ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

夏の読書リスト

先程、以下の本が比較的良い状態で届いた。

木戸日記研究会『木戸幸一日記 上巻東京大学出版会(1966年)

校訂の代表者は故岡義武教授であった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080124)。
この日記については、学部生の頃、故犬養道子氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170727)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170815)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170823)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170927)がエッセイで、例によって日本人(女性)の心得を叱咤する目的で、「原熊さんの日記はダラダラと感情的で主観が入り過ぎ、一方で木戸日記は淡々と事実のみを箇条書きしているので、資料としては後者の方が役立つ」という意味のことを書いていらしたのを読んだ時から、(いつかはこの目で確かめてみなければ)と目標にしていた。
将来、公表されることを意識して書いた日記なのか、それとも私的備忘録としての日記なのか、筆者本人に尋ねなければ不明である。果たして犬養氏の記された通りなのか、日記の体裁としてどちらが良いのか、私にはわからない。
少なくとも、東京裁判で資料として提出された『木戸日記』は、本来の意図を叶えたのかどうか。
犬養道子氏については、今思えば(あのように大雑把な文章を書いていても、それで金銭が得られたんだ....)という驚きが多い。
今年は、アメリカとオーストラリアの二組の来客計四人を靖国神社遊就館へご案内ないしはご紹介したので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180704)、東京裁判について、遅まきながらではあるが、映像フィルムを見つつ(http://itunalily.jp/wordpress/)、本を読んで勉強し直している。
私の場合、東京裁判のような重たいテーマで、若い頃に学校の教科書で習った解釈とは異なる分野については、映像を一気に見通すことは不可能である。ナレーションも、時々(え?もう一度)と思う度に、数秒ないしは数分前に巻き戻して、再現しながら見ている。新情報については、メモを取っている。
それだけでは判断し難いので、やはり、上記のような本を同時並行的に読み進めていかなければ、本当には理解できない。
時間がかかる上、気が滅入るテーマだが、戦後思想の影響下に育った日本人としては(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161209)、避けて通るわけにもいかない課題である。
一昨日から読み始めたのが、ハーバート・ビックスの『昭和天皇 上』である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160107)。
本著は2001年のピューリッツァー賞を受賞している。著者はハーヴァード大学出身で、一橋大学でも教鞭を取られたそうだ。但し、記述に関して、部分的に新奇に感じたり、疑念を覚える箇所がある(例えば、pp.123, 201, 288 等)。引用された資料を巻末でチェックすると、なるほど、どのような人達が日本側の資料提供アシスタントだったのかが想像できそうな気がする。
嫌な本だが、アメリカ合衆国その他の英語圏ではこういう解釈が評価されているのだから、目を通しておかなければならない。
最後に、『共同研究 パル判決書』の下巻が届いたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180705)、併せて読み進めている。
専門分野ではないのに、今でもふうふう言いながら暑い夏に読まなければならないほど、学校での勉強が不足していたということである。
いつでも思うのだが、私と同世代の女性達でフルタイムの仕事を持っている人は、一体全体、どのようにして補っているのだろうか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180623)。

《補記》
上記の犬養道子氏のエッセイは『幸福のリアリズム』昭和59年(中公文庫)で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080318)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090317)、初出は中央公論社の『暮しの設計』に昭和52年4月から54年4月まで連載された。
学部の頃には刺激があっておもしろかったが、今読み直すと、肝心要の箇所で誤字がある上(「木戸幸一」が「木戸孝一」になっている)、史実としては間違っていることに留意。
該当箇所(「日記のナルシシズム」pp.50-52)を以下に。

木戸孝一、曽ての侯爵、内大臣を長くつとめ、戦時下のきびしい時代には、いわゆる「宮中グループ」のひとりとして軍に抵抗した。彼は日記を毎日書いた。あのただならぬ時勢に要職にあったのだから、時間もなかっただろうに、全くまめに書いたものだ。『木戸日記』と世に言われ、当時のことを知りたく思う人にとって欠かすことの出来ない貴重品で、私もこの日記にはずいぶんお世話になった。
ところが、『木戸日記』の特徴は、おそろしく事務的な点である。そっけないことである。自分の感情や気持はほとんど入っていない。形容詞も大へん少い。(中略)
木戸さんの日記が貴重で、多くの人の役に今日も立っているのは、まさに、そっけないからだ。(中略)
有名な日記にはもうひとつ、木戸さんとも仲のよかった、原田熊雄氏の『原田日記』がある。原田さんは、最後の元老西園寺公望公爵の秘書だったから、木戸さんに敗けず劣らず、当時日本の政治の最高秘密を知りつくしていた。原田さんの日記は(私も持っているが)七巻だか八巻だかあって、木戸さんのとくらべ、文が長い。改行も少い。
原田さんの日記には、彼のそのときその折の感情がうんと入るからだ。木戸さんだったら、ただ、「✕は極右とのこと」と書くのを、原田さんは、✕は極右だとだれそれが言っていたが自分の考えではだれそれ自身ハッキリしない立場で....とか、だれそれがやって来たが、おしゃべりで困るとか、政治軍事外交の重要なメモの間に、言わずもがなが入って来る。
私は原田さんを、少女のころ個人的に知っていたし、『原田日記』の膨大なメモがいかに歴史的価値を持つかは認めているけれど、『木戸日記』にくらべたとき、問題なく、(私にとって少くとも)役にたたなかったのである。(以下略)

(引用終)
追記:もう一冊、関連図書が届いた。話題になった本である。

寺崎英成/マリコ・テラサキ・ミラー昭和天皇独白録文春文庫(1995年/2006年 7刷)