ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

思い出の中の彼女

ところで、昨日触れた故千葉敦子さんについて、少し書いてみましょう。
ちょうど私の学生時代が、彼女の闘病時代と重複していたこともあり、本屋さんで次々と文庫本を買い求めては読んでいました。タイトルで調べてみると、10冊ぐらい読んだようです。私より年上のキャリア・ウーマンとして、日本の一般女性とはかなり違った、都会派で欧米志向の意志強固なタイプ。参考本として読むには、新しい時代を生きる一つのモデルかなと、当時は思っていたのです。
今にして思えば、二十代前半はどう見ても世の中が見渡せていないし、物がわかっていないし、ついでに体力的なエネルギーに満ちあふれているために、あのように元気のいい前向きな女性指南書が、読んでいておもしろいと感じられたのだろうと思います。
ただし、今、彼女の書いた文章の断片をネット上で読み直してみると、少し首を傾げたくなるような、即座に同意しかねるような点が次々出てくることに気づきます。どこか一方的な断定調が目立ち、いわゆる能力が高くて自負心や独立心も旺盛な女性の、無理が出ているようにも感じられるのです。
若い頃に読んだ文章なので、記憶の底に定着していて、どこかで私の言動に大なり小なり影響を及ぼしてきただろうとは思います。しかし、今の段階ではっきり言えることは、私は彼女とは全く異なる環境で育ち、人生志向も違う、ということです。さまざまな面で、確かに参考にはなりますが、少なくとも、私のモデルにはなりようがなかったのです。
その後、男女雇用機会均等法が成立し、ガン治療も進み、インターネット時代に突入したこともあり、当時は新鮮に映った彼女の生き様や考え方は、特に目新しいものでもなくなりました。彼女の亡くなった年齢に近づき、私なりに思うのは、もっと力を抜いた暮らしでも充分やっていけただろうにな、ということです。
若い時には「可能性がいっぱいある」などと煽てられますが、実は、若さは傲慢で視野が狭いだけということもあり得ます。彼女があの年齢で去っていったからこそ、思い出としての強烈な美しい印象だけが前面に残るのであって、あのまま60代、70代ぐらいまで疾走し続ける千葉敦子さんは、今でもちょっと想像できません。