ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

私流の音楽や本の愉しみ

昨日のN響アワーで、池辺晋一郎氏が13年間務められた案内役を降りられることを知りました。いつまでも同じ人が担当では、ということなのでしょうが、長かったような短かったような...。
この番組では、葉書を高橋美鈴アナの時に読み上げていただいたのが一番の思い出です(参照:2007年8月20日付「ユーリの部屋」)。結婚してしばらくしてから、ほぼ欠かさず見るようにしていたので、自分まで聴取者の一人としてダイレクトに参加しているような気分でした。何より、N響演奏家の方々と、画面を通して少しなじみになれたのもありがたかったですね。そして、いつの間にか、聴く曲のレパートリーが増えてきました。昔は、長い交響曲があまり好きではなかったので...。
檀ふみさん、若村麻由美さん、大河内奈々子さん、高橋美鈴アナ、岩槻里子アナと、お相手の女性には変遷がありましたが、個人的には、檀ふみさんの時が、お二人のかけあいもぴったりで、一番懐かしくておもしろかったような...。アナウンサーの方達は、そつがないというのか、あまりに進め方がプロ的で、安心できるものの、楽しさという点では、今ひとつ、かな。若い二人の女優さん達の時は、それぞれ3年間と1年間でしたが、毎回唯一の楽しみが、衣装と髪型ぐらいで、指揮者や曲目もつっかえて言い直すことが多く、実に興ざめでした。NHKに葉書を送って意見したぐらいです。せっかく曲と演奏を楽しもうと心待ちにしているのに、どうして指揮者の名前ぐらい、事前に口練習もしないで本番に挑むのか、結局のところ、クラシック音楽になじんでいない人が案内役をやろうとするから、失礼にも名前を言い間違えるんだろう、視聴者をいったい何だと思っているんだ、と。
ただ、昨日の総特集で、印象に残るシーンをスクラップ風にまとめて映像化したものを見ている限りでは、お二人とも、それなりに楽しそうに雰囲気に合わせている場面が選ばれていたので、そんなものかなあ、と反省したりもしました。
新しく担当される作曲家の方も、お話が上手そうで、楽しみです。岩槻里子アナは、悪くはないんですが、どうも名古屋出身のためか、名古屋アクセントが時々出てしまっているのが、私には気になります。それに、ご自分がヴァイオリンをやっていたことが、前面にちらほら自慢げに出てくるのも、ちょっと...。その点では、高橋美鈴アナはプロ中のプロでしたし、檀ふみさんも、さすがは女優さんだけあって、うまくご自分を演出されていたように思います。
古い映像が流れてきました。故芥川也寸志氏と小塩節先生などお三方が、音楽をめぐる文化論のような談話をされている番組です。確かこういうものを、小学校ぐらいの時にテレビをかちゃかちゃやっている時に見つけ、何だか高尚な話で、何が何だかよくわからないものの、私にもわかる日が来るのかなあなどとぼんやり思っていたことが蘇ってきました。昨日のなつかしの映像で出てきた指揮者名ぐらいは、今の私にでも(あ、知ってる!その話)となったのですが...。
これもそれも、インターネットと主婦生活のおかげでもあります。主婦になって一番ありがたいのは、昔から気になっていた本が好きなように読め、聴きたかった音楽が自由に聴ける時間を持てることです。人様のお話を楽しめるには、その前提として、共通基盤となる作品に自分で触れていることが欠かせませんから。仕事を持っていたら、外面は整えられた気分になるかもしれませんけれど、いつも書いているように、物理的に時間に制約がかかるために、本当にしたいことがなかなか思い切ってできないのでは?
そういえば故加藤周一氏が、現代日本で物をある程度考えているといえるのは、比較的高学歴の主婦層と会社勤めをしているその配偶者、および親から資金援助をしてもらっている若い学生だ、という意味のことをおっしゃっていたそうです。その他の人々は、自分の所属する組織の意向に沿って働くのに精一杯で物を考えている暇がないのだそうです。だから、ジャーナリズムの流す情報に依存して判断してしまう傾向にある、とか。その論理でいくならば、私の周囲にいた人が言ったように「専業主婦は社会階層が低く、仕事に就いている女性が自立している」とは、一概に言えないわけです。
余談ながら、セルバンテスの話の続きをしますと(参照:2009年3月21日付「ユーリの部屋」)、結婚前のいつだったか、名古屋市内の大学外の一般会場で、清水憲男先生のセルバンテスにまつわる記念講演会を拝聴したことがあります。そのご講演のために、先生は夜中の3時まで考えていらしたとか。ともかく、私の母校のスペイン学科のスペイン女性の先生方も来られていましたし、NHKのラジオ・スペイン語講座のテキストを持って、先生からサインを頂戴していた人達も見かけました。今でも覚えているのが、「スペイン語でお話を読む会」の主婦グループ。4,50代ぐらいの子育て終了組のようでしたが、そばで見ていて、実にうらやましく思いました。先生も喜ばれて、サインを気軽にされていました。ささやかでも、自発的で自由な学習の集まりが日本各地に増えていくことこそが、文化水準の基礎となるからです。それに、社会的地位を求めて、などと余計なことを考えない学びって、競争的研究費の獲得など「業績」ばやりの昨今、本当にいいと思いませんか。
ミラン・クンデラも、『冗談』で書いています(参照:2009年3月15日「ユーリの部屋」)。

