ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

同世代の同性として

2011年9月29日・10月1日・10月3日・10月5日付ツィッターでも書いたように(http://twitter.com/#!/itunalily65)、院生の時の副指導教官だった白井成雄先生が訳された『モンテスキューの孤独』を、家事の合間に読んでいます(参照:2011年10月1日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111001))。
淡々とした文章に重い内容。同世代の同性として胸が詰まるというのか、ため息の連続。でも、イラン女性の気持ちは、マレーシアのムスリマとも共通する点があるようにも感じられ、何度も本を閉じそうになりながらも、頑張って読み続けています。
白井先生が、こういうテーマに注目されたんだな、と心強い限り。女性心理が心憎いほどうまく訳出されているところも、学生時代には気づかなかった新たな側面。喜寿にして、このような艶っぽい日本語を書かれるなんて、想像もしておりませんでした。さすがは仏文学がご専門でいらっしゃる....。
と、冗談はさておいて、著者をyou tubeで見てみると、何ともこれまた痛々しい(http://www.dailymotion.com/video/x24a28_chahdortt-djavann-chez-ardisson_news)(http://www.dailymotion.com/video/x7nnew_zemmour-face-a-chahdortt-djavann_news#rel-page-6)。こういう番組がフランスにはあるのかと、マルジャン・サトラピの時にも思いましたが(http://www.youtube.com/watch?v=GEQuDfHmr3A)(参照:2008年1月31日・2008年2月5日・7月10日・2009年3月27日付「ユーリの部屋」)、充分に言葉がわからないので何とも言えません(http://www.youtube.com/watch?v=v9onZpQix_w&feature=related)(←これは英語で、今見つけました)。
マレーシアでは、シーア派を忌み嫌うようなところがあるようですが、マレー語にペルシャ語借用語が含まれているように(参照:2008年11月7日・2009年3月2日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081107)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090302))、両者の交流は長いものです。また、数年前に、イラン専門の若い日本女性から聞いたところでは、「イラン人は東南アジア、特にマレーシアのような発展したムスリム国が大好き」なのだそうです。
私の知り合いのマレー人の先生もイラン人男性と結婚されていますし、もう一人の広東系華人の先生も、ソルボンヌ大学で博士号という才媛でしたが、確か噂では、ご主人がイラン人だとか。お二人とも、私の知る限り、スカーフ(tudung)はされていませんでした(後注:スカーフ問題に関しては、次を参照:2010年3月12日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100312))。
これまた数年前のことですが、隣の市にある医科大学に留学中だというイラン女性と、ある会合で同席になりました。流暢な英語を話し、一見、西欧風かと見間違うような、きれいな若い女性でした。イランの法学者の小さな講演会に、チャドルなしで出席し、終了後、彼女の席まで近づいたその著名な法学者に、「この度はお目にかかれてうれしく思います」と、礼儀正しく笑顔で挨拶されていました。いわゆる法学者の正装といういでたちで、お伴の男性を二人連れての仰々しい雰囲気でしたが、場所が日本だからなのか、彼女の出身や経歴が立派だからなのか、その法学者は、にこやかにお父さんのような感じで受け答えされていました。
なので、上記書の著者の表現している内容が、そのままイランの現実を映し出しているかどうかは、落ち着いて考える必要がありそうです。ともかく、才気煥発な女性にとっては、現代イランは、息の詰まるような社会なんでしょうねぇ。
イラン情勢に関しては、あまり安易に踏み込める領域ではないものの、どこか身につまされるような気がしています(参照:2008年9月9日・2009年6月23日・2010年11月1日・2011年3月28日付「ユーリの部屋」)。
上記本のよりよい理解のために、これから、近所の図書館でモンテスキューの著作を借りてきます。
本当に、まだまだ勉強しなければならないことがたくさんあり、毎日必死。でも、白井先生が、80歳近くになられても、少しでも正確な訳を求めて、著者やフランスのご友人に直接質問を試みるなど、今でも努力を積み重ねられている姿に触れることができ、うれしく思っています。私の名古屋の先生って、こういう感じの方が多かったんです。学部時代の指導教授も84歳まで論文を書かれていたし(参照:2011年1月30日付「ユーリの部屋」)、別の80代の先生も、今年になって、手元の思い出深い専門書を段ボール箱一杯に詰めて私に譲ってくださったり....(参照:2011年2月17日付「ユーリの部屋」)。
だから、関西に来て、正直なところ、ブランド名ばかり鼻にかけて、こちらがあたかも正規学校を出ていないかのような軽い扱いをしたり、自ら「威信」とか何とか口にしながら嘘っこ論文を出したりする先生がいることに、非常にがっかりしたのです。