ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

アラブ動乱に関する一見解

「メムリ」から

http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP519413
緊急報告シリーズ Special Dispatch Series No 5194 Feb/24/2013

アラブの春は名誉ある道程―MEMRIのカルモン会長が評価―


2013年2月13日付ザ・タイムズ・オブ・イスラエルのインタビューで、MEMRI 創立者のイガル・カルモン会長アラブの春について語り、アラブの春に続くイスラミズムの勃興は、変革プロセスの始まりにすぎないとし、「ヨーロッパは、進歩的価値観に到達するのに数百年を要した」と指摘。本当のリベラル派の手からエジプト革命をイスラミストが奪いとっている点について、カルモン会長は「アメリカが、人間を退化の方へ引きずる勢力を支援するのは、道義的に恥であり、政治的にも正当化できない」と述べた。以下そのインタビュー内容である。


「人々は私達にイスラミズムの勃興について警告しているが、私は最初からこれと正反対の見解を持っている…これはまさにアラブの春である。人民は自由を求めて戦っているのであり、独裁制打倒のため毎日命をかけているのであるアラブの春に代る名称はほかにない。


アラブの春は本物―敬意を表す


選挙に勝ってイスラム政権が各地で誕生しているから、革命は失敗だと早合点してはいけない。アラブの春の前中東はあらゆるレベルで抑圧の泥沼で凍結状態にあった。その凍結状態が、抑圧政権に対する蜂起という大波によってひび割れを生じた。これはもう後戻りできない。つまりこれは、アラブとムスリムが“進歩する世界の外側”に最早位置せず、ということを意味する。


アラブとムスリムは、人類の仲間入りを求め長い道のりを歩み始めたのである。これは名誉ある旅路であり、私は心から応援する。


歴史に近道はない。アラブの春が成就するまで数世紀を要す


イスラム政権が次々と選挙に勝利しているから、アラブの春は駄目になったと批判する向きがあるが、そうではない。フランス革命と恐怖時代(革命中ジャコバン党の独裁政治が頂点に達した時代。1793年9月頃より翌94年7月まで、1万7000人が処刑された)がなければ、世界は今日みられる如き状態まで進歩しなかったのであろうが、この人達がこの時代にいたのなら、革命に反対しただろう。


進歩には時間がかかる。今日中東で権力の座についている諸政党は、民主的に選ばれたのであるから、反対派に自己の立場を強要できると考えているが、数世紀もすれば自分達が如何に間違っていたかを学び、自分達の生残りは、全員に対する自由が保障されているかどうかにかかっていることを、理解するだろう。歴史に近道はない。ヨーロッパは進歩的価値観を身につける迄数百年かかったのである。


中東でイスラミストが選挙や権力の座についているのは、イスラミズムが根付いている証拠と唱える向きがある。果してそうであろうか。チュニジアとエジプトのケースを考えればよい。チュニジアでは確かにイスラミストが選挙に勝った。しかしそれは、彼等がエンナーダ党のなかで結束し一本化して選挙にでたためで、数のうえではまさる反対派は一本化できず。数十の小党分立で選挙を戦ったので敗北したのである。エジプトでは、イスラミスト候補のムルシ(Muhammad Mursi)と世俗派候補シャフィク(Ahmad Shafiq)が大統領選でほぼ互角であった。しかるに、シャフィクが、追放されたムバラク政権を象徴する存在であったため、非イスラミスト達はシャフィクに投票するのを控えたのである。しかし今日では国民は反ムルシを表明している。


反対派指導者シュクリ・ベライド暗殺に抗議する住民


ガザでもそうである。ハマスが全面的な支持を得ている所と一般に考えられているが、ファタ創立記念日の2013年1月1日、数十万のファタハ支持者が、街頭デモをやった。ハマスはカザを自己のものとして支配していない。そうすることはできない。


ファタハ創立記念を祝う住民。2013年1月1日、ガザ


国家体制の完全崩壊が、現代中東の全体的動向である。地域、民族、宗派、そして部族単位に分解しており、“イスラムブロック”として統合されていない。これが現状である。この諸要素間の闘争は今後数世紀は続くだろう。しかし、それは本物をめぐる本当の闘争であり、互いに相手の存在を認めて折合う状態になって終結する。ヨーロッパと同じである。ヨーロッパは、無数の戦争を繰返した末に今日の姿になったのである。


