ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

日本の移民政策案に異議あり

日本の未来について話そう―日本再生への提言』を読了(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130908)。


1. 英語論考文からの邦訳作業に没頭する一年半を過ごしているためか、日本語で書かれた本が何とも情緒的で短時間で読めてしまうのに驚いた。旧知の内容が多いためでもある。
2. 好意的なものから批判的なものまで各界の代表的な意見が揃っているように見えるが、率直で具体的な日本側の反論が聞きたいところ。言われっ放しでは困る。特に「日本人は英語がまだ下手だ」というコメントは、事実ではあるものの、この際、的外れで余計である。
3. 発行年月日は2011年7月4日。3月11日の東日本大震災から4ヶ月も経っていない間に、415ページの邦訳書が出版できたということは、震災が発生する前から、この種の話題が存在したという意味。それにしても、震災当時の政府の対応失態をきっかけに、グローバル時代における移民政策の遅れを指摘するなど、無責任で失礼だと思った。
4. 移民には二通りあって、(1)日本の活性化と水準引き上げの期待を担った高度で特殊な才能の持ち主(2)単純労働に従事する外国人労働者。(1)の場合は、本人の事情も左右される上、日本が本当に魅力的ならば、政策なしでも既に自発的に定住して活躍されている。(2)の場合は、まずは若年層の非正規雇用や引きこもり、女性の就労条件など、埋もれている潜在的な日本人の有効活用を第一主眼にすべきで、安易に外国人に依存しないでほしい。
5. 日本に助言するかのような意見の場合、「欧州が移民を受け入れているのだから日本も」という論調だが、「極右」「右翼」とレッテル付けされている、移民に否定的な政策を持つ欧州諸政党の台頭の背後にある現地文脈を、まずはしっかりと観察することが先決(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130522)。話はそれからだ。大抵、日本人に親切そうにアドバイスする外国人の意見は、その人自身が出身社会で傍流か少数派であることも少なくはない。あるいは、何か魂胆を秘めているかである。何事も、まずは主流で常識的な感覚を重視すべきではないか。
6. 移民の場合、(1)言語 (2)家族 (3)医療の問題を考慮すべき。宗教や習慣の問題は、その次に来る。
7. (1)数ヶ月前に、インドネシアの聖書協会に(オランダの聖書学者の著作も含めて)インドネシア語で書かれた聖書翻訳に関する論文集(4冊分)の代金を払うことになり、先方から指定されたアジア系の会社と取引することになった。日本語の話せるアジア系スタッフが突然現れ、敬語が使えて丁寧だった。しかし、簡単な用件のために何度も電話がかかってきて何とも能率が悪く、通常の三倍から四倍の時間と手間暇がかかった。つまり、言葉というより理解力と伝達力の不備が問題だったのだ。移民を入れると、「多様な価値を認め合って社会が豊かになる」のではなく、現実には、言語伝達能力の差違から「能率低下とミスの多発」を覚悟すべきである。従って、経済が活性化するのではなく、今以上にむしろ下がっていくだろうと予想される。
(2)移民は単身で来るとしても、早かれ遅かれ家族の問題が発生し、ついでに親族もぞろぞろついてくる可能性もある。居住や子弟教育の問題はどうするのだろうか?また、国際結婚率の上昇も考えられ、国籍問題および離婚した際の親権の問題など、係争問題の発生は増加こそすれ、減少することはないだろう。
(3)生きていれば病気にかかるのは自然現象であり、異国の異文化であればなおさらである。移民は慣れない仕事と環境などから、精神疾患も含めて病気にかかりやすい。言葉の不自由さに加えて、経済面と医療面での支援は、一体誰がどこまで面倒を見るのか?この負担は誰が担うのか?
8.というように、3.11東日本大震災という世界でも未曾有の大地震直後に、「日本再生」と題して、よくもいい加減な移民政策提言ができたものだ、と神経を疑う。物事の一面のみ、都合のいい面しか語っていないのが、非常に気に障る。
9.しかし、悪い提言ばかりではない。むしろ、日本が日本らしくあり続けることで魅力を放ち、後になって日本独自の政策が認められ、世界からうらやましがられている事例もある、という励ましの言葉も含まれていた。このようなコメントの方が、私にはピタリとくる。
10. 他人とはいい加減で無責任なものだと心得て、褒め言葉は話半分に、辛辣な批判は受けて立ち、最終的には現実をよく見極めて、自分達にとって最もふさわしい選択を長期視野から決断するしかないのだろう。