やっぱり遺憾
今日の午後も、別大学の図書室へ。
夏休み前の8月12日のことです。閉室間際までコピーを取っていて、コピー機に複写物を置き忘れたまま、慌てて、机の上にあった分だけ支払いを済ませて、帰宅してしまったのです。家に着いてから(あれ?)と気づき、休み明けの昨日になって、やっとお電話で連絡をとることができました。
早速、今日はご注意をたまわってしまうはめに....。忘れものとはいえ、コピー機の下に置きっぱなしにしないように、とのことで。
ところで、これまで綴ってきた懸案事項に関して、日本語、英語、ドイツ語の各資料が入手でき次第、自分で確認しては落胆したり、暗澹たる気になったりしていましたが、それもこれも、全部一人でやってきた作業です。決して、どこかの回し者なんかじゃありません。気になったので落ち着かず、どちらが本当のことを述べているかを知りたかった、という一心のみ。
今日も、続きの資料が手に入りました。人の批判や悪口を言い立てたいのではなく、いかなる理由であれ、残念で遺憾、の一言に尽きます。結局のところ、研究者としてのフェアプレー精神にもとることが積み重なってしまった、という...。でも、いつかはお認めになりますよね?そうであっていただきたい、と切に願います。
来月の学会発表の下準備として、ある教会員に対する陪餐停止ないしは追放処置の件があります。昔の宣教師達は、本当に基本的なことを大切にしていたのだという証左の一つ。だからこそ、何らかの感化を受けた地元人も増えたのでしょう。