ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

人との出会いにはご縁あり

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在フランスのイラン女性の本 未知の世界?  2011-09-20


 国際ジャーナリストの肩書きを持つ廣淵升彦氏は、弊誌「みるとす」の読者である。よくお褒めを頂く。恐縮である。ある本を紹介してくれた。
 『モンテスキューの孤独』(水声社刊)という、亡命イラン人の在フランス女流作家の自伝的な小説である。
 作者の名は、シャードルト・ジャヴァンは、ペンネームで、イラン当局に今も命を狙われているのかも知れない。
 ホメイニー革命以来の、イランの真相を暴く。特に、イランについて、内側からは絶対にこのような情報は出てこないだろうと思う、痛ましい情況がここにあった。
 女性の人権侵害は、まさに何百年前の時代差を思わせる。まさに未知の世界だった。と、皆さんも衝撃をうけるだろう。

 久しぶりに、魂をうたれる文学に触れた思い。
 しかし、書評するには重たい。これは自分の領域外であると思った。
 それで、廣淵氏に次号に書いて貰うことにした。

  筋は、主人公がテヘランからイスタンブールへ、そして少女時代から憧れたパリに独り逃げてきた。故郷には大家族がいるのに。なぜ、彼女はそうせざるをえなかった理由があるが、本の終わりに明らかになる。
 パリの生活は、フランス社会の無関心と無干渉のなかで、孤独に暮らす。必死にフランス語を学び、フランス人になろうとする。勉強のために、18世紀の思想家モンテスキューに宛てて、架空のパリの住所に手紙を書く。
 モンテスキューは、『ペルシア人への手紙』というフィクションを書いていた。それになぞって、イランへの批判を上手に暴き出していく。しかし、彼女ロクサーヌは、忌まわしい過去の世界を忘れられるのだろうか。

 本の原題は、Coment peut-on etre fransais? 「フランス人にどうしたらなれるか」

というわけで、2011年9月29日付ツィッタ―(http://twitter.com/#!/itunalily65)で記したように、上記ブログを拝読して、早速、『モンテスキューの孤独』を近所の図書館で予約。今日、やっと借りられました。ツィッタ―と重複しますが、訳者の白井成雄先生は、私の修士論文の副指導教官です。本当に、今思い出すだけでも、(ああいう先生をこそ、大学の先生と呼ぶのになぁ)と懐かしく感じます。謙虚で口数が少なく、物腰柔らかで、しかし目はいつも大きく漲っていらして、学内で政治的に小賢しく動き回るなど細工の微塵もない、いかにも「堅実な名古屋の先生」って感じの方でした。もっとも、ソウル生まれで東大のご出身ですが。
マレーシア赴任以来、ずっとご無沙汰しておりましたが、今もお元気で訳書を出版されているとは、うれしい限りです。大学の先生たるもの、名誉教授の肩書に甘んじず、いつまでもこうでなければ、と誇りに思います。しかも、イラン女性について注目されているとは、やっとこれで先生と接点ができたかしら、というところ。
院生時代の私にとって、フランス文学専攻の先生とは、接点どころか、フランス語のフの字も知らなかったので(ドイツ語に夢中のあまり...)、なぜ副指導教官になってくださったのか、不思議でなりません。多分、主査の指導教官が「あの先生はいい方です」と私におっしゃって自ら推薦されたのではなかったか、と遠い記憶を呼び起こしているところです。今ではやや惜しいことをしましたが、早速、お葉書を出させていただこうと思います。

それにしても、この頃、ますます人とのつながりのご縁を思います。上記の『みるとす』編集長も、私の友人の母校である愛知県の名門、時習館高校のご出身。いつも拙稿に目を留めてくださいますし、佐藤優氏とのご縁も(参照:2010年10月13日・10月14日・2011年4月7日付「ユーリの部屋」)、その延長線上にあると言えば、あるのです。

2011年9月27日付「ユーリの部屋」の「コメント」欄をご覧いただくとおわかりのように、なんと不思議なことに、私が引用させていただいたクラシック通の方の叔母様が、私と同じ町にお住まいなのだそうです。そんなことをつゆ想像だにせず、ただ、庄司さんとグリモーさんのCD論評だけでつながったつもりだったのに、不思議なご縁があるものですね。