エジプトに対するアメリカの姿勢は疑問である。アメリカは、イスラミストではなく進歩派諸勢力を支持すべきである…エジプトでアメリカはムスリム同胞団とくっついているが、悲劇としか言いようがない。アメリカが、人間を退化の方へ引ずる勢力を支援するのは、道義的な恥であり、政治的にも正当化できない。


アメリカは、ムスリム同胞団を支持することに決めた時、エジプトにおける反ムスリム同胞団の真の実力に気付いていなかったようだ。イスラミストは考慮に値する勢力と考え、これを相手にする必要がある、と判断したのである。アメリカはこの政策にまだ固執し続けている。政治イスラムがエジプトで多数派を形成していないと認識するに至っても、それを変えようとしない

(引用終)
私自身の考えは、上記会長とはいささか異なります。フランス革命に対する評価、「アラブの春」という呼称の問題、西洋の変遷とアラブを比例させていることなどです。ただし、アメリカの外交政策の誤りについては、まさに同意します。
2013年5月22日追記:
同じメムリから、思いがけない反論が出てきました。欧米の著名大学にイスラーム研究センターを巨額の資金で創設したプリンス・タラルです。

http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP528513
Special Dispatch Series No 5285 May/11/2013

アラブの春はアラブの破壊、イランは信用できない―サウジのタラル王子発言―」


実業家としても知られるサウジアラビアのタラル王子(Al-Waleed bin Talal)がアラブの春について語り、2013年4月2日にRotanaKhalijiyya TVで放映された。以下その内容である。


・この革命はアラブの春ではなくアラブの破壊である


タラル殿下:例の事態をアラブの春と称しているが、私はそうは思わない。私はこれをアラブの破壊と呼んでいる。
インタビュー記者:その点を説明していただけますか。
タラル殿下:エジプト、リビアチュニジアなど革命に見舞われた諸国は、現在難しい時を経験しているところであり、安全安心な状態にない。状況は極めて流動的である。この諸国にこれから何が起きるのか、全く予想がつかない。
インタビュー記者:殿下、アラブの破壊とはどういう意味でしょうか。この諸国民が理解できるように、説明していただけませんか。
タラル殿下:世界中で起きた著名な革命を四例あげて、説明しよう。第1は、1789年のフランス革命である。勃発したのはその年だが、終ったのは1815年と主張する歴史学者もいる。つまり、ナポレオン支配が終った時である。第2が1917年のフランス(ママ)、所謂ボルシェビキ、共産、マルキスト革命だ。レーニンの支配が終った後まで続き、数百万の人が殺された。第3が1949年の中国革命である。この年中華人民共和国が成立し、毛沢東に追われた蒋介石は台湾へ行き、そこで現代的な台湾を築いた。これも文化革命後まで尾を引いたのである。第4がイラン革命で、まだ終ってはない。革命を始めるのは、それ程、難しくはないが、終らせるのは容易なことではない…。
 モロッコについて触れておきたい。ムハンマド6世国王は、私の親友だ。最近会ったのは1年ほど前、私が当地にフォーシーズン・ホテルをオープンした時だが、その折り二人だけで会って、いろいろな問題を話合った。
 私は、国王がモロッコにもたらした質的変革に祝意を表明した。現在モロッコは、絶対君主制でも立憲君主制でもない。その中間である。国王は多くの権限を首相に委譲した。現在首相は選挙で選ばれている。
 ではモロッコで今日何が起きているだろうか。第1、君主制と国王に対するデモがない。人民は、ベンキラネ首相とその政府に対して抗議デモをやっている。私はベンキラネ政府に反対ではない。選挙で選ばれたのであり、私は、どの国であっても、選挙で決まったことを尊重する。しかし私はモロッコが模範になるべきであると考える。アラブ諸国の王、首長そして大統領が見習うことを期待する。それ程立派な成果なのである…。
 国は人民の要求を考慮しなければならない。人民の要求は国によって違うだろうが、共通するものもある筈である。圧政からの解放、思想の自由を人民は望んでいる。人民は政治に参画したい。自分達の声を政治に反映させたいのだ。生活の質の向上を願い、安全安心そして安定を望んでいる。アラブ人民の共通の関心事はこれである。
インタビュー記者:すべての人民にあてはまるということですね。
タラル殿下:その通り。支配者が自分は不可侵と考えるなら間違っている。不可侵者など誰もいない。
 エジプトで革命が起きるなど一体誰が考えただろうかムバラク大統領自身が、追放される24時間前まで、自分は権力を維持すると確信していたのだ。リビアカダフィは、打倒される24時間前の演説時、権力の座を維持できると信じていた。同じことがチュニジアにも言える。革命が起きるとは誰も考えていなかったのだ。この火炎が自国には及ばないと考える者がいるなら、間違っている。


