ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ゆで卵の話

この頃、朝食に、ゆで卵を一個ずつ食べています。午後、おなかがすいた時のおやつに、ゆで卵を作ることもあります。
子どもの頃の遠足のお弁当には、ゆで卵が入っていました。スイミング・スクールに通っていた小学校低学年の時、教室が終わると、周りの子はお母さんが差し出す流行りのスナック類を頬張っていましたが、妹と私は、ゆで卵やソーセージやふかした薩摩芋や蜜柑(たまにビスケット)などしか食べさせてもらえず、(うちの親は愛情が足りないんじゃないか)などと恥ずかしく思っていました。(あの子がすいすい泳げるのは、好きなものを食べさせてもらっているからではないか?)とも。親の教育方針の意味は、ずっと後になってからわかるものです。
ところで、話はその食べ方です。私は、粗塩(我が家では、精製された白塩や白砂糖を使いません)をひとつまみお皿にのせて、殻をむいた卵に少しずつつけながらのこともありますが、大抵は、マヨネーズです。今朝もそのようにしていたら、主人が、「お、変わった食べ方しているね」と言うのです。「普通、塩じゃないか?」
「だけど、卵サンドだったら、マヨネーズであえてパンにはさむじゃない?」
「それは、サンドウィッチだからだよ」
な〜んて会話を交わしたのですが、皆様はどう思われますか?
「変わった食べ方」と言えば、関西に来て、焼きそばやお好み焼きにマヨネーズをかける人を見て、びっくりしたものです。カロリーオーバーではないか、と思うのですが、こってり味がいいのだそうです。
そう言えば、小さい頃、父がカレーライスにソースをかけるのを見て、「子どもの教育に悪い!」と母がやめさせたことがあります。そのことを思い出して話すと、主人いわく「そこがわからん。食べ方なんて、人の好みなのに、どうしてそれが、教育と結びつくのか?」と。子どもにとっては、カレーライスそのものが辛いので、心配をよそに、あえてソースをかける意欲もなかったのですが。恐らく、父の世代の人にとっては、戦時中や戦後の食糧難の時期に食べ盛りだったので、洋風の食事には何でもソースをかけることで、一種の贅沢を味わう感覚だったのかもしれません。
と、話は卵から逸れてしまいましたが、調べてみると、塩やマヨネーズの他に、醤油やソースをかけてゆで卵を食べる人もいるらしいことがわかりました。
昔、ある有名な小説家が、子どもの頃の貧しい暮らしの中で、たった一つの卵を家族で分け合って、大切に食べたという話を読んだことがあります。それに比したら、ゆで卵に何をつけるか、泳いだ後に何を食べるか、なんて、随分贅沢になったものだと思います。そのような観点を、是非とも忘れまじと願っています。