ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

臆せず本質の筋を通すこと

一度読んで付箋をつけておいた数冊の中から、とても興味が持てた一冊の一部をご紹介しましょう。もうすぐ返却するつもりなので、忘れないうちに...。
キリスト教は他宗教をどう考えるかーポスト多元主義の宗教と神学教文館1997年
Gavin D'Costa (ed.). Christian Uniqueness Reconsidered: The Myth of a Pluralistic Theology of Religions, Orbis Books, Maryknoll, New York, 1990

ICUの森本あんり先生が訳者なのですが、現代リベラルの先端を走っていらっしゃるのかな、と思いきや、充分それを踏まえた上で、なおかつ基本的な路線を崩さない堅実さに、励まされるような思いがしました。訳者後記から、引用させていただきます。(あずき色はユーリによる)

  宗教間対話という主題をめぐって開かれた1986年の会議から、すでに邦訳されている『キリスト教の絶対性を超えて』(春秋社 1993年)と本書の双方が生まれるに至ったわけであるが、日本の読者にはとかく一方的な情報が伝わりやすい。今後キリスト教と他宗教の対話について論じられる際には、双方の視点が忌憚なく比較された上で、実り豊かな議論が進められることを願っている。


 昨今の日本では、ポストモダニズム脱構築の一環としてなされた欧米のキリスト教批判が盛んに翻訳されて話題を集めている。西洋世界で従来のキリスト教に対する見直しが進むのはたいへん結構なことであるが、それを嬉々として読む日本人が同じ批判の精神を自己の宗教伝統に振り向けようとしないならば、やや残念である。そこには、相も変わらぬ日本人の自己礼賛志向が裏返しに表現されているかもしれないからである。宗教多元主義の紹介にも同じ問題がないわけではない。はじめから多元的な宗教理解をもつ日本人に向かって、いまさらのように多元主義を慶賀することが、いったいどのような思想的効果をもたらすであろうか。あるいは、宗教の実践に関する限り、日本人は見かけほど多元的ではない、と言うこともできよう。社会的認知を受けた日本的な諸宗教は圧倒的な多数派であるが、アブラハム宗教の系列に含まれる諸宗教は極端な少数派である。もし宗教の多元性が真に歓迎されるべきものであるならば、日本では前者にこそ多元化や相対化を説き、後者については健全な成育の余地をあたえるのが道理であろう。そしてまさにそれこそ、多元主義が欧米のキリスト教に対して担ってきた本来の役割だったのである。同じ議論をそのまま翻訳して、日本の読者にキリスト教の相対化を説くのは、多元主義の趣旨からすればいかにも奇妙なことであると言わねばならない。人間の営為としての学問は、いずれにしても主観性を免れ得ない。だとすれば、せめて自己の主観性を自覚し、異なった意見との折衝によって少しでも妥当性の枠を広げてゆく努力こそ、現代日本の知的良心に求められているものではないだろうか。(pp.318-319)

確かに、まったく共感するところです。これまでも、(なんか変だなあ。ならば、どちらの立場に依拠しているのだろう)と疑問に思うことがなきにしもあらずでしたから。
森本あんり先生には、これまで二度、お目にかかったことがありますが(参照:2010年10月24日付「ユーリの部屋」)、ここ数ヶ月の調べ物を通しても、安易に妥協せず、筋をきっちりと論理的に守る方だ、ということを知る機会に恵まれました。
人気のある秘訣は、臆せず本質をズバリとおっしゃるからかもしれません。

5/27  マクグラスとの対談を文章化したものがようやく出ました。こちらは完全版で、省略もなく後半部分(アジア神学)も全部載せてあります(「論文」ページ参照)。グラムシの「有機神学者」という概念やWCC のエキュメニズムがかつてはシンデレラのように美しい存在だったのに、今や魅力を失って裏通りに落ちぶれている、というのが面白かった。」(http://subsite.icu.ac.jp/people/morimoto/2009.html