ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

とりあえず自分の力で食べていく

高学歴プアという本が、しばらく前に流行りました。ぎょっとしながら本屋さんで立ち読みした時の記憶によれば、博士号を持っていても、非常勤のかけもちやコンビニのレジのアルバイトなどで、年収200万円ぐらいで生活をしている人々のことを指すそうです。そうして、疲れ切って研究時間もとれなくなり、徐々に人生に対する希望を喪失して、いつの間にかこの世から消えてしまう人もいるとか。
先程、主人とその話をしていたところ、「それって、本当は大学に残るような研究者向きではなかったことじゃない?」「モラトリアムなんじゃないか?」とあっさり。
「でも、私だって、もし結婚していなければ、同類じゃないの?」と反論すると、「話聞いていると、全然違うよ。よく自分のことわかってるじゃないか。別に大学に残ろうと最初から思っていたんじゃなくて、大学院だって、指導教授に勧められて受験したんだろ?マレーシアに派遣されて滞在しているうちに、問題に気がついて、日本国内で指導者が見つからなかったから、自分で海外に先生を求めて、いろいろ助けてもらいながら、一人で調べて発表してきたんだろ?自力でそこまでやれたんだから、モラトリアムなんかじゃない。あとは、どこまでまとめるか、だけだな」「ヘンな教授につくと、かえっておかしな指導されて、ここまでできなかったかもしれないよ」「とりあえず、現実を見て、いくら優秀でも大学に残らずに、さっさと職に就いて自力で食べている人だって、世の中にはいっぱいいるよ。それを、大学の先生だから優秀だと思っているなんて、だから学者は世間知らずなんだって」。
そうですよね。人間、何がともあれ、成人した以上は、何よりも、人に頼らず自分の力で食べていくことが一番。最初から、奨学金や研究補助金をアテにするなんて、もってのほかです。何かをするには、いくらぐらい資金が必要かぐらいは、計算してから始めるべきでは?
そういえば、私も、1993年にマレーシアの勉強を始めた当初、(こういう筋の通らないことを平気でやっている社会については、相当気長に勉強しなければ、何が何だかわからないだろうなぁ)と思い、まずは家計簿を広げ、手元の貯金通帳を見ながら電卓をたたいて計算し、(もし、勉強して10年たっても、何も出てこなければ、見通しを誤ったということで、きっぱりやめよう)と決心したのでした。
そういう話になると、親の家に同居している研究者でも、私に向かってこう言う人がいます。「だってぇ、ユーリさんは、ご主人の稼いだお金で食べているんでしょ?私はぁ、ちゃんと職についてぇ、自分でボーナスも稼いでぇ、結婚しなくても一人で生きているじゃない。ふん!」
しかし、介護をしているわけでもなく親の家に住んでいるなら、仕事を持っていても、自立しているとは言えないのではないでしょうか。それに、「夫が働いて得たお金で暮らしている」のが自立でないとするなら、なぜ結婚制度が社会的に認められているのでしょうか。
こういう混乱が平気で会話に出てくるところに、上記の事例が生まれる素地があるのではないかと思います。あな、恐ろしや。