ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

温かい師弟関係の支え

突然ですが、来年2月にフランスへ行くことになりました!「カトリック教会の長女」と呼ばれているフランスの主立った場所を、いつかはこの目で見ておきたいと思っていましたが、ご案内をいただいたので、チャンスを逃さず便乗してみよう、ということです。結婚と同じで、勢いが大切、かな....。イスラエル旅行も、そのノリで行きましたが、今振り返っても、あの時だったからこそ、と思います。あの旅行がきっかけで、雑誌の購読を始め、執筆者陣とのつながりもできました。
というわけで、この歳になってやっと、フランス語を学ぶきっかけができたのです。ドイツ語とスペイン語は、学部時代からかれこれ20数年も続いています。その他には、学生時代に韓国・朝鮮語を6年間(めっきり増えた看板のハングル表記は今でも何とか読める)、しばらく前にアラビア語を3年ぐらい(マレー語にアラビア語の語彙が増えたのでやらざるを得ず)学びましたが、どういうわけかフランス語には先入観というのか、固定観念があって、実家に辞書もあったのに、手をつけようとはしていませんでした。(妹と弟は、大学の第二外国語がフランス語だったようです。)
昨日、テキストを買ってみたところ、とても新鮮!しかも内容が、偶然にもスペイン文化の知識を要するもので、ようやく世界がつながっている感触に触れられた、という...。しかし、音の聞き取りと動詞の活用変化がとても複雑です。考えてみれば、その点では、ドイツ語もスペイン語も楽でした。なんとかの手習いで、頑張るぞ!

さて、2010年8月30日付「ユーリの部屋」で間接的に予告したことですが、やっと書けそうです。実は、当日のことは主催者が録音録画されていて、「こういう話があったということを一部ブログに書くことはいい」とは言われたものの、どうやら著作権などの問題がありそうなので、しばらく時間をおいていました。
以下は、その件で、ある方に私が送ったメールの複写です。今のところ、その方からの直接のお返事はありませんが、メールの著作権は差出人の私にあるだろうと解し、一部変更の上で、誠に勝手ながら再掲させていただきます。

8月28日に、関西セミナー・ハウスで佐藤優氏の講演会が開かれました。


佐藤氏については、その経歴といい、風貌といい、直球で断定調の発言といい、賛否両論、異論や反発もあろうかと思いますが、私にとっては、非常に胸のすくような充実した時間でした。なんと、普段は多くても30名ぐらいしか集まらない会合に、120名も来たのです。


以前、「頭でっかちの知識人中心のキリスト教だから、日本では少数派なのだ」という主旨のことをおっしゃっていましたね。佐藤氏は、同志社の神学修士卒ですが、ものすごい勉強量です。先頃亡くなったお母様が、沖縄の名家のご出身ということもありますが、カルヴァン派の信仰でありながら、現実もしっかと見つめ、左右誰にでも対応できるだけの読書力と鋭い感覚で、かつての恩師の前でも、バシバシ発言されました。


帰りのタクシーで同乗するよう誘ってくださった、高校の物理の先生(30代半ばぐらい)が、「僕、佐藤先生の神学の本を読んで、昨年のクリスマスに洗礼を受けたんです」と言いました。また、最近、日本でも大人気のハーバードのサンデル教授の正義論についても、「やっぱり、キリスト教の考えが支持されているんだなあ、と思った」とも言っていました。(注:サンデル教授自身はユダヤ系であり、哲学の考え方の訓練を対話議論方式で進めていらっしゃるのであって、必ずしも宗教と直結しないと私は思いますが。)


つまり、「知識階級だから、頭でっかちだからキリスト教が広まらない」のではなく、その生き様や考え方で判断されているのではないか、ということです。佐藤氏が、旺盛な講演活動や執筆を続けられるのも、「彼の中でキリストが生きている。クリスチャンは強いなあと思った」と出席された浄土宗の住職に言わしめるほどのものを感じさせるからだろうと思うのです。


佐藤氏も、「伝道するのではなく、『あの人がそうまで言う聖書を読んでみたいなあ』という気にさせるような生き方をすべきだ」とおっしゃっていました。


ただし、無教会については、「先生主義で、一部にカルト化した面もある」と断言されていましたが、恐らく当事者の方は反論されるでしょうねぇ。

佐藤優氏は、2008年11月18日・12月11日・12月26日・12月28日・2009年2月27日・4月4日付「ユーリの部屋」でも登場されています。
実は私、行きの電車を待つ駅で、氏と奥様が特急座席に並んで座っていらっしゃるのをホームから目撃してしまったのです。講演中は体を張って真剣勝負の厳しい表情で話されていても、奥様とご一緒の時(と食事中)は、とても和らいだ優しい顔になられるんだな、と。また、その後の地下鉄の駅の階段で、どういうわけか、文字通り後塵を拝する形になってしまったのですが、メディアでも有名になった方が私の目の前を歩いていらっしゃるのに、京都の人達は誰も振り向きもせず。まさに雑踏の中に紛れ込むような形で、普通のおじさん風。歩き方からちょっと疲れた感じにも見えましたが、あれだけの講演と執筆活動を続けていたら、この暑さの中、いくら頑強でも疲れるだろうな、と。
講演前は、たとえ慣れていても誰でも緊張するものと聞いていたので、もちろん声をかけるなどと言う不作法なことはしませんでしたが、講演後には、冒頭で書いた雑誌に連載されていることもあり、サインをいただきました。氏が書かれた内容が、驚いたことに、数年前の私の仕事と直結していたため、「書いてくださってありがとうございます」とお礼を申し上げたくて、私にしては珍しく、夜9時まで談話会に参加させていただいたのです。
その雑誌の最新号が日曜日に届きました。私を含めた関係者の反応に喜ばれたようで、その続編が書かれていました。それにしても佐藤氏、母校の教授陣に相当かわいがられたようで、上記会合でも「ここは内輪の集まりですから、本音で言います」のような発言が聞かれました。東京で波瀾万丈の経験に見舞われても、(自分を育ててくれた教授先生方が京都で見守ってくださる、あそこに戻れば温かく迎えられる)と思えばこそ、がんばれたということもあったのではないでしょうか。
だからこそ、母校の動向には、苦言を呈することにもなるのだろうと思います。
ただし、休憩時間に学会でお世話になっているある先生が、私の横に来られて、「いや、彼は○○先生のことを大変に褒めるけど、私には、そう大した先生だとも思われませんでしたがね」とおっしゃいました。「つまり、先生がよかったというよりも、彼自身に何か触発されるところがあって、自分であそこまで努力した、ということではないですか」と。もちろん、関西風の謙遜でもあろうと思いますが、いずれにしても、そういう師弟関係の温かさに触れ、私にとってもほんわかしたいい時となりました。

講演会とは、その著作を読むのとは別に、講演者の息づかいや生き様に直接触れる機会の提供の場です。話そのものの当否ではなく、あくまで、自分自身が考える触媒のような働きをしているのだろうと思います。佐藤優氏の場合は、ロシアなど海外経験や、外務省内部の暴露話や政治家との接触キリスト教神学の専門話など、氏ならではの独特の魅力とおもしろさがあって、確かに引き込まれます。ただ、決して忘れてはならないのが、沖縄から見た氏の視点。たまたま私のお隣に座った女性が、氏のご親族だとのことで、写真も見せてくださったのです。その方面の著作もあると教えられ、是非、読んでみたいと思いました。