ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

不安なら無理しなくても...

昨日もまた、シンガポールのD(参照:2008年8月5日・8月9日・8月11日・2009年12月3日・2011年3月23日付「ユーリの部屋」)とクアラルンプール・カトリック大司教秘書のFさん(参照:2010年7月16日付「ユーリの部屋」)から、温かいお見舞いメール。
「オーストラリアのCさんと一緒に、続けてお祈りのうちに覚えているよ」とD。
「どうしている?元気なの?こういう時だから、一緒に祈りを合わせましょう」とFさん。
被災地の人々の暮らしと比べれば、申し訳ないほど何とも‘優雅な’日々なのに、こうして連絡をとってくれるなんて、これもそれも、十数年以上に及んだマレーシアでのリサーチのおかげ。
書き忘れていました。私達がこの度の大震災で、生きるか死ぬかの大騒ぎの日々を過ごしている間、マレーシアでは、なんだか吞気なことに、マレー語聖書の許可問題で、またもや騒動。過去30年来、パターンが決まってしまっているので、データ落としもしばらく中断。でも、今日からまた、本棚の整理と共に始めます。元気出さなきゃ。
Dいわく、「シンガポール政府が、日本からの食品輸入をやめる決議をしたって、それは確かなの?風評ってものじゃないの?だって私、あれからも毎日、明治牛乳飲んでるし、二日前には日本食レストランでお寿司も食べたよ」。
これは興味深い(と言ってもよいのかどうか?)反応。日本側が、経済活動の低下と国際信用の失墜を恐れて、「日本の食べ物と日本製品は大丈夫ですよ」と宣伝的に言っているならまだしも、受け手(しかも、第二次世界大戦中は、日本軍にまんまと騙され、大虐殺までされた記憶を受け継ぐ)側が、日本の産物を続けて摂取していると、みずから伝えてくれるという反転現象。
もっとも、安心させようとして友情から言っている面もあるのでしょうし、現実的で俊敏なシンガポール政府に対する、従順な市民としての信頼表明の意でもあるのでしょう。
ニュースをよく確かめるように、と書いてくれたのですが、残念ながら、活字でも電子版でも、限定条件付ではあれ、シンガポールが何らかの措置をとっていることは事実のようです。
私からも言います。「まずは、自助。不安なら、無理しなくてもいいよ」と。