ブログ版『ユーリの部屋』

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パキスタン建国の父のムウミン論

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緊急報告シリーズ Special Dispatch Series No 2806 Feb/26/2010


パキスタン建国の父イクバールのムウミン(イスラム信仰者)論


ムハンマド・イクバール(1877−1938)は南アジアの最も傑出した詩人だった。ほとんどの作品はウルドゥ語で書いた。イスラムの詩人兼哲学者であり、パキスタンイスラム国建国の(イスラム主義)思想家と見なされる。
イクバールの思想は、さまざまなイデオロギーを取り扱った。イスラム復興主義に賛同した著作を行い、社会主義を褒め称え、民主主義を批判した。しかし、彼が現在南アジアで主として褒め称えられているのは、彼のイスラム主義の著作がムスリムの若者たちにイスラム復興を吹き込んだためだ。
イクバールはまた、インドのムスリムのためにパキスタン(「純粋者の地」の意)建国運動を指導したM.A.ジンナー(Jinnah)と並んで、同国建国の2人の父のひとりと見なされている。詩に表現されたイクバールの思想は、パキスタンとインドの(イスラム主義政党)ジャマーアテ・イスラーミー(Jamaat-e-Islami)が褒め称えている
パキスタンのコラムニストで、同国のウルドゥ語日刊紙ロズナマ・ジャサラート(Roznama Jasarat)の寄稿者シャーナワズ・ファルーキ(Sha Nawaz Farooqi)は最近の記事「ムウミンならば、兵士は剣なしで戦う」で、イスラム世界に宛てたイクバールのメッセージを取り上げた。
ドイツで学んだイクバールは、特にニーチェの「超人」観念を使用し、ムウミン━「(イスラムの)信仰者」━の意味を、イスラム大義のために戦う理想的なムスリムというポピュラーな意味に変えた。
以下はこの記事の一部抜粋である
。※1


