ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

得難い経験  その3

昨日の「古代カルタゴとローマ展」は、ロマンと想像力をかき立てられるテーマのために、展示として眺めるだけでも明るくて楽しいのですが、ともかく、全体として文化程度が高くて、さまざまな点で刺激されることが多く、見に行ったかいがあったと思います。
特に、ハンニバルとかポエニ戦争など、ちょうど高校一年生の五月頃、世界史の授業で習ったことが思い出され、(そう言えば陽光のもとで明るい地中海の古代史を聞いたなあ)などと懐かしく感じました。学校で仕込まれた受験絡みの「あてがいぶち」の知識が、こうして二十数年たって、当該文化の発掘物の展示を自発的に見に行くことで、やっと自分なりに定着するというプロセス、この時空間のギャップを、今後もどのように埋めていくかが、課題ですね。中には、試験が終わったらそのまま忘却の彼方へ、という場合もあるのでしょうが、私は、イヤです。せっかく若い時に苦労してエネルギーを費やして勉強したのに、卒業した途端に用無しにするなんて、もったいないこと。余談ながら、元はと言えば、英語もドイツ語も、そんな調子で続けてきたのですが...。
フェニキア人と数次に及ぶポエニ戦争に関しては、高校では、そのまま丸暗記せよ、という風に教わったのですが、なんと、語源的には、フェニキア(Phoenicia)から「ポエニ」と呼称されるようになったそうです。また、「カルタゴ」とは「新しい町」の意味だとのこと。そういう背景も、きちんとエピソード的に説明できる先生であれば、ここまで暗記に苦労しなくてもよかったのに(!?)。そういう意味でも、できる限り「いい学校」に進むべきですね。(私の周囲では、「できる子は、どんな学校や環境にあっても、できるはず」「学校はできるだけ地理的に近い方がいい」という考えが采配をふるっていて、えらく迷惑しました。そういう考えでは、環境に鍛えられる反面、何かと遠回りしますし、それが人生選択上、どれほど大きな影響を及ぼすか、よく考えていただきたかったですね。)
展示を見に行くことの意義としては、(1)放っておくとただでさえ狭く固まりがちな視野を、意識的にでも広げようとする努力の一端 (2)いざ、初対面の人と同席した時の話題に、何とかついていけるだけの下地作り (3)気分転換。多少無理してでも出かけておくと、後になって、(あの時に行っておいてよかったなあ)と思える時が必ずあること、などです。

さて。
3月17日の東京訪問の話ですが(参照:2010年3月18日・3月20日付「ユーリの部屋」)、これも一種の「展示見学」に近いものがありました。
実は、一年前からお誘いいただいていた国際学会が、首都圏の大学で四日間開催され、是非とも参加できればと願っていました。ところが、1月の冬休み明けに始まり、2月から3月にかけて集中して続いた主人の「異常勤務」のために(参照:2010年2月22日・2月26日・3月3日・3月8日付「ユーリの部屋」)、健康上、もし何かが起こったとしたら、起こってからでは遅い、と判断したために、残念ながら数日間、家を空けるわけにもいかず、そちらは断念せざるを得ませんでした。
(その旨、勤務先にも電話で伝えましたら、上司の方がさすがに恐縮したようで、「どうぞ帰ってください」と。本当に、そうなんですよ。どうして、最近になって請け負ったプロジェクト、しかも土台選びの確認ミスが元での深夜勤務の連発のために、こちらの一年前からのスケジュールが変更させられるのか、そういう全体のバランスも考えていただきたいものですね。)
しかし、どうしてもその四日間の期間内に、一度は東京へ行きたいなあ、とは願っていました。すると、3月12日の新聞朝刊紙上で、「東アジア共同体」に関するシンポジウムが開催されると掲載されているではありませんか。すぐに電話で、どういう層を対象にした会合なのかを尋ねると、「有識者および一般人」ということでしたので、(ならば、私も「マレーシアに関するリサーチャー」として「一般人」に含まれるのかな)と勇気凛々、早速、ファクスで参加を申し込みました。場所は、赤坂グランドプリンスホテルの五色の間。
ねらいは、昨今の学会で頻繁に話題になる「東アジア地域」の諸問題もさることながら、冒頭で、内閣総理大臣鳩山由紀夫氏のご挨拶があるということでした。
テレビやインターネットではなく、間近で現職の総理大臣を拝見できる機会というのは、地方在住の一般国民には、選挙戦以外、それほどあるものではありません。(念のため、私達夫婦は結婚当初からずっと無党派層ですし、別に現政権の熱心な支持者でもありません。むしろ、マニフェストを見ていて、相矛盾する政策が並べてあることに異議を唱えていました。ただ、自民党のごたごたが続いた後では、ともかく、政権の安定を願うばかりです。)
もっとも、過去、マレーシアで勤務中、中曽根康弘氏や現職の総理だった海部俊樹氏とサシでお目にかかったことはあります。それもこれも、マレーシアの仕事が、日マの政策に直接関わるものだったからです。中曽根氏は、それ以前にマラヤ大学構内に植樹をされていて、突然、「育った木を見てみたい」とのことで、大使館から電話が入り、こちらもバタバタと会議室へと向かったわけです。堂々たる悠然とした姿で、物事に動じず、日本語で即席スピーチをされましたが、それを英語に通訳した若い大使館員に対して、「君、そこは違うじゃないか」と注意までされるほど、大変にシャープな方でした。さすがは、と思いました。
また、海部氏は、私達が教えていた学生達の前で、スピーチをされました(参照:2009年8月31日付「ユーリの部屋」)。弁論部で鍛えていたとは知っておりましたが、割と小柄(という記憶)なのにも関わらず、お付きの人をものともせず、颯爽と背筋をぴんと伸ばして大股でさっさと壇上に上がられ、爽やかで明敏な印象を与えるスピーチをなさいました。

それでは、現総理はどのような印象でしたでしょうか。それについては、その後に続いたプログラム、および訪問場所二カ所と共に、明日、続きを。