つまり狭い自分の専門分野における成功を追い求めなくなった分だけ、自分の専門を超えて、他のあらゆる学問の分野や人間の存在、さらには世界の存在をみつめたり、(最も甘美な喜びの一つである)瞑想に耽ったり思索したりする喜びを味わうという、ぜいたくを愉しめた。(p.207)

そうしてみると、どうやら私、、『存在の耐えられない軽さ』(参照:2009年2月25日・3月13日・3月19日付「ユーリの部屋」)に出てくるアナクロの田舎娘テレザに似たところがあるんじゃないかなって、読みながら笑っていました(トマーシュは、うちの堅物主人とは似ても似つかないタイプです)。訳もうまいのでしょうが、「テレザ」に関して、クンデラ氏の視点と描写の仕方が上手だなと思った部分の一部は、次の通りです(あずき色はユーリ)。

本はテレザにとっては密かな友愛関係のしるしであった。彼女をとりまいている粗野な世界に対する唯一の武器、それが本で、彼女は町の図書館から借り出していたが、長編小説が主で、フィールディングからトーマス・マンまでたくさんの小説を読んでいた。本は満足がえられない生活からの虚構の逃亡を可能にしたばかりではなく、彼女にとっては物としても意味を持っていた。(p.57)
本はテレザを区別したが、彼女を流行遅れにした。(p.58)
大学で勉強した人と、独習者とを区別しているのは、知識の量ではなしに、バイタリティーと自意識の程度の差である。(p.66)

クンデラ氏は「テレザ」に深い愛情を注いでいますね?もしかしたら、「サビナ」よりも??私にとっては、「テレザ」が、本当にかわいくて親しみを持ったのですが。

昨日もクンデラの『生は彼方に』を読んでいて、おもしろさの一つは、さまざまな描写のところどころに、それまであえて言及されることはなかったけれども、言われてみればどこか思い当たる節があるという箇所が多いからではないか、と。文学で読んで予習したつもりが、実際に自分が経験しようとすると、その通りにはいかず、矛盾した現象が生じてしまうというような...。これは「ヤロミル」の少年期についてですが、「ヤロミル」の母親の行動描写と心理など、実にうまいと思います!これ、私達の周辺でもぴったり当てはまるケースがあるのでは?「ヤロミル」は思春期のクンデラ氏の模写かなと思ったものの、ご本人のインタビューによれば、「作品中のどの登場人物も、自分ではない」とのことです(『存在の耐えられない軽さ』では、「私の小説の人物は、実現しなかった自分自身の可能性である。」(p.257)と書いています)。まあ、それが事実かどうかは別として、そうでも言っていなければ、作家もやっていられないでしょうけれどねぇ。亡命までしているわけですし。

インターネットで、他の人がどのように読んでいるかの片鱗を知ることができることも、現代の特徴。日本語では、大学の講義でミラン・クンデラを取り扱っているケースもありますが、そういう専門家の分析や概説は、論文や本で知ればいいことで、普通の人がどういう風に読み、どんな感想を持っているか、の方が、私にとってはおもしろいです。「もっと読書を」なんて新聞では呼びかけている一方で、新聞に説教されなくても、読む人はちゃんと本を読んでいることがわかるのも、インターネットのおかげ。クンデラ・ファンなる人もいるようです。ちょっと変わったところでは、少なくともサイト上では、一卵性双子の姉妹が共に小説好きという設定で、通勤の往復二時間と、帰宅後、夕食前の一時間を本を読むのに当て、別居の今も二人で同じ本を読んでは感想を対話形式で書いているという不思議なホームページでした。映画やテレビドラマのストーリーを追っているような軽い読み方ですが、次々に読破する割には、家に本棚がないのだそうです。
ただ、日本語の感想は、私のも含めて、断片的あるいは全体像を印象的に抽出して、ここが好きだとか嫌いだとかおもしろいなどと書いているものが多いようです。忙しい中をブログで紹介するのが目的なので、そうなってしまうのかもしれませんが、あるいは、日本語使用者の特徴なのかも?
小説そのものは翻訳で読むとしても、そこをもっと知りたいとなれば、フランス語もチェコ語も読めない私には、仕方なく英語に頼ることになります。(ドイツ語版は、英語で読んだ後に読むと、なぜか内容がほぼ同じだということがわかったので。実際はそんなはずないと思うのですが。)英語版サイトは、さすがに思索的で情報も納得のいく分量。しかも、ディスカッション課題までご丁寧についているものがあり、その昔、外国人教師による英語やドイツ語のクラスで使った教材を思わせるようなものでした。
実は私、クラスではこれが一番苦手で、何をどのように表現したらいいのか、日本語でもそんな訓練された覚えがないのに、ましてや外国語でなんて、とびくびくものでした。でも、こういう風に訓練して読まなければ、本当に読んだとは言えないのでしょうねえ。例えば...

