ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

さまざまな刺激を受けて...

数年前のチャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で、確かまだ高校生として参加された鈴木舞さん(http://www.youtube.com/watch?v=QXbgEbVTpys&feature=related)(http://www.youtube.com/watch?v=58HSv9p4doU)(http://www.youtube.com/watch?v=ZxNwGCFlZy8&NR=1)。当時は、可憐な美少女っぽい感じだったのに、最近はぐっと大人らしさが増して、今後が楽しみな演奏家です。
彼女のツィッターを時々覗いているのですが、いかにもまじめな芸大生。でも、たまにおもしろいことを書いていらっしゃいます。例えば、昨日付のつぶやき(http://twitter.com/#!/unetuliperouge)。

電車で隣に座っている人が、なんと私の出身幼稚園の学園通信を読んでいて、なんだか勝手に親近感...^^。

実はこれ、私も経験済みで、声をかけていいものやらどうか迷って、普通は黙っているのですが、このところの「先輩」サインに元気づいて(参照:2011年3月1日付「ユーリの部屋」)、これからは調子に乗ってしまいそうな...。
ところで、戦後のマレーシア実地研究の先駆けをなされた名古屋の先生から(参照:2011年2月17日付「ユーリの部屋」)、長年、愛着があって手元に置いておいたという文献資料をお譲りいただくことになりました。「もう80を過ぎて、当時の仲間も次々亡くなり、これから自分で研究するということもないだろうから、よかったらどうぞ」との由。ありがたく頂戴することにしました。古本屋さんか図書館寄贈という方法もあるのに、わざわざ私なんかに、とも思いますが、「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」(参照:『新訂 徒然草』第五十二段 岩波文庫1928/1985/1999年 第102刷)p.96)に倣って、たるみがちな私への発奮材料と受けとめたく思います。
それに、昨日はもう一つ、思いがけず、うれしいことがあったんです!
マラヤ大学博士課程の指導教官だったマヤ先生から(参照:2007年12月29日・2009年5月13日・2009年11月3日・2010年9月21日付「ユーリの部屋」)、大学経由で、サイン入りのご著書(編集代表がマヤ先生)が送られてきました。それも、『エスニック関係と国家形成』(2010年)という、まさに私達の世代のマレーシア研究者が、必ず直面しなければならなかったテーマについての論集(http://twitter.com/#!/itunalily65)。
論述のレベルが問題なのではありません。待ちに待って、やっと、マレーシアの女性研究者達が、自分の国の民族問題をどのように観察しているかの一端がうかがえるのです。それに、日本人研究者も一人、寄稿されています。
もう一つ重要な点。繰り返しになりますが、マヤ先生は、三人の子育て中は非常勤などを続け、ある程度手がかからなくなってから、それまで集めたデータを元に博士論文にかかり、その後はものすごい勢いで次々と論文産出。世界のどこへでも、チャンスがあれば出て行って学会発表。この逞しい生き方から、私がどれほど勇気づけられたことか。しかも、一見裕福なシンディ系とはいえ、文化的ルーツを辿れば、印パ紛争を機に、祖先伝来の土地を既に失ってしまった以上、世界を相手に、どこへでもヴァイタリティと才覚で生き抜いていかざるを得ない種族...。
マレーシアと関わって20年。正直なところ、何も考えずに暮らすだけなら楽しい土地柄であっても、リサーチの上では嫌なことが少なくありません。でも、得難い経験だと感謝したいのは、このような出会いがあるからです。