ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

アンネ=ゾフィー・ムターの演奏会

昨日は、兵庫県立芸術文化センターで、アンネ=ゾフィー・ムターのヴァイオリン・リサイタルを聴いてきました(参照:2010年1月14日付「ユーリの部屋」。オール・ブラームスという贅沢なプログラムで、ピアニストはランバート・オルキス。
一言でまとめるならば、音楽そのものに没頭できる贅沢な時間を過ごさせていただいた、という感想に尽きます。チケットを購入したのは昨年の11月で、ちょうど東京での学会で不在中に届いていたのでした。B席で9000円でしたが、三階のちょうど中央に席をとっていただき、正面から見下ろす場所となりました。この階から見える限りでは、一階席は満員、上階でのお客さんの入りは約8割ぐらいでしょうか。若い人も多少は見かけましたが、中高年中心という印象で、一人で聞きに来ているという人が目立ったように思います。私達の席の前三列は、なぜかガラガラでしたし、両脇のバルコニー席も空席が目立ちました。とはいえ、とても充実したいい時間でした。
舞台中央にピアノ、そして向かって左側に華やかな大ぶりの生け花が飾ってありました。今回は、咳き込みも少なく、終盤で一度ゴトリと物の落ちる音と拍手のフライングが残念だった他は、聴衆の皆様はとても集中していたように思います。
ここしばらく、昨年10月にシンガポールとマレーシアで買った書籍や複写して送っていただいた論文などを読んで鬱屈した気分になってもいたので、ちょうどいいリフレッシュともなりました。やはり、演奏会の計画などは、できるうちにできることを前もって、というのが原則です。
ランバート・オルキス氏は初対面で、少し猫背の明るく陽気な紳士。いかにもアンネ=ゾフィー・ムター好みのご年配という感じで、二人の息はぴったり合っていました。さすがは、1988年からペアを組んでいるというだけあります。
二時開演で、四分ほど経ってから舞台登場。最初は、少しピアノがミスタッチもあったように聞こえましたが、ヴァイオリンの音色は二年前に生演奏を聴いた時とまったく変わらず、みずみずしくも音量に大きな振幅があり、テンポに揺らぎを持たせ、豊かであでやかな表情のブラームスでした。
二年前といえば、2008年6月6日、大阪のフェスティバル・ホールでビバルディの「四季」などを演奏された時の感想を書くと宣言しておきながら(参照:2008年6月8日付「ユーリの部屋」)、その後、いつの間にかご無沙汰になっていますが、先程プログラムを確認したところ、まだ鉛筆のメモ書きのままでした。この時も今回も、ポスターなどでおなじみの、鮮やかなブルーの人魚姫スタイル。この衣装は、ライプチッヒでメンデルスゾーンの協奏曲を演奏された時も同じでした。テレビ放映されたものを録画したので、よく覚えています。
ブラームスは私の好きな作曲家の一人で(参照:プロフィール欄)、とにかく昔から、ピアノ曲であれ交響曲であれ、いつどこで何を聴いても惹きつけられていました。今回感じたのは、ムターさんのような年代にさしかかれば、人生経験を積み、演奏にも深みが増すために、このヴァイオリン・ソナタの一番から三番までが(ただし、リサイタルも2009年11月から12月にかけて録音された新発売のCDも、順序は第二番、第一番、第三番)、情感のこもった深い音色になるのではないかということです。今回は、アンコール5曲も含めてすべて知っている曲ばかりでしたが、特にソナタの場合、若い演奏家が、まっすぐ伸びる音で元気いっぱいに弾く曲ではないなぁ、という気がしました。例えば、庄司紗矢香さんのCDおよび2009年1月16日のリサイタルでのブラームスソナタ第二番(参照:2009年1月26日付「ユーリの部屋」)。ちなみに、同じブラームスソナタ三曲をヴィクトリア・ムローヴァのCDで持っていますが、彼女の場合は、旧ソ連での経験もあるためか、音に透明感があって、さらっとした感じがあります。そして、テンポが速めです。
ソナタ第三番に関しては、2005年1月2日に聴いた五嶋みどりさんとロバート・マクドナルド氏のシンフォニー・ホールでの演奏が特に印象に残っています。あの時は、みどりさんにぴったりの選曲だと思いました。
いずれにしても、曲そのものが素晴らしいので、どの年代でもどの演奏家でも、それぞれの感慨で味わえるのでしょうが、昨日は三曲とも、じいんと内面に迫ってくるような感覚で忘れがたい演奏だったかと思います。
というよりも、二年前もそうでしたが、ムターさんの場合、舞台では、衣装以外に余計なパフォーマンスのない、堂々と落ち着いた余裕ある演奏ぶりのために、その場でぐいぐいと曲に引き込まれてしまい、大きな刺激や興奮というものが特にあるわけではないのです。演奏家によっては、終わってしばらくは、音が体の中で弾むような興奮状態を招くタイプもありますが、彼女はそうではありません。しかし、時間が経つにつれ、聴覚のみならず、体全体に染みこんだ音楽が、ふと自然によみがえってくるような演奏なのです。不思議なことに、しばらく表面上は忘れていた二年前の演奏の記憶が、昨晩から今日にかけて、生き生きと舞い戻ってきたような経験をしました。多分、昨日の演奏も同じようなことになるでしょう。
今回の日本ツアーの初日にあたる西宮でのリサイタル、アンコール三曲が終わり、お客さんが帰りかけて、こちらももうこれで終わりかな、とあきらめながらも、かすかに期待しながら拍手を続けていたら、カーテンコールではなく、また演奏を続けてくださるという、サービスぶりでした。いつでも舞台での調弦はなく、いきなり曲を始めるのですが、ブラームスのプログラムが終わったら、すっかりお二人とも打ち解けたユーモラスな感じで、それぞれ交互にアンコール曲名を舞台から呼びかけ、客席の微笑を誘っていました。写真では、気取った気難しい女性なのかな、という印象がなきにしもあらずですが、おととしにも感じたように、少女時代のかわいらしさが少し残る、気配り細やかでサービス精神旺盛かつ協調的な方です。また、話し方がちょっとペチャペチャで親しみやすさを与えるところが意外でした。
サイン会があるとのことで、早速、今回のプログラムそのままのCDを購入しました。何度も聴いているうちにいつの間にかサインが消えてしまうことを恐れて、プログラムの方にお二人のサインをいただきました。もちろん、ムターさんにはドイツ語で、ランバート・オルキス氏には英語でお礼を述べました。ムターさんは、黒っぽいセーターに着替えて、少しお疲れのようでしたが、ランバート・オルキス氏は、お茶目で元気いっぱいに“Thank you!”とニコニコ顔中を笑顔にしてお返事を。こういうところで、また印象がアップし、これも一期一会だなあ、と思った次第です。私の時計では四時七分に演奏会修了で舞台袖の扉が閉められたのに、サインを求める人々が非常に多く、かなりゆっくり並んだはずの私の後ろにも文字通り長蛇が。サインをいただいたのが、四時五十五分でした。

アンコール曲目は次の通りです。正直なところ、有名な曲ばかりであっても、ここまでサービスしてくださるとは予想外でした。

ブラームスハンガリー舞曲第二番・第一番・ララバイ(子守歌)
マスネ:タイスの瞑想曲
ブラームスハンガリー舞曲第七番

実はこの度、ホールへ出かけるのがギリギリになった上に、鉄道の人身事故のために、のろのろ運転で、間に合うかどうか心配していましたが、昼食抜きだったものの、なんとか開場十分前には席に着くことができ、ありがたく思いました。