1.どの種の存在が軽さに帰するのか。小説の題目『存在の軽さ』はどのように表されているか。テレザがプラハに戻った後で、チューリッヒでトマーシュが楽しんだ「存在の甘い軽さ」と、『存在の耐えられない軽さ』との間の相違は何か。

2.クンデラが冒頭で用いているニーチェ永劫回帰の神話は、この小説でどのように機能しているか。「本質的に回帰の不在に依存している世界の深い倫理的邪悪さ」というとき、クンデラは何を意味しているのか。クンデラがいうところの永劫回帰の耐え難い重荷は、我々の日常生活の「見事な軽さ」と、どのような対照性を持つのか。

3.この小説の中心的な三つの関係、すなわち、テレザとトマーシュ、トマーシュとサビナ、サビナとフランツを、あなたはどのように描写するか。これらの関係は、クンデラの一次的関心やテーマをどのように具体化しているか。

4.「人間経験の根源である肉体と精神という矛盾する二元性」とクンデラが呼ぶものを、どのようにクンデラは探求しているか。この二元性を彼はどのように根源的だと示しているか。

5.テレザとトマーシュは共に、二人を結びつけた一連の偶然的な出来事のことを繰り返し考えている。彼らの人生、あるいはその他の人生における偶然、機会、偶発性の法則は何か。「機会と機会そのものが我々にとってメッセージを持つ」と書くとき、クンデラは何を意味しているのか。

6.二重レベルの絵というサビナの描写、すなわち、「表面的でわかりやすい嘘と隠れたわかりにくい真実」は、登場人物の人生や関係の各側面にどのように適用できるか。

7.主人公のそれぞれが、信義と裏切りに対してどのような意味や重要性を帰しているか。それぞれの登場人物が、どのような事例で、信義と裏切りを肯定的質か否定的質かに帰しているのか。

8.クンデラは、「犯罪的体制は犯罪者達によって造られたのではなく、天国への唯一の道を発見したと確信した熱狂者達によってである」と主張している。この小説では、どのような幻想ないしは天国版が表現されているか。誰によってか。幻想/天国版のそれぞれが熱狂者の人生や他者の人生に対して、どのように影響しているか。

以上は、"Barnes & Noble" (http://search.barnesandnoble.com/Unbearable-Lightness-of-Being/Mikan-Kundera/e/9780061686696/?itm=1)から拙訳したものです。もっとも、こう訳してしまえば、本を返却した今、いつもながらの読書メモを見ながら、口頭で言えなくもないのですが、しかしこれを、英語で表現せよ、となったら、本当に困ります。ドイツ語なんて、もうお手上げ。日本語でも、高校入試や大学入試で、こういう問題が出ていれば、また違ったのでしょうけれど。
長くなってしまいましたが、だから、ミラン・クンデラを愉しんで読む人が結構いるこの日本では、研究者や翻訳者を除けば、割合に、好きだとか嫌いだとかつまらなかったとか、そういう散文的印象論になりがちなのも、やむを得ないかなあ、と思った次第です。それとも実は、上記のようにいちいち分析しなくとも、筋を追うだけで全体をつかむのが日本の読者はうまいのか、どうか、ですね。
それにしても、ミラン・クンデラ氏って、本当におもしろい作家です。血筋から音楽に造詣が深いのですが、『生は彼方に』でも、7部構成のそれぞれにテンポ指示までついているのだそうです。第一部はモデラート、第二部はアレグレット、第三部はアレグロ、のように。しかも、第六部がアダージョだったかと思うと、第七部ではいきなりプレスト、というのです。いやあ、ここまでくると、ちょっとついて行けない発想というのか、作家自身による解説なしには、よくわからないところがあります。読む方も、もしかして、そのテンポを意識して読めってことでしょうか?

昨日、こういう話を主人にしていると、「東欧で行ってみたいのは、チェコハンガリーだな」と言い出しました。なんでも、アメリカ勤務時代に、同僚だったアメリカ側スタッフが、チェコ系とハンガリー系の人で、いろいろと話をしたからなのだそうです。チェコの人は日本人女性と結婚し、一度は日本の我が家まで、機械が壊れたからと、慌てて長距離電話をかけてきたことがあります。ハンガリーの人は、アジア人と付き合っている方が母国に帰った気がして落ち着くとのことで、日系企業に勤めたとか。こうしてみると、主人の病気のために行動範囲のすっかり狭くなった我が家でも、かつては世界情勢とつながっていたことがわかります。もっとこういう経験を活かしていければいいのですが。