・オープンメディアと思想の自由弾圧は負け戦に終る


インタビュー記者:ツイッター運用で随分活躍されていますが、サウジ政府がツイッターバードの自由を制限せよと求めてきたら、従いますか。そもそもできるものでしょうか。なかには心配する人もいて、殿下がツイッターに投資する動機に疑問を呈する向きもありますが。
タラル殿下:サウジ放送公社が、ツイッターだけでなく、ほかのソーシャルネットワークに対して意図するところあり、という記事を最近読んだ。
インタビュー記者:Skype 、Whatsapp 等ですね。
タラル殿下:これは負けいくさだオープンメディアと思想の自由を向うにまわして戦争をするのは、負け戦だ。サウアラビアを初めアラブ諸国の放送公社に対して、負けいくさになるのは判っているから、そのようなことはやるなとアドバイスする。
 ハイスピードのインターネット時代であるから、思想と言論の自由が勝利するのは、これはもう不可避だ。(メディアは)その手段になる。私は(規制に)絶対反対である…。
 我々がやっていることはすべてイスラム法をベースにしている。サウジ王国の持ち株会社で男女が一緒に働いている。会社の従業員の大半は、特に女性の場合、夫、父親そして兄弟が会社に対して承諾する旨はっきりと伝えている。
 皆預言者ムハンマドの例にならうべきであるムハンマドは、「女は男の姉妹である」と言われた。私はこの問題について調べた。全6巻の本も読んだ
インタビュー記者:全巻を通読されたのですか。
タラル殿下:全2,000ページを読み通した。結論を言えば、ムハンマドは女性を男性と同等に扱われたということである。
 私は、ヒジャブ着用を禁じることはしない。女性が着用したのなら、それは彼女の権利であるし、着用したくないと言えば、それも又権利である。彼女はアッラーに対して答えたのであり、我々が容喙すべきではない…。
 女性の車運転問題は受入れられない。私は、この問題を社会的経済的側面から考えている。著名なコンサルタント会社のマッキンゼーのキト理事に会ったついでに、この問題をどう思うかとたずねた。ところがその答に驚いた。サウジアラビアが女性の車運転を認めれば、経済的社会的にどのような影響がでるかと問うと、最高100万の(外人)運転手がサウジアラビアを出るだろうと見積った。サウジの家庭では運転手を雇わぬをよしとするだろう。運転手が外人だからというわけではない。雇っているとそれだけ経済的負担になるからだ…。
 サウジのシューラ評議会に女性を入れるとする決定は、極めて重要だ。しかし私の意見を言わせて貰えば、本当に歴史的決定になるためには、二つの条項を加える必要がある。第1は選挙がなければならぬということ。たとい、部分的であっても、選挙を導入すべきである。第2は権限の委譲が必要であること。こちらがもっと大切である。
 昨今の新聞は、シューラ評議会メンバー達が閣僚並みの権限を求めていると伝えている。私の見解では、シューラ評議会メンバーが何の権力も持たないなら、有名無実の存在ということだ。
 どの社会にも、行政、立法そして司法の部門がある。我々の場合、シューラ評議会が立法部門に相当する。この三権は完全に分立し、それぞれに権力がなければならない。
 アブダッラー国王は改革には機敏に対応しているので、権限委譲は必ずあると信じている。
 自由、正義そして平等を求める革命は正当である。私は、人民のこの要求を支持する。しかし問題は、旧体制が打倒された後である。ポスト革命の政治リーダー達による決定が問題である。
インタビュー記者 :打倒後が問題と仰有っているのですね。
タラル殿下:その通り。打倒後がネガティブになっている。革命は、正当な権限要求のために生起し、アラブ全住民が支持したのであったが。
インタビュー記者:春として始まり、秋で終ったわけですか。
タラル殿下:彼等は春と主張したが、破壊、荒廃で終っている。新しい指導部の政策は実証されなかった。人民の願望を反映していない。


