぎているので、相対的にそのように思えたのかもしれないと考えています。
ハーマン・カーンの名を知ったのは、学部生の頃、一生懸命見ていた「NHKテレビ英語会話Ⅱ」のインタビューから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120314)。巣鴨プリズンなどと名前が出てきて、必死でテキストを追っていたのを思い出します。当時は、いささか日本を持ち上げ過ぎで、何か裏に魂胆でもあるのだろうかと行間を読み取ろうとしていました。国が上向きで、戦争を生き抜いてこられたご年配の方々もご健在だったので、そういう読み取りの余裕が自分にもあったのだろうと思います。今となっては、何とありがたいことをおっしゃってくださったのだろう、と素直な感謝の気持ちです。マレーシア滞在三年間を含めて、アジア情勢が具体的にわかるようになってきたからでもありますし、現在の東アジア状況の緊迫した事情からも、外部から、しかも旧敵国だった大国アメリカ側から、たとえ戦略上のことであったとはいえ、日本を選んでくださったことの歴史的意義を思うからです。