ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

久しぶりに京都へ

昨日は、積み上がった資料の整理に必要な本棚を求めて、京都の町を歩きました。
まずは、京都駅前の巨大書店へ立ち寄り。いつもは通らない側なので、いつの間にかきれいになっているのにびっくり。光熱費などの維持費がもったいないような気もしますが、玉石混淆、量より質が大事だとはいえ、これだけ本が並び売られているというのは、ともかく選択の自由が広いことを示していて、良いことだと思います。
例えば、1990年4月にマレーシアに赴任して最も困ったのは、英語も含めて読める本が非常に限られていたことと、熱帯のためにすぐ消耗してしまう靴や着る服の選択が著しく狭かったことです。私の学生時代は、ちょうどバブル全盛期だったので、かえって大量生産、大量消費の害が喧伝されていたように感じており、途上国の方が昔ながらの知恵が残り、ある意味ではバランスがとれているのかと思っていたところが、全くその逆だということが一目瞭然。これほど得難い経験もありませんでした。やはり基盤は人材育成。そのためには、何を置いても教育投資。学校だけではなく、生涯ずっと読書と勉強を続けて、考えて実践するという努力如何が問われるということです。
ホテルでビュッフェの昼食後は、地下鉄に乗って京都市役所近くの家具職人の町へ。いかにも本来の京都らしく、とても静かで落ち着いていて、雰囲気が気に入りました。予めインターネットで調べておいたお店へ行くと、感じの良いおしゃれなお兄さん二人が出てきて、熱心に説明してくれました。
この頃、就職難で困っている大学生の問題などが、いかにも政治や社会の犠牲者のような書き方で新聞に掲載されています。ただ、私が見るところ、今、仕事に就いている若い人達は、どの職種であっても、既に雰囲気からして違うと思います。しっかりしていて、言葉遣いもきちんとしています。相手のことを考えて、失礼にならない落ち着いた態度、明るく前向きな姿勢、こういう基本的なことが身についていれば、後は、ブランド名や大企業志向に囚われず、自分の適性や能力や好みにあった仕事を探して、そこで懸命によく働く。これこそが、いつの世でも大事なことではないでしょうか。
....と、話は逸れてしまいましたが、店内には個性的なデザインのテーブルなどがあり、よろずオーソドックス好みの私には、眺めて楽しむ側に。大学研究室や教授宅などへも納品しているお店らしく、「図書館みたいなおうちに住んでいる方もいらっしゃるんですね」と言ったら、笑われてしまいました。オーダーメイドの木材製品が中心となり、お値段もはるため、寸法を測り直して再度ご連絡させていただくと言うことで...。でも、見に行った意義は充分あったと思います。
近くに、タマネギ塔と独特の十字架が見えたので、京都ハリストス正教会だろうと見当をつけて、寄り道することにしました。敷地は広いのですが、明治30年代の建物のためか傷みが激しく、外装だけでも修繕したら、とも思ってしまいました。司祭館らしき教会事務所も、カトリックや一部のプロテスタント教会などとは違い、木造二階建てというのが、いかにも土着化傾向のある正教会らしく、微笑ましかったです。司祭服を着た男性が玄関先に立っていらしたので、学会で知り会った正教会信者の女性を思い出して、会釈しました。
その周辺には、京都市立の小中一貫校が建っていて、びっくりしました。ここが日本初の学校の発祥地だと石碑にもありました。ところで、中高一貫校は昔から知っていましたが、心身共に成長の度合いが大きく異なる年代を一緒の敷地で教育するというのは、いかがなものだろうか、と。校風が自分に合えばいいのでしょうが、私のように、名古屋市郊外に引越して以来、いつもどこか違和感を覚えながら学校生活を送った者にとっては、数年経てば場所も変われる学校制度の方が、我慢のし甲斐もあるのではないかとも思いますが....。恐らく、京都市内だから、そこは研究し尽くされているのでしょう。