・サウジにムスリム同胞団の匂いがする


インタビュー記者:サウジアラビアでは何故革命が起きなかったのでしょうか。
タラル殿下:妙な質問と思う人がいるだろうが、答は簡単である。同じことをアメリカ人ジャーナリストから質問されたことがある。その時私は10の理由をあげた。ここでは4〜5の理由を指摘するにとどめたい。
第1、サウジアラビアは安定した国家である。250年以上も前ムハンマド・ビン・サウドによって誕生し、以来この国は安定している。第2は、確かに立憲君主制ではないが、万世一糸正統な君主制である。更に、サウジアラビアの経済状況は悪くない。しかし、最も重要な理由は、アラブ3ヶ国で革命が起きた時にある。
インタビュー記者:エジプトで革命が起きたのは、経済状況のせいではないと…。
タラル殿下:革命が勃発する時、ターゲットになるのは、人民を弾圧し人民から恐れられている王や大統領或いは首長である。ここが一番肝心なところだ。
 アブダッラー国王は、これと対照的で、愛されている。国王が敬愛されている国では、革命が起りようがない…。
 サウジアラビア立憲君主制ではない。この点で疑問を呈する者はいない。しかし、サウジ住民の間から生まれた正当な統治体制である。1902年にリヤドを征服したのは誰か。アブダル・アジズ王と、サウジの住民の間から出たパートナー達である。アブダル・アジズ王は住民の間から出たのである。正統とはそういう意味だ…。
インタビュー記者:ムスリム同胞団サウジアラビアに入っているのではありませんか。
タラル殿下:勿論入っている。サウジアラビアにはその匂いがする。疑いない。
インタビュー記者:殿下、あなたは同胞団を支持しているとして非難されましたが。
タラル殿下:飛んでもない。兄弟よ。我々はこの国にムルシなどいらない。我々には良き国王がある。国民から愛されている人だ。自分が我々のガイドと考える者など不要である。サウジのシェイクのなかには、兄弟団の匂いがする者もいる。誰にも判っていることだ。名前をあげるまでもない。しかし、はっきりしている。
インタビュー記者:サウジアラビアはこの匂いにどう対応すべきでしょうか。
タラル殿下:私の考えでは、追い払うのは極めて容易である。貧困、住宅問題或いは生活費等で同胞団につけいるスキを与えず、先手先手で対応し、住民の要求にこたえるようにすべきである…。


・イランは破壊的意図を持つ拡張主義国家


 エジプト・イラン関係は、主権にかかわる問題であり、一個人の私はこれに介入しない。しかし、イランと近隣アラブ諸国との関係が悪いのは、疑問の余地がない。イランは、バーレン、レバノンシリアイラクのみならずモーリタニアとモロッコ内政に露骨に介入している。モロッコの国王とモーリタニアの大統領からじかに聞いてもいる。彼等はこの介入を非難している。
 イランは拡張主義の意図だけではなく、破壊的意図も持っているのである。
インタビュー記者:主権云々の問題はともかくとして、イランの対エジプト接近は、破壊的目的があるのでしょうか。
タラル殿下:私はイランを全く信用していない。しかし、エジプトは、誰が支配しているかに関わりなく、私は信用している…。

(引用終)

これを読んで思い出すのが、ダニエル・パイプス先生が1990年にアメリカ代表としてサウジアラビアに行かれたことを紹介されていた際、さも誇らしそうな表情をしていた映像、インタビューでは「サウジは米国の敵ではなく、ライバルだ」と述べていたことです。そう言えば、メガネをかけていた頃のパイプス先生、どこか風貌がプリンス・タラルにちょっと似ていたところがありました。