ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

言葉にならない深いうめき

心からの深い情動や感情って、安易に言葉で表せないものじゃないか、と思います。というよりも、無理に言葉にすべきではないのではないか、とも。
昨日、お話を聞いていて、そう思いました。職だから、務めとして義務を果たさなければならないけれど、突如(と思われる時に)危機的状況が発生した際、何が語られるのかを、普段は遠巻きに見ている人々が、関心を持って近づいてくるという状況。そこで、己も、己の依って立つ信条も、まさに真価が問われる、というプレッシャー。
だから、日頃というのか普段のあるがままが大切。と、わかってはいても、現実にはなかなか難しいものですよね...。
この時期だからということで、率直にご経験をお話しくださったのですが、昨日の午後は、よい時間が過ごせたと思います。キャンパスも雰囲気が気に入りました。裕福な学生達が集まる、もっと華美な所なのかと思っていたところが、実際には、若々しくも、意外に簡素でシンプルな印象。そこかしこに、さりげなくセンスのよさが光っています。植えてある植物には、一つ一つに深い意味が込められていて、私の好みにも合っています。よかった。かなり長い間、悩み続けた挙げ句のようやくの決心、それほど間違ってはいなかったようです(参照:2011年4月1日・4月11日付「ユーリの部屋」)。
一部で批判も仄聞してはいましたし、私なりの‘客観的な’見方もありますが、当初の目的やここへ来た意図と事情、今後の進め方をどうするか、などについて、個人的にお話しさせていただき、安心感のようなものが生まれました。これまでは諸事情により単独で進めてきた作業も、これからは、温かく見守っていただきながら、やっていけそうかな、という....。
もちろん、基本的には従来通りの方法で、自分一人ですることですが、多分、今までの私に欠けていただろうと思われる、表向きの活動の根底を支える、動機というのか、基盤というのか、そのようなものに対する、心情的な、あるいはアカデミックな面での、伴走的に理解を示してくださる先生ができたのではないか、と。いえ、もちろん共感したり協力したり支えてくださる方達は、これまでにも多くいらっしゃったんですが、いかんせん、話を少し煮詰めていくと、「ごめんなさい、教学については勘弁してください」みたいなことに、結局はなってしまっていたので。
ゆっくりやっていきます。早速、声をかけてくださった方がいらして、新たにお仲間もできそうな感触が得られたので、楽しみです。
そして、なんと2ヶ月間、20冊も借りられるという図書館。これまでは、民博でも2週間に5冊までだったか、とにかく期限内に返すため、必死に読んでいました。それが突然、余裕たっぷりに。うれしくなって、何週間も前に作ってあった目録リストを見ながら、早々と4冊を借りてしまいました(参照:http://twitter.com/#!/itunalily65)。この種の本が、閉架にではなく開架棚にさりげなく並べてあるところが、おもしろいと思います。

帰宅すると、マレーシアの教会協議会の総幹事からもメールが入っていました。「日本に対する私達の祈りと連帯は、大丈夫、保証するから」と。