ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

お茶漬け民族の、私

数日前に、たまたま今回の発表テーマと一部重なる貴重な記述を含む、フランス系カナダ人の女性人類学者の論文を見つけました。
「草稿段階のために、許可無く引用不可」と冒頭にあったので、思い切ってメールで連絡を取ってみると、時差のためでもありますが、驚くべきことに、即座に返答がありました。
「もちろん参考文献として引用してもよいです。実は、これを本として出版する予定なのですが、まだ編集者のメドが経っていないため、以下のように書きなさい」。
そして、「あなたも書けたら、私に見せてください」。
研究者同士ならば、名刺代わりに書いたものを交換し合うのは儀礼として当たり前なのですが、だからこそ、悔しいようでも、日本語でやっていたらダメなのです。アメリカのハント先生にも、ニュージーランドのロックスボロフ先生にも、もう随分前から激励され、「日本では、そういうことを言う人がいたとしても、私達は必ず読むから」と言われていたのに、なかなかうまく前進できていないところがあります。
これら手探りの模索を通して感じたこととして、欧米系の研究者は、どんなささいな、また、いかにも失敗作、と思われるようなことでも、何でもこまごまと記録に残して研究しているような印象があります。例えば、従来の日本でキリスト教研究といえば、偉大な神学者や宣教師の思想や足跡からまず研究して、同時に自分のステータスも上げようとするような態度が見え隠れしているように思いますが、リサーチ過程で徐々にわかったことは、さすがは欧米圏、蓄積の度合いが全く異なるので、とにかく、駄作であれ秀逸であれ、何でも調べている、ということです。
この迫力と粘りと冒険心、これには、お茶漬け民族の典型のような私には、かなり圧倒されます。