「ムウミンは矢や剣を気にかけない━なぜなら、自分の行いがアッラーの支援を得ると知っているからだ」
イクバールの有名な対句は、こう言う。「『彼が異端者なら、彼は剣を信じる。ムウミンなら、兵士は剣なしに戦う』と。(ウルドゥ語のオリジナルは、Kafir hai shamshir pe nharosa,Momin hai to be tegh hi larta hai sipahi)。※2
「信徒は剣なしに戦うという、このイクバールの対句は詩に過ぎず、現実との類似性はまったくないという人々がいる。しかし、こう言う人々は、詩について理解がないか、人生の出来事に関する洞察力がない。詩は、人生の理想について語る。その理想は極めて大きな出来事であり、理想なしの人生や文化は想像できない。
「しかし、人々はなぜそう言うのか。個人的な言い分があるのかもしれない。だが、人々がこう言うのは、彼らが剣なしで戦うことはできないためだ。彼らは自分たちが(剣なしで戦う)ことはできないと考えているだけでなく、自分以外の人々、ムウミンですら剣なしでは戦えないと考えている。しかし、ムウミンの心理は、ムウミンしか理解できない。
「ここで生じる疑問は、ムウミンはなぜ剣なしで戦うことが出来るのか、また、異端者はなぜ剣を信じるのか、だ。これら疑問に対する答えは多い。だが、上記の対句をイクバール自身の詩に照らして説明すると、説明の質はぐんと高くなる。(まず)どのようにしてムウミンが剣なしで戦えるのかという疑問だが、イクバールの別の詩は、こう言う。『殉教がムウミンの目的と願望であり、戦利品や一国を支配することではない』と。(ウルドゥ語のオリジナルは、Shahadat hai maloob wa mqasood –e Momin, Na maal-e-ghaneemat, na kishwar-e kushai)
「このイクバールの詩句の意味はこうだ。ムウミンが戦う時、富や国家の支配を望んではいない。自分の人生を犠牲にすることによって、アッラーは最も偉大であると証言することを望む。アッラーはわれわれの創造主であり、主(あるじ)である。崇拝に値する存在である。人はアッラーの道において戦うとき、自分の人生を気にかけない・・・そうした人間が剣を全く必要とせず、矢や他の近代兵器を必要としない理由は明白だ。剣や矢などを必要とするのは、富と財産のために戦う人だけであり、国家の支配を望み、自分の人生を愛し、自分の人生の保護を望む人だけだ。
「だが、イクバールの上記対句を説明する詩句はこれだけではない。ここにもうひとつイクバールの詩句がある。同詩句はこう言う。『アッラーの手はムウミンの手であり、勝利を喜ぶ、有効な、工夫に富む、熟練した手である』(ウルドゥ語のオリジナルは、Hath hai Allah ka,banda-e Momin ka hath, Ghalib o kar Afreen, kar kusha,kar saaz.)
「この詩句に照らした、上記対句のさらなる説明はこうである。ムウミンは矢や剣を必要としない。なぜなら、彼の行っていることがアッラーの支援を得ていること、彼の手が彼の手ではなく、アッラーの手であることを知っているからだ。彼の目が彼の目ではなく、アッラーの目であることを知っているからだ。したがって、打ち勝つのはムウミンだけであり、勝利するのはムウミンだけだ。一方、敗北と退却が彼のライバルの運命である。
「イクバールの(詩句に示された)思考は上記対句を説明する一方で、論点をはるかに超えており、このテーマの、さらなる様相を明白にする。イクバールの別な詩句はこう言う。『異端者の特徴は、彼が現世に関与していることであり、ムウミンのアイデンティティーは、彼の中に現世が隠されていることである』(ウルドゥ語のオリジナルは、Kafir ki yeh pehchan ki aafaq mein gum hai,Momin ki yeh pehchan ki gum us mein hai aafaq.)
「ここで言う異端者の現世への関与とは、彼が現世のとりこになっていることを意味する。一方、現世を自分の中に隠すということは、ムウミンが現世をコントロールしていることを意味する。これこそ、異端者が常に戦争で剣を必要としている理由であり、ムウミンが剣を気にかけない理由なのだ。
「しかし、ムウミンはどのように現世を掌握しているのか。答えは、来世を現実として受け入れることによって、である。ほとんどの人間の難題は、来世を現実として受け入れないことから来ているーーたとえ受け入れるにしても、それを(真に)『現実』として受け入れてはいない。これこそ、彼らが現世を掌握できない理由だ。その代わりに彼らが現世のとりこになる。そして、その結果、人間の人生の全てが現世のために使われる」
「また、論理を崇めることも異端者の心理の柱である・・・異端者の基準は善と悪ではなくーー得か損かだ」
「なぜなら、異端者の難題は現世であり、戦争で剣や兵器に頼ることも、異端者の難題なのだ。(イクバールは)異端者の心理についてさらなる説明を行っているのか。答えはイエスである。
「異端者の心理は貧困の心理である。彼は現世の全てを所有しているが、唯一神への信仰と唯一神の観念を奪われている。全てのものを所有しているにもかかわらず、彼は全てのものを奪われていると感じる。異端者の心理は、現世に対する愛であり、最大限の富の蓄積を追及することである。現世における軍備競争の心理も同一である。軍備競争の背後の理由は、現世に関与する国々や国民が、兵器に対する信用を増していることだ。
「異端者の心理の特徴は浅薄ということだ。この意味は、人が、皮相な大義に重要性を与え、それが全てであると考えるということである。論理を崇めることもまた、異端者の心理の柱である。異端者は全てのことを損得で、また『2足す2は4』に照らして計算する。その基準は善悪ではなく、損得である。これが、異端者が自分の(表面的な)見た目の力を重視する理由である。
「イクバールは、剣や矢はムウミンの問題ではないーームスリムの真の問題は、殉教願望とジハード希求である、と言った」
「しかし、ここで疑問が生じる。このイクバールの対句に心理的な背景があるのかという疑問だ。答えはイエスである。イクバールは植民地主義を体験した。ヨーロッパ諸国は優勢な軍事力でムスリムを圧倒した。(他方)ムスリムは主として、こうした自分たちの弱さ(つまり、軍事力の欠如)に影響を受けた。そこで、ムスリムもまた、この現世的な軍事力追求の崇拝に加わるかもしれないとの懸念が生じた。従って、この脅威からムスリムを救うため、忘れられた殉教の教えを彼らに思い起こさせるため、イクバールはこう言った。剣や矢はムウミンの問題ではなくーームスリムの真の問題は、殉教願望とジハード希求であり、兵器と資産に対する愛に耽溺することは異端者の考えであり、ムスリムはこれを避ける、と。
「イクバールの思考と詩の最も重要なことは、彼が詩の中で提示した概念と人格がイスラム史のさまざまな段階で実際に出現していることである。例えば(イクバールが提示した)ムウミンという概念をよく考えると、預言者ムハンマド)の教友たちのことだと分かる。というわけで、イクバールの対句は詩ではなく、歴史的な事実なのである。バドルの戦い(西暦624年)で何が起きたのか。313人のムスリムが異端者の軍隊を相手にしたが、この313人のムスリムの大半は剣も、それに乗る獣も持っていなかった。同一のことがウフドの戦い(同625年)でも起きた。預言者の教友約700人が3000人の軍隊と戦った。結局は戦いが起きなかったタブークの戦い(同630年)では、3万のムスリムが10万のローマ軍に対峙した。
「これらの事実を見て取るなら、『ムウミンは剣なしに戦う』(という文句)は詩ではなく、歴史的な事実ーーいかなる時代であれ、ムスリムが繰り返すことのできる歴史的事実となる」


注:[1]ロズナマ・ジャサラート(パキスタン)2009年11月22日
[2]このエッセイのウルドゥ語の翻訳は、できうる限りオリジナルに近いものにした。

(引用終)